赤留山の日の出

日頃思った事、感じた事を書いてます。

私の父

2006-12-25 00:17:53 | Weblog
私の父は明治42年生まれで、今生きていれば97歳です。
母とは同い年でした。
20歳の時にお寺にいる母のところへ、婿として入ってきました。
その後8人の子を儲けました。
貧乏なお寺で、母が少しばかりの田畑を耕して暮らしていました。

父の職業は大工でした。
頭も、腕も、運動も、字も達筆でした。
ただ非常に短気な性格でしたので、私達はいつもピリピリして
いました。
ご飯茶碗が飛んで来るのはしょっちゅうでした。

後になってから母が私にこんな話をしてくれました。
「おまえが赤ん坊の時に(2月に生まれました)余りにも泣き止まない
ので、うるさいからと言っていきなり抱いて家の外の
雪の中に放り投げたんだよ!」
「まったく、いくら雪の中では怪我しないからと言ったってー。」
その時姉が、急いで私を助け出したそうです。
その話を聞いて私は、ひどい父親だったんだなーと思いました。

父は、50歳の時に胃癌で亡くなりました。

そんな父を少し理解できるようになったのは、私が結婚して数年たって
からでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食事の支度

2006-12-23 23:42:51 | Weblog
夕ご飯のおかずがマンネリ化してきたので少し工夫してみようかなー、と考えました。
職場の仲間に聞いたり、料理の本をよく見るようになりました。

かつて小学生の頃から、多少の手伝いはしていました。
夏にはよく素麺をゆでていたのですが、いつもゆですぎては姉に叱られて
ばかりでした。だから料理に自信は有りませんでした。
 ただ母が料理上手な人でしたから、美味しい味の物は食べていた様に
思います。
特に野菜は、畑からのとりたてでしたから大変美味しかったです。

 と言う訳でもないのでしょうが、私の料理は素材その物を第一に考えて
余り手を加えずに、煮たり焼いたり蒸したり炒めたり揚げたりが多いです。
その中でも魚を「焼く」のが上手です。が、これでは料理上手とは
言えませんよね。
私も少しは腕を上げたいですねぇ。

この頃本を見て作りだしましたら、なるほど美味しく出来上がり
嬉しくなりました。
さすがに「お好み焼き」は無いだろうと思いつつ、何冊も調べましたら
有りました。これにも実は驚きましたが、、、。
その通りに作ったら美味しく出来上がり、家人にも好評でした。
包丁持って40数年、実績を積むゾウー。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

職場で

2006-12-22 01:26:49 | Weblog
この頃、夕飯のおかずがマンネリ化してきたなあ、と思いまして
毎日料理の本を見たり、職場の仲間に聞いたりして工夫しています。

後輩には、何と過去にケータリングまでされていた男の人が居ます。
 ですから料理に関して何でも教えてくれます。
ちなみに一度「お茶」を頂いた事があるのですが、その時に出してもらった
メロンは最高の味でした。
程よく冷えて、熟れ具合も丁度よく、こんなに美味しいメロンは本当に
初めてですごく感激しました。
 尚、ご家庭の食事の支度は毎日されているそうです。

後輩と言っても70代の人ですが、気持ちも若く穏やかで、仕事も
きちんとされるし、皆からも信頼されています。
 
私も「将来あんな風に過ごせたらなー。」と思っています。

我が家の食事の支度については次回にします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある日の買い物

2006-12-19 01:28:01 | Weblog
仕事の帰りに買い物をしていきます。

殆んど毎日地下の市場に寄ります。
そこには、花屋、八百屋、チケット屋、お菓子屋、洋服屋、惣菜屋、肉屋、
魚屋、鰻屋、寿司屋、ラーメン屋、スーパー、薬屋があります。
鮮度も良く値段も安いので大変重宝しています。

