えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

明日、浪漫亭で 5話

2020-07-10 08:10:00 | 書き物
- 5話 -

バスルームを出てリビングに戻ったら、ソファに沈み喉を潤した。
明日も迎えが来るのは早い。
のんびりするのもそこそこにしないと。
髪をざっと乾かして、スマホを掴んで寝室に行こうとした。
あれ…?
なんか画面が光ったような。
まさか、着信?
ベッドの上に座り画面を見るとやっぱり…
知らない番号…彼女なのか?
つい20分位前だ。
もう、寝てるかも。
いや。
イチかバチかだ。
画面をタップしてから呼び出すのを見つめた。
5回、6回…
やっぱり寝ちゃったか。
8回目の呼び出し音を聞いてから、画面に指を伸ばした時。
「もし…もし?」
彼女だ…!
「もしもし?もしかして小川さん?さっき電話くれた?」
「あ!はい。田中さんですか?ごめんなさい、こんな夜分なのに」
「大丈夫。さっき帰ったとこだから」
「さっき…やっぱり、お忙しいんですね。私…迷ったんですけど」
「いいんだ。俺がまた話したかったから。いきなりでごめん」
「ちょっと、びっくりしました…」
すぐにでも会いたいとこだけど、彼女はまだ戸惑っているようだし、何より俺のスケジュールが読めない。
今日は遅いし、少し話したらまたの約束を取り付けたい。
「色々話はしたいけど…びっくりさせたみたいだから」
彼女が倒れたカフェで、ずっと気になって見ていたこと。
1人だと思っていたら待ち合わせと分かってがっかりしたこと。
それでも、気になってたこと…
そんなことを、ときどき「はい」の小さな声を聞きながら話した。
「だから、きみがわざわざお礼を言いに来てくれて、すごく嬉しかったんだ」
「そうだったんですね…」
「あ、ごめん。こんなこと一方的に言って、嫌じゃないかな。嫌だったら…」
「嫌なんて…そんなこと無いです。あの…びっくりはしましたけど、こうして声を聞けて嬉しかったです」
「良かった〜」
最初は小さな声だったのが、だんだんハッキリ聞こえるようになった彼女の声。
緊張がほぐれてきたのか…
「だから…きみのことをもっと知りたい。出来れば会ってご飯でもどうかなって思ってるんだけど…」
彼女が少しの間、黙った。
「あの…いいんですか?」
「え?」
「今の田中さんがそんなこと…大丈夫なんですか」
「心配してくれてるの?」
「それは、だって…」
「嬉しいけど…確かにちょっと気をつけなきゃダメだけど。大丈夫。事務所にもきみにも、迷惑かけないようにするから」
また黙ってしまった。
やっぱり、俺の独りよがりなのかな。
「あのさ、、あの頃からきみのことを気になっていて…こうして再会出来て、いても立ってもいられなくて。きみのこと、好きになっちゃってたんだ。…でも、俺の独りよがりでしかなくて、きみが、受け止められないなら…」
「違うの、そうじゃなくて…」
諦めるしかないかと言った言葉に、電話の向こうの彼女の声が、応えてくれた。
「以前から田中さんのファンだったの。エッセイもお芝居も、グラビアも…。素敵な写真を見てドキドキしてた。でも、会いたいなんて思ったことは無かった。だって別の世界の人だもの」
「別の世界、か…」
「でも、今田中さんに会いたいって言われて…私もまた会いたいって思ったんです。だって、もう会えなくてなるのは嫌だって思ったから…」
途切れ途切れに、でも最後に嬉しいことを言ってくれた。
こんな風にドキドキするのは久しぶりだ。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「いいえ…なんか一気に言っちゃいました。なんだか、恥ずかしい…」
どうしよう…
恥ずかしがってる彼女を想像すると、頬が緩んで自然と俺の熱も上がってしまう。
とにかく早く彼女に会いたくなった。
本当は、ドラマがオールアップしてからと思っていたけど。
「来週、木曜の午後は撮休なんだ。平日だけど、もし夜でも大丈夫なら…」
「木曜日なら大丈夫です。定時で終われると思います」
「じゃあ、来週の木曜日。店は俺が決めてもいいかな?何か苦手なものある?それか好きなものでも」
「なんでも好きですけど…和食が特に好きなんです」
「じゃあ和食にしようか」
「はい」
弾んだ返事が聞けて、高揚した気持ちのまま電話を切った。



おやすみなさいと電話を切って、スマホをテーブルに置いた。
どうしよう…約束しちゃった。
田中さんに…田中陽介さんに会うんだ。
しかも、2人きりで。
『好きになっちゃってた』
さっき聞いた田中さんの言葉が、田中さんの声で頭の中に響いた。
「は〜」
大きな声を出して溜息ついて。
そうでもしないと、今起きたことが自分の中で消化しきれない。
ファンだから、会うのはいけないと思いますって言うことは出来た。
でも田中さんの…彼の気持ちを聞いてしまったら、もう会えないって言えなくなっちゃった。
私、欲張りなのかな…
私が彼に恋愛感情があるかなんて、今は分からない。
ファンとしてのときめきと、恋をしたときめきってどう違うのかも。
だからまた顔を合わせて、確かめたいと思った。
自分の気持ちを。



毎日仕事に追われて、時々会うことを思い出してるうち、木曜日が訪れた。
彼に教えられたお店は、なんとまゆみちゃんと食事をした個室のみの和食ダイニング。
受付で名前を言うと、すぐ個室に案内された。
引き戸を開けて入ると、まゆみちゃんと入った個室より広い。
広いテーブルに掘りごたつ。
コースターと割り箸が2つセットされてるから、彼と向かい合うことになるんだろう。
なんか、恥ずかしい…
コートを掛けて座ったら、引き戸を叩く音がしてから静かに開いた。
田中さんだ。
「遅くなってごめん。待った?」
「いいえ、私もちょうど今座ったらところです」
3週間ぶり?の田中さんは、ちょっとお疲れに見える。
そうだよね…
初めての主演ドラマ、撮影も大変そうだし色々と気を使うだろうし。
向い合って座ると、なんだか気恥ずかしくなって2人同時に笑ってしまった。
「この間の電話…中学生みたいな告白しちゃって。なんか照れるね」
「私も…自分の気持ちを言うの、苦手なのに。なんだか大胆になってました」
素直な気持ちを言い合ったら、緊張がだいぶ取れた気がする。
綺麗なお造りや温かいお鍋を食べながら、お互いの印象を話してお互いを知っていった。
お鍋やお皿が空になって、濃いバニラアイスを口に入れる頃には、私の口から出る言葉はずいぶんと砕けていて。
まあ、田中さんにみみちゃんて呼ばれて、「敬語はナシだからね」って言われたからだけど。
田中さんは色んな顔を私に見せてくれた。
グラビアやテレビ画面では見たことのない素の顔は、大人の男の人だったり少年みたいだったり。
美海ちゃん、と呼んでくれた時の低くて甘い声。
面白い話をした時のくしゃくしゃな笑顔。
「陽介さん」と呼んでといわれ、恥ずかしくて小さな声で呼ぶと嬉しそうに、でも照れながら「ありがとう」って言ってくれる。
色んな顔を目の前にするごとに、嬉しくてドキドキして…頬が熱くなった。
そして、私の気持ちは目の前の田中さんにまっすぐ向いて行った。
「俺の気持ち、受け止めて貰えそうかな?」
コーヒーを飲みながら、笑顔で言われてドキドキしながら、「…私で…いいなら」
小さな声で、ゆっくりと言葉にした。
「ありがとう」
田中…いえ、陽介さんの手がテーブル越しに私の手を包んだ。
「時間とか、自由がきかなくて申し訳ないけど…こんど、ドラマがオールアップしたら、俺の部屋に来てくれる?」
「陽介さんの…部屋?私が行ってもいいの?」
「もちろん。最近は寝に帰るみたいだし、オシャレでもなんでもないけど。普段の俺のこと、知って貰いたいから」




