La famille de iida

「衣・食・住」を中心に子供たちの成長をながめながら、我家で感じた事をUPしています。

母の手作りセーター

2020-02-25 | K・Yoshida(吉田一彦)

今日、アップした写真は多分、父が外で写した

最後の写真かと思います。

 

 

勿論、病院や、お買い物には出ていましたが

 写真を写した最後の外出は、この日が最後。

 2019年5月12日(日)、新宿御苑カフェラ・ポエム。

 

この日、父は母の編んだ、お気に入りのセーターを着て

 大好きなピザとパスタを美味しそうに食べていました。

 とても、お天気も良かったので食後は私と主人、父と母

 4人で御苑前を少し、お散歩。

 

 まるで昨日の様に思い出されます。

 

 

 


 

 

1月7日(火曜日)、突然の入院となった父。

クリーンルームでは食事も無菌食のみ。

何も他の食べ物を食べさせてあげる事が出来ず・・・

病院食は、ほとんど食べてませんでした。勿論、激痛との

 闘いがありましたから食欲が無くなるのは仕方がありません。

 

病院から許可が出ていたゼリー飲料、

〝朝リンゴ(ヨーグルト風味〟が

父の調子が良い時、美味しそうな顔で頂く唯一の品でした。


お気に入りの写真

2020-02-22 | K・Yoshida(吉田一彦)

父と母の、お気に入りの写真。

ずっと父のベット脇に飾ってあった写真。

 

 

看護師さんに

この写真を自慢気に見せていたらしいんです。

 

本当に自慢の父と母です。

 

 

 

 

母は今、とても気丈にしています。

 

毎日の様に病院から帰宅すると泣いていた母とは思えない・・・。


穏やかな時間

2020-02-21 | K・Yoshida(吉田一彦)

父が亡くなって1週間後、

2月16日、DUKEリーダー谷さんに連絡を入れます。

それを確認してから私はブログにて父の訃報を公開。

そして

昨日2月20日プレスリリースされた事で皆様から

沢山の温かいコメントを頂きました事、

心から感謝申し上げます。

 

 

プレスリリースの内容通り、

お通夜、そして告別式は身内だけで行いました。

それは、とても穏やかで温かい時間で

母も、とても満足しています。

 

私の主人が写した遺影の写真。

皆様に見て頂きたく、不謹慎と思う方も、

いらっしゃるかとは思いましたが私の我儘で

載せる事にしました。

 

これはステージではない自宅での父の、いい顔です。

 

 

病室で

父が看護師さんに髪を洗ってもらい久し振りに、

とってもスッキリした顔をしていた時に

「パパ、イケメンだね」

と私が言うと

「あったり前じゃない、パパの子なんだから~」

って・・・

「それ違うよ。それを言うのは私が褒められた時に

言うセリフでしょ。もし言うなら

 あったり前じゃない、お前のパパなんだから~だよ。」

 2人で爆笑したのが約4週間位前の事。

もう一諸に笑う事が出来ないの?


優しい笑顔

2020-02-19 | K・Yoshida(吉田一彦)

父の事を少しずつ

お話しできればと思っています。

 

 

 

最後の時は身内だけで…温かく見送る事ができました。

 

お通夜、そして告別式、

【2月11日12日】

式場には父の魂・人生のすべてであった

デュークエイセス

黄金期の音楽が静かに流れ

祭壇には父の好きだった薔薇の花が

優しく父を包んでくれていました。

 

遺影の写真は

5年前のホワイトデーに自宅で写した写真。

【~2015年3月14日16時 撮影~】

父の優しく、そして少し自慢気な笑顔。

 

偶然なのですが、その時と同じセーターが

父が最後に着ていたセーター。

 

 

父の優しい笑顔が、もう見れないなんて

まだ、とても信じられません。

 

多分、私以上に母は・・・

今は気丈を振る舞っていますが、とても心配です。

 

 


 

~感謝申し上げます~

 

お悔やみのコメント、

又、他ブログから、こちらを閲覧して下さった方々に

父に代わって心から感謝申し上げます。

 

昨日はDUKEのレコードを母と整理しました。

レコード

懐かしいジャケット

私が見た事がない物もありました。

 

もう父の歌声が聞けないと思うと寂しい。

 

最後に父が歌ったのは

2020年1月25日

父の誕生日

父と母と私3人、病院のラウンジ

ジュースで乾杯。

ハッピバースデーを歌うと

父は、しっかりハモってきてくれて・・・

それが父の最後の歌声になってしまいました。

 

 2月20日


一週間前の日曜日

2020-02-16 | K・Yoshida(吉田一彦)

令和2年2月9日

快晴

 

 

吉田一彦

84歳

多発性骨髄腫の再発により緊急入院。

そして約1カ月の科学治療の中、

2月2日前後に肺炎にかかってしまい…

 

2月9日(日曜日)の朝、静かに

父は息を引き取りました。

 

 

本当はブログを再開するつまりは無かった私なのですが

 皆様には今まで沢山沢山ご心配をかけてきてしまいました。

 ちゃんと父の事を、お知らせしなくては…と思いました。

 

父が亡くなって今日で1週間が経ちます。

まだ信じられない気持ちです。

 

 

 

父の最後の言葉は

「パパ、頑張ったよ」

 

もっと、もっと頑張ってくれなきゃ駄目だったのに

母を残して逝ってしまっては駄目だったのに

 

 


 

 

お悔やみのコメントを下さった皆様

心から、お礼を申し上げます。

 

本当に突然の事でありましたが

私達家族にとっては、肺炎で危篤になってから

亡くなるまでの1週間は、とても辛く長い時間でした。

 

多発性骨髄腫の科学治療で、これから長く戦う覚悟で

父も私達家族も、いたはずなのに…。

こんな風になってしまうなんて全く想像もしていませんでした。

 

2月18日


父…突然の入院

2020-02-14 | K・Yoshida(吉田一彦)

年末(2019)から父が足腰の痛みを訴え始めました。

お正月も元気がなくシャンパンを抜く力も出ず…。

心配で病院に行ったのは1月7日。

 

 

突然の入院となってしまいました。

 

11階のクリーンルーム

【日赤のクリーンルームとは、血液に関わる病気を治療

する血液内科(11階A病棟)では、病棟全体を食品工場や

医薬品工場と同等のクラス1000~10000(1立方フィート内

の空気中に、直径0.5マイクロメートル以上のチリやゴミが

1万~10万個以内)のクリーンルーム使用に設定。】

 

 

ここからの眺めは母が入院していた時に

 父と一緒に見ていた景色。今から4年前の事です。

 

2020年 1月 7日


令和2年の始まり

2020-02-13 | K・Yoshida(吉田一彦)

突然のブログ閉鎖から約2年。

本当は、もうブログの更新は考えていませんでした。

でも、どうしても伝えたい事があり本日、2月13日、

ブログを更新させて頂きました。

 

 

~令和の始まり~

母の手料理

乾杯は、いつもシャンパン

 

シャンパンを抜くのは、いつも父でしたが

 今年は私の主人が、なぜか・・・ 

 

 父に代わって抜きました。

 

2020年 1月 1日