赤留山の日の出

日頃思った事、感じた事を書いてます。

ドジョウの話

2011-06-07 22:16:09 | Weblog
 これは、生前母から聞いた話です。

兄が子供だった頃の事です。

兄たちは時々遊びがてら、近くの川でドジョウを捕ってきてはおかずにしてもらって

いました。

 とあるとき、大きなブリキのバケツにドジョウをたくさん捕ってきました。

料理する前に、泥を吐かせておかねばなりません。

兄たちはそこで、木の風呂桶にドジョウを入れ替えて置きました。

(生家は、玄関を開けると直ぐ左手に風呂があったのです。)

ここまでは、良かったのです。

 その後、事件が起きました。(ジャジャジャ~ン!)

夕方父が、大工の仕事を終えて帰ってきました。

いつものように、きものを脱いで風呂に入りました。

父はまさか、ドジョウが入っているとは思いません。

「うわぁ~~!!」

青天の霹靂とは、此の事でしょう。

中にいるドジョウ達もびっくりだったようです。

ジャワジャワ動き出し、ヌルヌルすべって父も出るに出られずやっとの思いで

抜け出したそうです。

一時蛇かと思ったらしく、生きた心地がしなかったとか、、、。

これまた、母は笑いを押し殺して見ていたそうです。


昔の実家での暮らしは貧乏で両親の喧嘩が絶えず、暗い家庭だと思いながら

過ごしてきましたが、、、。

逸話を掘り起こしてみれば、不思議なそして面白いことが一杯あったのですねぇ~。


今姉たちがいる間に、昔の話を聞いておこうと思います。
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がまがえるの話

2011-06-05 00:00:14 | Weblog
 最近、姉から聞いた話です。


父と母はよく喧嘩をして居りました。

父は剃刀みたいに頭の切れる人でした。

と、母は我慢強い人でした。

 我が家は、「星ひゅうま」の父の様にお茶碗の飛んでくる風景でした。

そのときは母も、ジッと耐えてやり過ごすことも有ったようです。

いよいよ堪忍袋の緒が切れて、時々は喧嘩のお返しをしていたようです。


父は蝦蟇蛙が大嫌いだったそうです。

(私が子供の頃大きな蝦蟇蛙はよく見かけました、、、。)


{ふと有る夕方、母が父に「畑に行って野菜を採ってきて下さい。」と頼みました。

そこは必ず蝦蟇蛙が潜んでいる所です。

何にも知らずに父は畑にでかけました。

その後畑から父の「ぎゃあ~!!」と言う大きな叫び声がしました。

母は心の中で「やったあ~!」とほくそ笑んでいました。}とさ、、、。


めでたし、めでたし。




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最近の出来事

2011-06-01 16:37:09 | Weblog
 5月の半ばに、M市の義兄が亡くなりました。

2年以上の闘病生活でした。

癌と痴呆とその他の病気を患っていました。

在宅介護、入院手術、転院、転院、老人施設、最後は病院での看取りとなりました。

姉の家族は皆で、一生懸命介護にあたりました。

私もその都度、出来る限りお見舞いに行きました。

 複数の病気を抱えてしまうと、対処に大変な苦労がかかります。

特に痴呆症を患ってしまうと、普通の病院では対処しきれず

また、心療科専門の病院でも内臓の病気が満足に対処し切れず、、、。

と言う事で、何かある度に病院探しでした。

最後の老人施設で、癌が再発して結果手遅れとなってしまったようです。

お金もかかり、自宅を売却して隣町の小さな建売を購入し

引っ越してしまいました。

本当に毎日毎日大変な事だったろうと、思います。


 よ~く考えてみますと、我が家で同じように病気になったとしましたら

なんにもありませんので大変に困ってしまいます、、、。

おそらく看取り位しか出来ないでしょう。

家人より、私が先に逝くしかありません。(クワバラ、クワバラ)

(といいながら、絶対先には死ぬもんか!!)



 
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