気づくともう0時をまわっていた。
「そろそろ、行こうか」
陽介さんに言われて立ち上がると、立ったまま私の手を取った。
「個室の外じゃ、手は繋げないから」
大きな掌でつつまれてじっと見てくるから、恥ずかしくて俯いてしまった。
どうしよう。
いきなりで顔を見られない。
でも、温かい…
美海ちゃん、と聞こえて顔を上げると目の前に陽介さんの顔。
耳元で囁かれた言葉にあ、と目を見開いてしまった。
そしてすぐに手が離れて引き戸が開いた。
今、耳たぶに陽介さんの唇が微かに触れた。
そして、低い声で囁かれた言葉。
引き戸が開いたまま、立ち止まって固まってしまった。
「美海ちゃん?」
声を掛けられてハッとする。
「私、ちょっと化粧室に…」
熱いままの頬を押さえて、奥に向かった。



ちょっと、と化粧室に彼女が行ってる間に会計を済ませた。
待ってる間にも、思い出すとニヤけてしまう。
なんなんだよ、あの陽介さんて。
自分の名前呼ばれてこんな萌えたの初めてだ。
「あれ?田中さんじゃないですか」
「え?」
振り向いたら…ゆり子ちゃん?
「どうしたの?…なんか、酔ってる?」
「どうしたのって。撮休だからみんなでご飯って言ってたでしょ。来ないなんてひどい!」
絡むように、俺の腕を掴んだ彼女。
けっこう、酔ってるな。
いつもの彼女なら、俺の腕にふれたりしない。
目が潤んでいて、いつもよりもっと綺麗だ。
こんなんされたら、男は誤解するぞ。
「誰か、待ってるんですか?彼女?」
「いや、まあ、ちょっと…」
言いながら個室の方をむくと、美海ちゃんが立っていた。



化粧室から戻ると、陽介さんが見えた。
近づきながら「よう…」まで口にして、5メートルくらいの距離で立ち止まった。
いきなり、横から女性が出てきて彼に話しかけたのだ。
酔ってるのか、腕を絡めながら見つめる目。
潤んでいて綺麗…
会話が途切れて、彼が気づいて私に駆け寄った。
その時、気づいた。
共演者の岩田さんだと。
岩田さんは、私と彼を交互に見て察してくれたようだった。
何も言わず、離れて行ったから。
「ごめんね、送れなくて。タクシー呼んだんだ。こっちだから」
手を振ってから、来ていたタクシーに乗り込んだ。
まだ胸がドキドキしていた。
岩田さんは…あの共演者の女優さんは、彼のことが好きなんだ。
チラッと見えた彼を見る瞳。
彼への気持ちが燃えてる瞳…
ただの勘だけど、当たってる気がする。
いいえ、違う。
勘なんかじゃない。
今見たことはこの間カフェで耳にしたことの、答え合わせだ。
岩田さんは、陽介さんのことが好き…
…これから、合流するの?
相手役だから、ああやって簡単に触れ合ったり出来るの?
ふと、思い出して耳たぶに触れた。
鼓動が速くなって胸の奥がじりじりする。
胸を右手で押さえて、動揺を鎮めようとした。
『伝えたらまずいかな』って言ってた。
岩田さんが陽介さんに告白したら…
どうなっちゃうんだろう。


































明日、浪漫亭で 4話

2020-07-09 20:38:00 | 書き物
- 4話 -
仕事が終わり、ロッカールームで支度をしていたら、仲良くしてる後輩のまゆみちゃんが小さな声で話しかけて来た。
「小川さん、田中さんと再会出来たんですよね。どうでした?変わってませんでした?」
あぁ…2年前の話、まゆみちゃんにはしたんだっけ。
「うん、雰囲気も喋り方も全然変わって無かったよ。あんなに話題になってるのに、落ち着いてて安心したわ」
「良かったですね。それにしても小川さんてすごい」
「え、なんで?」
「大ファンの俳優さんと2回も会えちゃうなんて」
「うん、まあ…幸運なのかな。でも1回目は最悪なタイミングだったけどね」
そうだ、あれはほんとに最悪な日だった。
田中さんと会えて話せただけで、救われたんだった。
「あ。そうだ、まゆみちゃんにちょっと相談があるの」
「小川さんが私になんて珍しいですね。どうぞどうぞ。なんなら、休み前の明日にご飯でも食べながらとかどうですか?」
「いいね。お願いします」
「了解です」
実は、まゆみちゃんの彼氏はラジオ局で働いてる人。
彼氏から話を聞いてるのか、ラジオ局で見聞きする芸能人の話を教えてくれたりする。
さっきの田中さんのメモのこと、誰かに相談したくて。