とりあえず今日の献立を頭に描いて、、、と。

買い置きのラーメンに餃子又はハンバーグと、大根の煮物に決めました。
挽肉と餃子の皮と卵と大根と飲み物を買う予定です。
八百屋で大根105円、
肉屋で卵、牛乳、挽肉、皮、合計で1091円、
スーパーでジュース、ヨーグルト、パン、豆腐、合計1300円、
締めて2496円でした。

今年は、野菜が安くて美味しいので大変助かります。
100円でおかずが作れますよ。

今日の八百屋での光景です。
大根を持ってレジに行きました。前に女の人が2人並んでいました。
一人目の人が、財布からゆっくりお札と小銭を探して出していました。
若い店員さんがムッとなり、お金を貰うと愛想のよい顔に戻りました。
次、二人目の人です。
手提げかばんの中をゴソゴソしています。
なかなか財布が出てきません。しばらくして財布が出てきました。
次、私の番になりました。
前もって105円を握り締めていましたので、直ぐにレシートを
貰いました。締めて1分は掛からなかったと思います。

レジに並ぶたびに思うのですが、
サービスを受ける側、与える側に関わりなく自分で最低出来る事は
行動したほうが、お互い得になるのではないでしょうか?

せめて財布位は握っているとか、、、。
私の独り言でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

左利き

2006-12-15 00:21:16 | Weblog
私の左利きは自転車でのことであります。
皆は自転車の左側から乗りますが、私は初めて乗ったのが自転車の右側から
でした。

それは小学校4,5年生の頃の事だと思います。
{その当時子供用は売っておりませんでした。}
大人用自転車のサドルに届かないので、三角乗りと言って
サドルに腰掛けないで両足だけでこいでいました。

フレームが3角形になっており{ダイヤモンドフレーム}と言うそうです。

その時見よう見まねで始めたのですが、多分右側から乗るんだろうなーと
思ってやったのが間違いでした。
皆と違うほうから乗っていると気付いたのは、暫らくしてからでした。

道路を走り出してから、乗り降りする時に不自由をしています。
何故かと言うと、車のほうに身体があるからです。
それと駐輪場で2階に上げ下げする時に、人とぶつかるからです。
ですからいつも急ぎ足です。

こんな訳で、何事も後から失敗がわかります。
こんな性格ですが、自分なりに理由付けをしては前に進んでいます。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幼いときのいじめ

2006-12-10 23:53:12 | Weblog
最近の「いじめ問題のニュース」を見て、昔の事を思い出しました。

小学生の時の事です。

真冬、学校からの帰り道に、同級生の女の子4人位と一緒に歩いていました。
雪が4~50センチはありましたでしょうか、
私は非常におとなしかったので、いつも一番後ろからついて歩いていました。
と、突然にある女の子が私の後ろに回り、背中のランドセルごと突き飛ばして
顔ごと雪に押し付けるではありませんか!
ギュウギュウ押されて苦しく、ついに鼻血が出てしまいました。

周りの同級生は誰も何も言わず、ジッと見ているだけでした。
私もただ黙って我慢するのみでした。この事は誰にも言えませんでした。


今年の夏帰省した時に、初めて姉に話しました。
すると、「そうか~。そんなことがあったんだ。実はそこの家で、不幸な
出来事が有ったんだ。その子も何かストレスがあったんだべな~。」

今私は、その子が「いじめ」をした意味が少しは理解できたかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オマジナイ

2006-12-09 00:22:43 | Weblog
私のオマジナイは快眠、快食、快便(快腸)です。

日々嫌な事を言われたり、思うとうりに行かない事があった時等に
「快眠、快食、快便」を2回ほど唱えるのです。
そうすると「あ!大丈夫だ。今日もいける、いける。」と。

自分の健康、「こころとからだ」がマズマズであればとりあえず
今日も明日も生きて行ける。

たまたま食べ物の好き嫌いは少ないし、人への思いいれも
余り強くないし、忘れるのも早いし、と言うわけで
ストレスへの耐性もあると思うし、、、。

自分の短所は一杯ありますが、オマジナイを唱える事によって
「よし!頑張ろう!」と思うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする