新・瘋癲球人日記

野球をこよなく愛する瘋癲球人の日記

昭和52年 箕島

2005年06月27日 | Weblog
昨日、東伏見で高校の後輩に聞いたのだが、5月に米子松蔭が創立50周年の記念に智弁和歌山を招待して試合をし勝ったらしい。
彼女はわざわざその試合を観るために米子に帰っていて、試合の様子を教えてくれた。
「勝ったと言ってもワカチ(智弁和歌山)は2番手ピッチャーだったんですけどね」

その話を聞いていて小学生のころにみた、同じ和歌山の箕島と米子東の試合を思い出した。昭和52年のことである。
箕島はこの年の選抜で優勝。たしか、市制何十周年かの記念で選抜優勝校を招待し、地元の米子東と米子工業が試合をした。
この試合が決まったとき、小学生だった僕らは
「山沖の中村高校の方がええわ」と文句を言っていたものだ。
でも、しっかり試合は観に行った。
箕島は「小さな大投手」と言われた左腕の東投手が故障(?)で登板せず2番手、3番手の投手が登板。
米子工業が負けたあとの試合で同じ選抜大会の出場した米子東は箕島をリード(2点か3点か)して終盤。
選抜優勝校に勝つかと地元の観衆の期待が高まったところ
「箕島高校の飛行機の都合で延長戦は行いません」
という場内アナウンス。
その直後、後に立教でも活躍し西武ライオンズにドラフト1位で指名された野口裕美さんが連打されあっと言う間に同点となり、そのままゲームセット。
選抜優勝校の集中力に驚いたものだ。
30年ちかく経った今もあの電光石火の箕島の集中打は忘れない。

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1 コメント

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懐かしきクレバー左腕、野口投手~ (なにわのヒバゴン)
2011-05-03 14:37:32
こんにちは。懐かしいですね。77年といえば私はまだ小学生でしたが、その時のセンバツはよく覚えています。米子東は開幕第2試合で県岐阜商に敗れましたが、招待試合で箕島を追い詰めたあたりさすがはセンバツ準優勝経験を持つ伝統校ですね。定時制のエース東投手の箕島と「二十四の瞳」ジャンボ山沖の中村に象徴されるように昭和の高校野球は地元に根ざした独特の良さがありました。公立と私立、名門と新鋭が群雄割拠する熱き甲子園の再来を願っています。
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