マネージャーの運転する車は、あるテレビ局の駐車場に滑り込んだ。
今日はここで、はじめての主演ドラマの顔合わせだ。
ここには、色々思い出がある。
2年前、同じ事務所の俳優の代役で出たドラマもこのテレビ局だった。
ちょうど、美海ちゃんと話をした直後。
与えられた役は、主人公の親友なのに主人公の恋人に想いを寄せてしまう役。
色々相談に乗る内に好きになって、親友との板挟みで苦しむ。
出演場面はポイント的にだったけど、回を重ねるごとに反響が出た。
そのおかげでセリフや場面が増えたりしたのだ。
そのドラマのおかげで、俺の俳優人生に初めてブレイクと言われるものが訪れたんだ。
あの役がなんでそこまで評価されんだろう?
たぶん…ヒロインをひたすら想う芝居を要求された時、美海ちゃんだと思ってやれたから。
そのおかげで気持ちもより入ったし、もっと美海ちゃんに会いたくなった。
でも結局会うチャンスは無かった。
そこからぐっと忙しくなったし、勤務してる書店に直接行くわけにもいかなかったしな。
実は、今回のドラマの相手役は2年前のドラマで、ヒロイン役だった人だ。
そう、俺が片思いをしてた人。
またまた俺が追いかけるらしい。
追いかける…今まさにそんな状況になってるじゃないか。
美海ちゃんを追いかけてる。
そりゃ、連絡欲しいけどけっこう唐突なアプローチだったよな…
3Fの大きな会議室に入ると、まだ少し早かったけど、相手役の岩田さんがいた。
岩田ゆり子。
若手の売れっ子女優。
そうだ。
確か、歳は美海ちゃんと同じ26じゃなかったっけ。
「おはようございます。早いですね」
「おはようございます。顔合わせだし早めがいいかなって思って。今回もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。田中さんに好きになって貰える役、2回目ですね。光栄です」
売れっ子なのに驕らない、感じのいい笑顔。
負担にならない気遣いが出来るのは、若い頃からこの世界にいるからなんだろうか。
この子が彼女だったら、きっとすごく幸せなんだろうな…
でも、今俺が会いたいのは…知りたいのは美海ちゃんなんだ。
ほどなくキャスト、スタッフが集まって顔合わせが始まった。


ドラマの撮影は順調だった。
ロケも天気に恵まれて予定どおり進んだし、キャストも徐々に馴染んで来た。
何より、相手役のゆり子ちゃんが役に合っていて、素晴らしかった。
主人公に追いかけられて、少しずつ気持ちが動いて変化して行く。
初めて恋する気持ちを自覚した時の潤んだ瞳。
そんな瞳を見て、俺も主人公・哲也の気持ちがすっと入って来た。
カットが掛かったら、つい美海ちゃんを思い出してしまったけれど。
美海ちゃんと言えば、連絡先を渡してからもう2週間にもなる。
…やっぱり、ダメなのか。
俺はファンとして見てくれてるだけで、それ以上の気持ちにはなれないのか…?
深夜に撮影を終えて自宅に向かう車の中、疲れと落胆した気持ちを抱えて目を瞑った。
…今日も、連絡は来ないだろう。
もう、0時をまわってるんだ。
荷物を置いて上着を脱いだら、とりあえず風呂に入ろう。
すぐにもベッドに入りたいけれど、体のケアもしないと。
スマホをテーブルに伏せて、バスルームに向かった。


田中さんのトークショーの翌日にでも、まゆみちゃんに相談するつもりだった。
なのに、お互い忙しかったりヤボ用がはいったり。
結局、仕事後のご飯は2週間後。
職場からちょっと離れた和食ダイニングに向かった。
駅からも遠いそこは、オトナの隠れ家というのがウリで、個室だけの店。
こんなとこ初めてだったけれど、まゆみちゃんは彼氏とよく行くらしい。
「芸能人もお忍びでよく来るんですって」
入り口の潜り戸を開けながら、なぜかそこで小声になるまゆみちゃん。
個室に案内され、寄せ鍋とお酒を楽しみながらトークショーの時のことを話した。
「ええ〜田中さんからそんなこと言われたんですか⁈あの田中陽介に!」
「まゆみちゃん、声大きいよ〜」
「あ…ごめんなさい。ですよね、いくら個室って言っても大きな声はNGですよね…」
まゆみちゃんが声をひそめ、言い直した。
「田中さん、草食系で
「うん、それでどう思う?そうですかってすぐ連絡するのも…そもそもファンがそんなことしていいのかな?」
「うーん…」
鍋に菜箸を伸ばしながら首をかしげる。
「でも、また会いたいって言われたんですよね?だから田中さんの方は、小川さんのことファンていうより1人の女性として見てるんじゃないですか?」
「1人の女性…?でもそんな…私と会ったのって1回くらいだよ?」
「いや、でも、常連さんだったのなら小川さんのこと前から見かけてたのかも…」
「そう、なのかな…」
話をしながら、まゆみちゃんがメニューを渡してくれる。
「今日はピッチが早いですね」
「うん、何かね。飲みたい気分なの」
「気をつけて下さいね。ほら、滅多にないけど具合悪くならないように。2年前みたいに」
「あ、そうだね、気をつける」
あの時は、田中さんに迷惑をかけてしまった。
思い切ってお礼を言うために席に行ってしまった時も、すごく優しくしてくれて嬉しかったな。
「さっきあんなこと言っといてなんだけど…また田中さんに会いたい気持ちはあることはあるんだよね…」
ファンなのに…なんて口にしても、胸の奥底にはまた会いたい気持ちはあるのだ。
「そっか…やっぱり小川さんは田中陽介っていう人に、ときめいてドキドキしちゃうってことですよね?」
「それはやっぱり…そうなっちゃうよね」
「だったら、まずお話して会えたら会って。それからファン感情なのかガチ恋なのか判断しても良いんじゃないですか」
「…真由美ちゃん…なんか今、すごく背中押されちゃった。そうだよね、尻込みしてないでまずは話してみるのがいいのかも」
「そうですよ!そうと決まったら、今夜にでも、ね?」
「今夜⁈それはなんか…緊張しちゃうわ」
「もう〜頑張ってみてくださいよ〜」
まゆみちゃんが言ってくれたことで、迷ってた針がブーンと振り切れた。
またお話して、会えたら(連ドラ撮影中なのに会えるのかは?)自分の気持ちもハッキリするかも…
とにかくまずは、電話してみよう。


じっくり飲んで、0時すぎにお店を出た。
コーヒーを飲もうとお店の向かいのオープンカフェを覗いたら、夜遅いのに人がいっぱい。
それでも空いた席を見つけて、狭い席に潜りこんだ。
濃いコーヒーを頼んでから、別腹なんて言いながらふわふわのシフォンケーキまで平らげてしまった。
明日は1日節制しないとね、なんて話してたら隙間があんまり無い隣のお客が入れ替わった。
私たちがずっと喋ってるのに、そのお客…モデルさんかと思うような綺麗な2人は、低い声でポツポツ会話してるだけ。
すぐ隣りの私には、『どうしよう』とか『伝えたらまずいかな』なんて言葉が切れ切れに聞こえて来る。
何だろう…
何か相談事かな。
「…そろそろ帰りますか」
「そうね、2人でタクシーにしようか」
そんな、言葉を交わしながら立ち上がり、コートを持って一歩踏み出した時だった。
「あの、パスケース落とされましたよ」
後ろから聞こえた声にハッとする。
振り返ると、隣りに座っていた女性が私のパスケースを手にしていた。
「あっ…ありがとうございます。失くす所でした」
「どういたしまして。気がついて良かったです」
にっこりと笑顔になったその女性に、どこか見覚えがあって眉を寄せる。
私が差し出した手にパスケースを乗せながら、「みみさんと読むのかしら。綺麗なお名前ですね」
「ありがとうございます」
声で誰だか思い出したけれど、今言うべきじゃない。
笑顔でお礼を言って、まゆみちゃんの後を追った。
「小川さん、どうしたんですか?忘れ物ですか?」
真由美ちゃんに訝しげな顔をされたから、「ん、後でね」と言ってタクシーに乗ってから打ち明けた。
「えぇ!小川さんの隣り、岩田ゆり子だったんですか?全然気がつかなかった」
「だよね。私も、声を掛けられて初めて気づいたよ。…あ」
「どうしたんですか?」
「確か、今撮影中の田中さんの主演ドラマの相手役…」
てことは、今日の撮影は終わったの?
「小川さん、今夜チャンスですよ。撮影終わったのなら」
「あ、そうか。そうよね…ていうかさ」
「ていうか?どうしたんですか?」
口に出そうとして、ふーっとため息をついた。
岩田ゆり子さん、瞳が吸い込まれるみたいに綺麗だった。
優しい透明な声、感じのいい笑顔。
あんな素敵な人と仕事してる人に、私が電話なんかしてもいいの?




