新・瘋癲球人日記

野球をこよなく愛する瘋癲球人の日記

2/25 東伏見

2007年02月26日 | 早稲田野球
午前中は守備練習。
先週よりは少しミスも減ってきたような印象。
凡プレーには監督、学生コーチから厳しい叱責。ただでさえ寒いのに、空気が凍りつきます。
キャンプでブラッシュアップされるでしょう。
午後からはシートバッティング。
投手は変化球も投げるし、カウントもとるし、打者との「ガチンコ勝負」ですね。
2番手に斎藤君が登板。
どこから聞きつけたのか、午後になって、どっとギャラリーが増える。
三塁ベンチ前でキャッチボールが始まると、マスコミのカメラも「斎藤ファン」の視線もそっちに注がれます。
「メインで松下が投げとるんやから見たってくれよ(苦笑)」。
ひょうひょうと松下君は好投。
斎藤君に関しては、さんざんスポーツ新聞で書かれているので、僕が書く必要もないでしょう。
期待の左腕大前君が得意のカーブで上手く緩急をつけて、バックネット裏の「早稲田ファン」をうならせておりました。
丹羽君がまずまず無難にまとめて、最後は福井君。この日、投げたピッチャーの中では一番速かったです。
低めのボールも伸びがありましたね。「ワールドウイング」効果か高校の頃に較べて、フォームがすっきりしたような感じがしました。打たれてもグイグイ行くところは変わりませんね。自分の練習を中断して、見守っていた高校の先輩、甘井君にはどう映ったでしょうか?
練習後、沖縄キャンプメンバーの発表の悲喜こもごも。

今週末からあの人たちも来ないので、静かな東伏見に戻りますね。
警備の担当の方もゆっくり休んでください。

コーチ

2007年02月22日 | 野球本レビュー(2006.12.26)

(マイケル・ルイス・著 ランダムハウス講談社)

「一人前になるとは、逆境に置かれたとき、逃げ出したくなる本能と戦うことだ。おまえたちは戦った。もしおまえたちが戦に行くと言えば、おれは喜んでいっしょに行く」著者マイケル・ルイスの“恩師”フィッツの言葉だ。フィッツは著者が高校時代に出会った、野球の鬼コーチ。スポーツだけでなく、人生も教えているコーチは、ちょっと前まではかなりいたように思う。
今は何かと言うと親がすぐ出て来るので厳しい指導もやりにくいという話はよく聞く。
先日もあるシニアのコーチをつとめる知り合いが、
「自分のコをレギュラーにしてくれって高いお歳暮送ってくる親もいるんだよなあ。全部、送り返してるけどさあ」
と愚痴っていた。
何か本質的なところが間違っているような気がする。

東京マラソンは

2007年02月18日 | Weblog
抽選に外れて走れません。
朝、起きたら、予報通りの雨。それもけっこう激しい。
奥さんに
「こんな雨なんだから抽選に外れてよかったじゃない」
と言われて、それもそうだなと思う。
この雨じゃあ東伏見に行っても仕方ないし....。あまり気は進まなかったがTVで東京マラソンを観る。
走り始めて1年。知り合いの人が少なからず参加しているので、
「みんな大丈夫かいな」と
心配する。
都庁前のスタートシーンの迫力にジワが来る。
「みんな頑張れよ!」
西新宿は浪人中の下宿のあった場所。僕が東京での暮らしをスタートさせた場所だ。
そこがスタート地点とは感慨深い。
スタートして間もなく歌舞伎町。
学生時代、数々の思い出(伝説?)を残した場所。
東京六大学応援団がエールを送る。
TV中継時は立教大学の第一応援歌「行け立教健児」での応援が繰り広げられていた。
「あー俺も『紺碧の空』の応援を受けて走りたかったなあ」
走っている人たちに抱く感情も、同情から嫉妬へ。
この前までのオフィス、現在のオフィスの近くを通過して品川の折り返し。
浅草は雷門を見ながら曲がるんだ。いいなあ。
江戸文学専攻の僕は、学生時代、フィールドワークと称して浅草にも足繁く通っていたものだ。
そして、社会人になってから4年間、クライアント通いで毎日歩いていた銀座。
展示会の仕事で何度も行った東京ビッグサイト。
このコースは僕が東京に来てからの足跡をめぐる道、というのはちょっとかっこつけ過ぎか。
来年こそは抽選に当たって走りたい。

1万円払って、びしょ濡れになって走って感動してんだから、ランナーって不思議な人たちだよなあ(笑)。
僕もそのランナーの端くれだったりするのだが。

2/17 東伏見

2007年02月17日 | 早稲田野球
午前中にフリーバッティング。
野手、マシンが投げる球を打ったあとにメンバー入りの候補の投手たちがバッティングピッチャーをつとめる。
自分も経験があるが、自分のチームのピッチャーとの対戦は楽しさあり、緊張あり。
いつも後ろから見ているピッチャーたちのことは分かっているつもりでけっこう分かっていないものだ。
ピッチャーはバッターが立っている投球練習くらいに思って最初が投げるらしいが、そこはピッチャーの本能、いい当たりをされると少しムキになるもの。
その球をカンカン打った日にやぁ「ヘンカ(変化球)も混ぜれば打たれねえよ」と言われたりして、けっこう何気にお互いムキになったりするもんだ。
ピッチャーの1組目は大前(2年 社)、楠田(2年 岡山理大付)の左右のツインタワーが登板。
ともに制球に苦しむも球威はなかなか。楽しみですね。
2組目は、皆さんお待ちかねの斎藤と丹羽(2年 土岐商)。
斎藤君にばかり目が向く中、丹羽君もなかなかいいボールを投げていました。
斎藤君の投球を生で見るのは昨夏の甲子園の鶴崎工戦以来。
あまり回転数の多くないであろう、重そうなストレートがバシバシ決まって、バッターも差し込まれる場面が多かったです。
キャッチボールを見てると、表現は悪いですが、「肩の上がらんようになったオッサン」がヨイコラ投げてるって感じなんですが、マウンドに上がると別人ですね。
「王子」とか「佑ちゃん」なんていう呼び名に似つかわしくない、たくましい投手ですよ。
午後からはシートノック。
現状のベンチ入り候補メンバーが何となく分かったりします。
そして、マシン相手のケースバッティング。
先週も感じたことですが、マシン相手だとみんなよお打ちますねえ(笑)。

キャンプメンバーの絞り込みも最終段階。
みんな悔いのないように頑張って欲しいものだ。
沖縄に行けなくても、リーグ戦のメンバー入りの希望がなくなるわけでもないんだけどね。

怪物たちの世代―その時、甲子園が揺れた

2007年02月14日 | 野球本レビュー(2006.12.26)

(竹書房)

70年代後半から現在までの甲子園の流れをさらっとおさらいするには絶好の本だと思う。
「明徳義塾というのは今ひとつ野球の色が分かりにくいチームである」
にはうんうんとうなづき、
「荒木大輔世代」、荒木大輔投手の盟友、小沢章一さん(残念ながら昨年お亡くなりになりました)の、箱根駅伝やラグビーで母校を応援するものも、野球の「早慶戦」は見ない、という心中を思い、うーんとうなった。
僕は「水野雄仁世代」。
大輔を打ち、KKに打たれた─の言葉が象徴するように、甲子園では「伝説を残せなかった」世代である。