タクシーはまゆみちゃんを乗せて走り去った。
コートや荷物を片付けてからお風呂で温まる。
どうしよう…
家にいたとして、こんな遅く迷惑じゃないかな。
確かにこんなチャンスなかなか無い。
でも…
髪を乾かしながら迷っていた。
そして、終わるとラグの上に正座してスマホを手にする。
どうするの、わたし。



















明日、浪漫亭で 3話

2020-07-08 07:58:00 | 書き物
- 3話 -
街中に音楽が流れて、店頭には賑やかな飾り付けが溢れてる。
クリスマスが近づいた12月の土曜日。
巨大なターミナル駅に隣接した大型の書店。
私たちスタッフは、朝から張り切っていた。
店のイベントスペースで、ある俳優さんのサイン会&トークショーがあるのだ。
その俳優さんは、田中陽介さん。
2年ほど前、あるドラマでの役が話題になって、いわゆるブレイクした人。
その人気ぶりで、来月主演ドラマが控えてる。
その田中さんが女性誌で連載してたエッセイが書籍化された。
書店でのサイン会はよくあるけれど、今話題の人気俳優さんともなれば、開店前に並ぶ人数もかなりのもの。
店の前の歩道には長い行列が出来ていた。
係員が付きっきりで行列が乱れないよう、声を掛けている。
私と同期の鈴木都は、田中さんと関係者の方々の誘導と色々お世話をする係。
2人で打ち合わせをしながら、役割分担しなきゃいけないんだけど。
都はつい最近、私が以前いた支店から異動して来た。
まさか、また都と一緒に働くなんて思ってもみなかったのだ。
なぜって…
都は私の元カレとつきあっていて、結婚して辞めるって噂になってたから。
別れて移動したらしい都は、それについては一言も言わない。
三原さんと別れたのは本当みたい。
そんなこと、もう私には関係ないことだけど。



2年前、私は都心ではあるけれど私鉄の沿線の中規模の支店にいた。
24になって、書店勤めも2年目。
先輩の三原さんと付き合い出して半年。
仕事はまだまだ半人前。
けれど、大好きな本に囲まれて仕事も彼といる時間も楽しくて仕方なかった。
仕事帰りに彼と会う時は、いつも繁華街から一歩入ったカフェ、浪漫亭。
彼と付き合ってることは、支店の皆には言ってなかったから、すこし古めかしいこのカフェを使ってた。
まあ、田中さんが常連て言うミーハーな理由はあったんだけど。
いつもカウンターで、コーヒーを飲みながら彼を待った。
美海ばっかり待たせて悪いねって言う彼。
そんな彼にそんなこと気にしないでって言ってた。
だって、待ってる時間も好きだったんだもの。
ある夜。
彼が来て迎えた私がカウンターのスツールから立ち上がった時だった。
階段を登って来た都と目が合ったのは。
他の支店から異動になったばかりの都とは、あまり喋ったことはなかったからよく知らなかった。
でも、彼と私を見る都の目を見たら、なんだか胸をぎゅっと掴まれたみたいになって…
都が奥の席に行ってしまってから、急いで店を出た。
きっと、あれがきっかけだった。
その後、都がいた支店の人に聞いたこと。
気に入った人を都は絶対手に入れるって。
その時はまだ、私は彼を信じてた。
皆が振り返って見るような人。
仕事が出来て女の子から寄って来るような人。
彼がなんで私を好きになってくれたのか分からなかったけど…幸せだった。
彼がくれる眼差しや甘い言葉を信じてた。
たぶん…都が近づくまでは彼の気持ちは私に向いてたのかもしれない。
でも、都が近づいたら簡単に飛んでっちゃった…
あからさまに近づく都を、避けるでもない彼にもやもやして。
挙げ句の果てに、彼のマンションに入ってく都を目撃しちゃうなんて。
私が別れてと言ったら、何も聞かず言い訳もせずに美海が望むならって言った彼。
何か言って欲しかった。
私は言い訳が欲しかったのかもしれない。
胸が苦しくて、押し潰されそうで。
耐えきれなくなって、待ち合わせに使ってた浪漫亭に行った。
彼は来るはずもないのに。
ただ、酔えば楽になるのかって思ったの…

「小川さん」
「あ…はい」
感じのいい笑顔を浮かべて、都が近づいて来る。
異動してきてから、何も無かったかのような私に対する都の態度。
私がいることを知って彼に近づいたのって、どういう気持ちだったの?
聞いたって答えないだろうけど。
「田中さんのご案内、私がしていい?」
「どうぞ。じゃあ、私はその間にお茶を淹れて来ます」
「お願いします」
何だろう…
まさか、今度は芸能人に近づきたいの?
面倒なことはやりたくなさそうだったけど、都ならそのくらいのこと、しそう…
さっさと裏の関係者入り口に向かう都の背中を見つめて、考えた。
いけない。
私はお茶の準備しなきゃ。
田中さんに会うのはあの晩、あのカフェでお礼を言って以来。
あの時はまだ、こんな騒がれてなかった。
だから直接お礼を言えたのだ。
でももう、一般人の私が普通に『会える』人じゃない。
だから、あの時のことを時々思い出しながら、あれからもファンとして応援してる。
でも今日は、言葉を交わすことは出来るかもしれない。
そんなこと、最後だとは思うけど。




控室でお茶のセットを準備して、ポットが音をたてたところでドアが開いた。
「いらっしゃいませ。お疲れさまです」
深くお辞儀をして顔を上げたら、スーツ姿とパーカーにチノパンのカジュアルな姿との、男性が2人、入ってきた。
「お疲れさまです。今日はよろしくお願いします」
2人同時に同じ言葉。
懐かしい田中さんの顔。
「どうぞこちらへ」
会議室を兼ねた控室。
長いテーブルの奥の窓際にパーカーの田中さんが座り、ドア近くにスーツの…たぶんマネージャーさんが座った。
先にスーツ姿の男性の前にお茶を置く。
すると、都がその脇に跪いてイベントの段取りを説明し始めた。
私は窓際まで行ってパーカーの男性の前にお茶を置いた。
田中さん、私のことなんて覚えてないよね…
「失礼します。お茶をどうぞ」
お茶を目の前に置いたら、私を見上げる瞳が見開いた。
「ありがとう。小川…みみさん…だよね?元気そうで良かった」
今度は私がびっくりする番だった。
「あの…覚えていて下さったんですか」
あのカフェで会ってから2年もたつのに…
「よく覚えてるよ、だって俺に向かって倒れて来たんだから。そんなことなかなか無いでしょ」
「あの時は…ありがとうございました」
目を細めて私に笑顔を向けてくれる。
「俺のエッセイ、読んでくれてる?」
「はい、ファンなので。ずっと読んでます」
「小川さん、そろそろ時間よ」
2分も話して無かったと思うけど、そこで時間になったらしい。
都が声を掛けて来た。
「あ、はい。それでは、移動をお願いします」
頷いて彼が立ち上がった。
思っていたより近くに立っていたようで、誘導するように少し前に出ると、何か言いたげに立ち止まったまま。
「田中さん?」
「あのさ、エッセイであのカフェを書いた回ね」
「え?」
「あれ、きみのことなんだ」
そう言うと、私の横をすり抜けてドアへ向かった。
通りしなに一言、
「ずっとまた会いたいって思ってた」と囁いて。

都が誘導して皆控室を出るまで、お茶のセットを洗ってしまい、部屋を出た。
その間ずっと、田中さんに言われたことが頭から離れなくて。
カフェを書いた回は、書籍化にあたって書き下ろされたものだった。
書籍化の告知の時に書き下ろしの章もあると聞いて、すごく楽しみにしてたのだ。
でも、購入したことはしたけれどまだ読めてない…
私は急いでイベントスペースの横にある売り場から、一冊取ってまた無人の控え室に入った。
立ったまま本を開く。
目次を見ると、最後の章のタイトルが『金曜日の彼女』となっていた。

『いきつけのカフェで、金曜になると見かけてた彼女がいた。
彼氏と待ち合わせしてるらしい彼女。
彼氏が来た時の嬉しそうな笑顔。
彼氏がいるのに、その笑顔に惹かれて彼女が気になって…』
金曜にカフェに行くと、彼女を探すようになったこと。
その彼女と1度だけ話す機会があった時、連絡先を聞きだせなかったこと。
また会いたかったのに会えずじまいになってしまったこと…。
いまでも時々思い出す彼女。
たぶん、恋してたんだと思う。
何年か前の話だけどね、と締めくくられてた。
これが、私のことなの?
1度だけ話したって、私がお礼を言いたくて待ってた、あの日の事なんだ。
あの日…
お礼を言いたいからって、いきなり席まで押しかけた私を優しく気づかってくれた。
恋…
田中さんが私を?
頬に手を当てて、はーっとため息をついて椅子に座った。
窓際の、田中さんが座ってた席。
…はじめは素敵な文章を書く人だなって思った。
告知のあったドラマを見たら、動く田中さんをいつの間にか目が追っていた。
友達には地味な人だねっていつも言われたけど…
私は、地味だなんて思ったこと無い。
落ち着いた優しい瞳で、話す声は少し低くて。
その声で喋るセリフがすごく好きだった。聞いていて心地良かったから。
だから、ファンになったんだ。
ファン…
好きと、ファンはどう違うの?
ファンの好きは…男の人を好きなのと違う?
分からない。
首を振って壁の時計を見てハッとした。
そろそろ、トークショーが終わる。
予定ではまたここに戻って来て、それで終了のはず。
コーヒー、淹れないと。

それから5分ほどで控え室のドアが開いた。
「お疲れさまでした。こちらへどうぞ」
都がドアを開け、スーツの人…マネージャーさんに続いて、田中さんも入って来た。
「お疲れさまでした。よろしかったら、コーヒーはいかがですか」
そう声を掛けると、田中さんが準備をしている私に近づいて来た。
「コーヒーをいただいて休憩したいところなんだけど…次の仕事先にすぐ向かわなきゃいけないんだ。申し訳ないけど」
「…そうでしたか。では…」
「駐車場までまたご案内します」
「あ、じゃあお願いします」
マネージャーさんが、都の後ろに続く。
私は見送ろうと田中さんの後ろでドアを押さえた。
「ありがとうございました」
お辞儀をしてドアを閉めた。
はずだったのに、いきなりまたドアが開いた。
びっくりして後ろへ下がると、田中さんが顔を覗かせた。
「ごめん、驚かせて」
「…いえ、あの、どうかされました?忘れ物でも?」
「あぁ、忘れ物と言えば忘れ物かも」
「え?この部屋にですか?」
思わず後ろを振り返って部屋を見渡す。
…何にも、なさそうだけど。
振り返ると右手に小さなメモ紙を持って、田中さんがニコニコしてる。
「これだよ、はい」
「え、あの…?」
私の手を掴んでそれを握らせて、またニコニコと嬉しそうな顔。
…ちょっと、
よりによって、今私の目の前で大好きなそんな顔するなんて。
いけない、頬が緩んでる。
「せっかくまた会えたんだから、チャンスだと思って。時間のある時でいいから、連絡下さい。また会いたい」
ひらひらっと手を振ってから、ドアが閉められた。
何?今何が起こったの?
訳が分からなくて、握らされたメモ紙を見る。
携帯番号と…たぶん、メッセージのID。
田中さんの連絡先だ。
さっきの、エッセイを思い出した。
恋してた、って書いてあったけど…
これはどう受け止めたらいいの。
コーヒーセットを放置したまま、しばらく呆然と立ちつくした。




「で?連絡先渡して来ちゃったんですか?」
「うん。だってこんなチャンス逃したら2度と無いと思って」
「気持ちは分かりますけど…目立たないようにやって下さいよ」
「うん、分かった」
2年前は、まだちょっと幼さが残ってたのに。
何だろう、もちろん俺の好きな可愛さは残ってるけど、大人の女性になってた。
また会いたくて、そのまま帰るなんて出来なかった。
連絡、くれるかな。
して欲しいな…
「ニヤニヤしてないで、これから次のドラマの顔合わせですからね。いつもの田中さんでお願いします」
言葉は丁寧だけど、マネージャーの高橋くんはけっこう口うるさい。
でも、やり手の彼のおかげで助かってるのも事実なのだ。
「んー、分かりました。頑張ります」
日が暮れかかる空を車の窓から眺める。
あの時…2年前のドラマが無かったら、今こうしてることは無かったかもしれない。





























明日、浪漫亭で 2話

2020-07-07 23:12:00 | 書き物
- 2話 -
金曜日の夜22時過ぎ。
俺はいつものように荷物を持って、浪漫亭に向かった。
クリスマスも過ぎたし、もう世間は年末に向かってる。
こんな時間のカフェは空いてるかもしれないな。


お馴染みのカウベルを鳴らし、こげ茶の木の階段を登る。
これまたお馴染みのボックス席に着いて、コンパクトなノートPCを開いた。
このカフェ自慢の濃い香りのストレートコーヒーを注文してから、カタカタと文字を打つ。
客はちらほらいるけれど、低いジャズと客の話す声が聴こえてくるだけ。
キーボードを打つ音がやけに響く。


一区切りついてコーヒーをすすり、PCを閉じようと手を伸ばした時だった。
「あっ」と一声だけ聞こえて思わず上を見上げる。
パッと目に飛び込んで来たのは、小柄な女性が俺のテーブルめがけて倒れて来るところ。
「危ない!」
思わず叫んで立ち上がった。
ギリギリで受け止めて見ると、顔色が真っ白だ。
「大丈夫ですか」
声を掛けると、ぐったりしてる。
両腕を掴んで崩れ落ちそうな体を支えた。「大丈夫…です」
テーブルに手をついて、どうにか自力で立てるみたいだ。
「ごめんなさい…ありがとうございます」
掴んでいた腕から手を離すと、髪を耳に掛けながらふうっと大きく息を吐き、顔をこちらに向けた。
「あ…」
ここ数ヶ月、金曜日になるとこのカフェで見かけてたあの彼女だ。
血の気が引いた顔。
いつものぽってりした唇も、ずっと噛み締めていたのかカサカサと乾いて見えた。
今日は金曜。
彼氏はいったいどうしたんだ。
「すみません、ご迷惑かけて…失礼します」
覚束ない足取りで行こうとするから、思わずまた腕を掴んでしまった。
「いや…ちょっと、良かったらここに少し座って休んだら?まだ顔色悪いし。ふらついてるように見えるよ」
見開いた目の際に、涙が渇いた跡。
何かあったのか…
「…ありがとうございます」
一瞬迷った顔。
よほど体調が悪いのか、へたりこむように俺の前のシートに座って横の壁に寄りかかった。
そのまま浅い呼吸を繰り返しているのを見かねて、
『これ、飲む?口つけてないから…」
目の前に水のグラスを置いた。
ぺこっと頭を下げると慎重に飲んでる彼女。
そうだ…もしかして、飲み過ぎて吐いて来たのかもしれない。
彼女が出て来たのは、トイレの方だったから。
しばらく俯いて深呼吸を繰り返してたけど、10分ほどたったらだいぶ頬に赤みがさして来た。
テーブルを腕で押して立ち上がろうとするから、大丈夫かと心配になる。
「もう動いて大丈夫?」
「はい、あの…もう大丈夫です…ありがとうございました。ご迷惑をおかけしてしまって」
「いや…顔色も戻ったみたいで良かった。気をつけて階段降りてくださいね」
「はい、ありがとうございます…失礼します」
俯いて立ち上がり、また頭を下げてから行ってしまった。
いつものあの男はいないのか。
もしかして、悪酔いでもしたのか…
聞きたい言葉も言えず、いなくなってしまった。




それから俺は、またちょくちょくカフェに行ったけれど、1か月も彼女を見かけなくて。
そうこうしているうちに、2月になってしまった。
4月からの連ドラの撮影の前に、今回は細々とした仕事が入ってる。
このカフェにもなかなか来られなくなるかもしれない。
もう会えないのかと思うと、がっかりしてしまった。
そして、今日もいないんだろうな、と期待しないでカフェに向かった翌週の金曜日。
2階のいつものボックス席に座り、コーヒーを注文する。
PCやらメモやらをテーブルに並べていると、近づいてくる靴音。
コーヒーが来たかな、と思い顔を上げるとそこに彼女が立っていた。
俺はよっぽど驚いた顔をしていたらしい。
「あの!ごめんなさい!どうしてもお礼を言いたくて。お席まで来てしまいました。お仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい」
困り顔の彼女を見て、不謹慎にもこんな顔も可愛いと思ってしまう。
「あ、いや、そんな謝らないで。きみが謝ることじゃないよ。良かったら座ってください」
そう勧めると、胸の前で手のひらをぶんぶんと振る。
「いえ、あの…お仕事中ですし、このままお礼だけ言わせてください。ほんとに、ありがとうございました」
ぺこっとお辞儀をして立ち去ろうとするから、慌てて止めた。
せっかく、話すチャンスなのに…
「ねえ、そんな急ぎの仕事でもないから、気を使わないで。良かったらちょっと話さない?」
そろそろと俺の方に向き直り、それでもいいのかな?って顔してる。
「…いいんですか?私、田中さんのエッセイが好きで…ファンなんです。なのに」
「俺の、ファン?」
思わずポカンとしてしまった。
雑誌宛に手紙を貰ったことはあるけど、面と向かって言われたのは初めてだ。
「とにかく、良かったら…。ファンなんて言われたら余計、話してみたくなったよ」
「あ…ありがとうございます。じゃあ」


目の前に座った彼女はもう顔色も良くて、いつも見かけてた彼女だ。
「あの、本当にありがとうこざいました。お仕事のお邪魔じゃ無かったかって気になってて…」
「そんなこと、気にしないで。もしかして、飲み慣れないお酒でも飲んだの?」
「そうなんです…ちょっと飲みたい気分になって飲んでいたんですけど…気付いたらいつもの倍飲んでしまって。そのくらい大丈夫だと思ってたんですけど」
「そうなんだ。まあ、飲み慣れないと悪酔いしたりするからね。もう、体調はいいの?」
「はい。もう大丈夫です」
飲み慣れない酒か…
もしかして、待ち合わせしてたあの男のせいか?
そう言えば、彼女を見ない間アイツも見なかったな。
俺は『あの男』のせいと決めつけて、早くもアイツ呼ばわりしてしまった。
もしかして、アイツとは別れたんだとしたら。
そしたら…
すぐには無理かもしれないけど、彼女と近づきたい。
彼女のことを知りたい。


「そういえば…俺のエッセイのファンて言ってくれけど、俺の仕事も知ってるの?」
「もちろん、知ってます。告知があったらちゃんとドラマも見てます」
ニッコリと笑顔になった彼女は、ほんのり頬が染まってる。
「あの…私ずっとエッセイを読んでたので、この間田中さんに助けて貰えたなんて、夢みたいなことなんです。それだけじゃなくて、こんな風にお話出来るなんて…」
頬を染めてから、俯き気味に目を伏せた彼女。
どうしよう。
離れて見てた時より、ずっと可愛い。
決して派手な顔立ちじゃない。
鼻筋の通った美人て言うよりくりくりしたタレ目の小動物系。
こうして恥ずかしがったり照れたりする子に、俺は弱いんだ…
それに、ちょっとぽってりした唇がきゅっと上がる笑顔にも。
だから、ずっとカフェで見てきた笑顔が真前で見られて、嬉しい。
はずなんだけど…
なのに…何かが胸につかえてる。
何だろう、この気持ち。
がっかりしてる?
たぶん、『ファン』だって言われたから。
そんなに多くはないだろう、俺の『ファン』だと言ってくれたんだから、もっと喜ばなきゃ。
手を両手で握って、目を見て『ありがとう』くらい言わなきゃ。
それは分かっているんだけど。
俺の中から、それじゃ嫌だって感情がムクムクと湧いて来たんだ。
でも。
こうして話すのは今日が初めてだ。
また、会えたら。
だんだんと、素の俺を知ってくれたら…
あ…それでも今日、名前ぐらいは知りたい。

「あっ、そうだ。もし良かったら。名前、聞いてもいいかな」
「私の…ですか?あの、、小川みみ、です」
「みみさん…どんな字を書くの?」
「美しい海です。名前負けしてますけど…自分では気に入ってるんです」
「いや…名前負けなんて。そんなこと、全然ないよ。素敵な名前だし似合ってる」
緊張するとセリフみたいに滑らかに喋ってしまう。
俺の悪いくせだ。
ちゃんとそう思ってるのに…
言ってしまってから顔が赤くなって焦った。
チラッと彼女を見たら、彼女もまた頬を染めて少し俯いていた。
それがまた可愛くて、俺はもっと彼女のことを知りたくなった。
強引だと思われないよう、仕事のことや趣味やどこに住んでるか…
自分のことも織り交ぜながら聞いた。
だんだんと慣れて来たのか、笑顔を見せながら話してくれる。
それが嬉しくて、いつもはそんなに滑らかじゃない俺の口が、嘘みたいに滑らかになってた。
でも1番に聞きたいのはアイツのこと…
嬉しそうに待ち合わせしてたアイツと、まだつきあってるのか聞きたかったんだ。
でもさすがに、初めてちゃんと喋ったくらいじゃ聞きにくい。
でも、聞きたい…
そんなことを考えていると、彼女がチラッと時計を見て立ち上がった。
「あの、私、そろそろ帰りますね。時間もだいぶ遅いですし」
「あ…もう、そんな時間?」
「はい。今日はありがとうございました。田中さんとこんな風にお話し出来るなんて…本当に嬉しかったです」
「いや、こちらこそ楽しかったよ。あの、、」
また会える?と、口にしようとした時だった。
「私、今日で異動になりまして…」
「異動?」
「はい。本店に行くことになって。今日が支店の最後だったんです」
彼女が勤めているのは、大手の書店チェーン。
このカフェの近くだから来てたらしい。
本店は、だいぶ離れた大きなターミナル駅の近くだ。
「じゃあ、このカフェにももう…」
「遠くなるので来られないんです。せっかく馴染んだのに寂しいですけど」
俺は慌てた。
次会う約束も取り付けてないのに。
いや、それより連絡先も知らない。
どうしようか。
ここで聞いたら教えてくれるのかな…
「最後の日に、憧れの田中さんと会えてお礼を言えて、本当に嬉しかったです。次のドラマも頑張って下さいね。応援してます」
そう言うと、ペコっとお辞儀をする。
彼女に『憧れ』なんて言われてしまった。
そんな俺が、連絡先教えてとか言ったらガッカリされるだろうか。
口から出るのは、「あ…じゃあ、異動先でも仕事頑張ってね」なんて言葉。
はい、と笑顔で背中を向けた彼女に、もう一声かける勇気が出なかった。
彼女の姿が消え、椅子にドカッと座る。
なんてポンコツなんだ、俺…



この後も作業を続ける気になれなくて、カフェを出た。
カフェのある通りから50メートルほど歩くと、結構な繁華街にぶつかる。
そこの歩道で溜まってるグループにふと目をやると、彼女と…美海ちゃんと待ち合わせしてたヤツがいた。
そして、側にはべったりとくっついてるちょっとオトナ顔の女性。
二次会なんて言葉が聞こえるから、たぶん職場の飲み会の流れなんだろう。
今の俺には関係ない世界だ。
駅に向かう為に、すぐ脇を通って道を横断した。
信号を待っていたら、「ねえ、あの人どこかで見たことない?ドラマとか…」と、女性の声で聞こえた。
俺のことか?と思ったけど、振り向いて自意識過剰みたいに思われたくない。
早く信号変われ、と思いながら立ってた。
すると、追いかけるみたいに男の声。
「全然分かんないよ。まあ、テレビに出てる芸能人なんて色々だからな。分かんないってことは売れてないんだろ」
なんだよ。
そんなこと、自分が1番分かってるよ。
青に変わった横断歩道を、ムカムカしながら急ぎ足で渡る。
確かにこれといった代表作なんてないし、事務所の売れっ子のバーターとか、友達とかなんてことない役ばっかりだけどな。
電車に乗って家に着くまで、俺は久しぶりに猛々しい気持ちになってた。
分かったよ、売れりゃいいんだろ?
ちょうど数日後にドラマの撮影が始まる。
同じ事務所の売れっ子が体調を崩して降板して、なぜかその役が俺にまわって来たんだ。
今まで俺には来なかった、出番もセリフも多い役。
こんなチャンスなかなか無いんだ。
逃してたまるか。



あぁ、ほんっとドキドキした。
まさか、雑誌のエッセイでしか知らない人と、顔を合わせて話すなんて。
素敵だったな…
地味って言う人いるけど、そんなことない。
まつ毛が長くて…じっと見られてどうしようかと思った。
支店最後の日の、ステキな思い出になった。
思い出して本店でも頑張らなくちゃ。
もう会うことなんて、無いんだから。














明日、浪漫亭で

2020-07-06 07:56:00 | 書き物
- 1話 -
事務所でのスケジュール確認と打ち合わせが終わった。
コートを手にして帰ろうとすると、マネージャーが声を掛けて来た。
「陽介さん、今週もあの店ですか」
「あ、うん。まだ連載書き終わってないしね」
「今日、僕もご一緒していいですか」
どうした、急に。
今まで何回もあのカフェ…事務所の近場の浪漫亭に行くって言っても、そんな事言わなかったよな?


俺は俳優を仕事にしてる。
俳優って言っても、映画で主演したりゴールデンのドラマで主役を張る人ばかりじゃない。
そもそも、そんなに主役の役者ばかりじゃ、他の役はどうするんだ。
そんな、『他の役』がほとんどの俳優の俺。
どんな役かはその時によって違うけど。
エンドクレジットでその他大勢から始まって、今はそれでも少し真ん中辺の字が少し大きくなった所。
20の頃からこの世界に入って8年。
そろそろもう少しランクアップしたい気持ちはある。
まあ、なかなか思うようにいかないけどな。
芝居の仕事以外では、女性向けファッション誌にエッセイを連載してる。
あるドラマに出た時、たまたま短いインタビューを受けた。
その雑誌の記者に、書かないかと誘われたのがきっかけ。
学生の頃から文を書くのは好きだった。
まさかそれが仕事になるとは思わなかったから、正直嬉しかった。
しかも、それが好評で月イチの連載になってるんだ。
中には、エッセイから俳優業のファンになりましたと、手紙が来ることもあった。
そのエッセイを書くのに毎週金曜に事務所に近いカフェ、浪漫亭に行ってる。



マネージャーの高橋くんは、俺と同い年。
でも、仕事中は段取りも良くてしっかり管理してくれる。
仕事の出来るマネージャーだ。
あんまり仕事が終わった後のことまでは口を出して来ないんだけど…
「陽介さんのお目当ての子、僕も見てみたいなと思って」
いつの間にか彼もコートを羽織ってる。
「なんだ、そういうことか。言っとくけど、ただ見てるだけで喋る訳でもないし。そもそも、あっちは俺のことなんか知らないし」
「いいんですよー。ただ、陽介さんの女の子の好みを、マネージャーとして見ておこうかなってだけで」
「…どうしたんだ?」
「仕事ですよ、これも。ま、暇なんですけどね」
苦笑いを浮かべ、ついてくる。



事務所が入ってるビルから出ると、冷たい風に首を縮めた。
12月も20日を過ぎてもうすぐクリスマス。
今夜から寒気が来ると言ってた天気予報、当たったな。
歩いて5分で行けるそのカフェは、古い洋館のような作りだった。
実際、築年数はかなりだ。
二階建てで大きいし、この辺りだけ異質な雰囲気になってる。
どっしりと重いこげ茶のドアを開けば、カウベルが高い音を鳴らす。
1階のテーブル席には目もくれず、俺はまっすぐ2階に上がった。
2階には長いカウンターと、その後ろに個室みたいに仕切られたボックス席が並ぶ。
1番奥のボックス席に座って、まずはPCとメモを広げた。
「このボックス席、いいですねえ。周りから全然見えなくて。執筆も捗るでしょうね」
「まあね。ここを使ってる一番の理由はそれだから」
「だとは思いますけど…。で、例の子はどこなんですか」
「しっ。大きな声は出すなよ。ほら、カウンターの真ん中より向こうにいるのがその彼女」
今いる席からだと、彼女の横顔がよく見える。
顎のラインくらいの長さのゆるくカールした髪。
ストローをくわえてる明るいローズの唇が、ぷっくりしてて可愛い。
「ごめん、待った?」
少し高めの男の声。
スツールに座ったまま、立ってる男を見上げる彼女。
綺麗にメイクした瞳を見開いて笑顔になった。
少し切れ長の二重の目が、笑うと垂れ目になる。
嬉しそうな、幸せそうな顔。
この笑顔を初めて見た時、勝手に煩く鳴り始めた俺の胸。
なんでかなんて分からない。
彼女の笑顔が俺の胸のど真ん中にヒットしたんだ。
…やっぱり、可愛い人だな。
俺にこうして笑いかけてくれたら…
「なんというか…可愛い人ですね。あんな嬉しそうに笑ってくれて。彼氏羨ましいな」
「だろう?彼氏がいるのは分かってるけど、つい見とれちゃうんだよ」
「陽介さんも、あんな子探さなきゃ」
「いいの?今彼女作っても」
「…まあ、大丈夫かと」
「売れてないからな…彼女いたら騒ぐファンとかいないし」
「まあまあ…次のドラマも決まったんだし、頑張りましょうよ」
「そうだな。でも、信じられないよな…石田くんが降板したからって、俺にあの役がまわって来るなんて」
「チャンスはモノにしないとね」



12月も、20日を過ぎた金曜日。
仕事が終わって、従業員出口から外に出た。
今夜から寒気が来るって予報で聞いた。
風が冷たい。
「さ…むっ」
素早くマフラーを巻いて、急いで待ち合わせのカフェまで急ぐ。
金曜日はいつも、馴染みのカフェ、浪漫亭で待ち合わせしてから彼と出掛ける。
私の方が先に終わるから、いつもカウンターで待ってる。
彼と付き合って半年。
仕事が出来て、皆が振り返るような容姿で…その彼が付き合ってと言ってくた。
彼と会うとドキドキしてふわふわして、幸せな気持ちになれる。
今でも少し緊張しちゃうけど。
ただ、今度のクリスマスは…
用事があるから25日に会おうって。
彼女との初めて迎えるクリスマスイブなのに、用事って何?なんだろう…
気になったけど彼には聞けなかった…
ふと、この前カフェで都…同僚の都に会った時のことを思い出した。
あの時、都は私じゃなくて彼をじっと見てた。
なんで。
なんで今頃、こんなこと思い出すんだろう。
彼のことを考えよう。
25日、何を着ようかな。
バッグを持ち替えたら、雑誌を入れた袋がガサガサと音をたてた。
そうだ、彼を待つ間エッセイを読もう。
連ドラも決まったって速報が出たばかり。
ファンとしては楽しみが増えるな。
この人の書く文章も、纏ってる雰囲気も好き。
正直、顔の造りも付き合ってる彼より好きなんだ、私。
正統派のイケメンじゃなくて、最近よく聞く塩顔になるのかな。
優しい目元がいいなっていつも思うの。
でも私はただのファンだもの。
田中さんと付き合いたいとか、そんなんじゃない。
だって、俳優さんとは付き合えるわけがないよね。
実はあのカフェを待ち合わせに使ってるのも、田中さんのいきつけだから。
以前、エッセイで写真を載せてて、職場の近くじゃない!ってテンションがあがっちゃった。
彼には内緒。
言っても気にしないだろうし。


カフェのカウンターに座ったら、エッセイを読んだ。
漱石の『月が綺麗ですね』を、好きな子に言いたいなんて…
面白い人。
今どきそんなこと言いたいなんて…ロマンチスト?
んー…でもこんなこと言われたら、私は嬉しくて感動しちゃうかも。
「ごめん、待った?」
いつもビシッとしてる彼が立ってる。
スツールをまわして彼を見上げたら、すぐに手を取って引っ張られた。
今日もカッコいいな。
女の子が好きなちょっと強引なやり方、分かってる人。
でもきっと、彼は『月が綺麗ですね』なんてことは言わない人。
スツールを降りて、チラッと奥のボックス席を見た。
あそこが、田中さんの好きな席らしい。
誰かいるけど…もしかして?
「美海、行くよ」
「あ、はい」
彼に手を引かれて階段を降りながら、他のことはすっかり頭から追い出した。
これから、彼とデート。
余計なこと…手の届かない俳優さんのことを気にしちゃダメ。