えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

なぜ練習するかについての長い話

2018-11-01 10:34:44 | えこばなし
なぜ練習するのか考えてみましょう

という話をします。

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なぜ練習するのか?には

1「基礎的・根本的な練習」
 上手くなるため
 技術力アップ

2「欲望的な練習」
 趣味
 止むに止まれぬ研究欲

3「〆切切りのある練習」
 次のクラスのため
 舞台(発表会)のため


の3つがあるとします。


1は日常的に行う練習で、これは生徒さんだと「そんなものはしたことはない」という人もいるかもしれません。クラスレッスンがその代わりをしているかも。
ルーティンワークとして基本練習をしたり、メトロノームと戯れたり、パルマをCDと叩いてみたり、というようなすごく基本的な練習です。

2も1に含まれます。これなんかは「え?なんじゃそりゃ」と思う人が多数かと思います。
というか「研究して突き詰めていかないと気が済まない」みたいな人は、これ読まなくていいです。もう、好きなようにやったらいいです。そのままで絶対上手くなりますから。遠回りするかもしれませんけど絶対素晴らしい果実が実りますから。

で生徒さんが一番身近な練習といえば3の「〆切のある練習」。
つまり「振り付けを消化して次のクラスに備える」「発表会のために振り付けを消化する」という練習でしょう。
おそらくこれが皆さんにとっての一番多い練習。「練習とはそういうものだ」と思っているかもしれません。
なので今日はこれについて書いていきます。


〆切切りのある練習は目的がそこそこハッキリしていますね。
2の止むに止まれぬ研究みたいなのは「一体自分はどこへ行くのかわからない」という状態なものですが、もっとハッキリとわかりやすい。
例えば発表会に向けて、だとしたら「発表会の本番で、良い踊りをする」とか「発表会の本番で、先生に褒められる」とか「発表会の本番で、家族にギャフンと言わせる」とか「発表会の本番で・・」につきます。
しかしその後に続くものは人それぞれですから、ここが考えどころです。
あなたの目的はなんでしょうか?

ではその目的はどうすれば叶えられるのでしょう?
「良い踊りをする」という目的だとしたら、自ずと「良い踊りとは何か?」という問いが立ち上がります。
先生の褒められる踊りとはなんでしょう?
家族がギャフンと言う踊りとはなんでしょう?
それを考えてみましょう。

こちらの答えはなかなか難しいのではないでしょうか。

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ここで急に話が変わります。
フラメンコというのは、ものすごい共同作業の割合が多いものです。
踊り・ギター・歌・パルマがあって、もちろんそれぞれがそれぞれの仕事をしているのだけど、その仕事の受け渡しや分担などは事前に分担されるのではなく一曲の間に行われますね。だから、フラメンコ脳が出来上がっちゃった人は「事前に分担表とかを渡されても覚えられない」ということ(生徒さんビックリあるある)が起きます。
なので踊っている最中にそういう分担したり頼んだり頼まれたりするのが共同作業の基本のキ。
具体的には

「合図を出す」
「ファルセータの終わりを捉えて足に入る」
「踊り手が盛り上がったらパルマを大きく叩いてハレオをかける」

とか。
この辺は基本的には出来るようになってきたよ、って人も多いかと思います。
さて、これらことを普通の仕事に置き換えてみましょう。

「合図を出す」→「分担してもらう仕事を頼む」
「ファルセータの終わりを捉えて足に入る」→「相手の仕事が終わったところで自分の担当にスムーズに引き継ぐ」
「踊り手が盛り上がったらパルマを大きく叩いてハレオをかける」→「相手の仕事が佳境に入ってきたところで仕事を手伝ったり差し入れしたりする」

こんな感じでしょうか。

さて、この共同作業、仕事で置き換えるとよく分かると思うのですが、結構「上手に」するのは難しいと思いませんか。
仕事を頼んだり、引き受けたり、手伝ったり、ということを「上手に」することは難しいことです。
図らずとも感じが悪くなってみたり、逆に卑屈になりすぎたり、自分が気分を害してしまったり、変なふうに伝わったり、締め切りが守られなかったり、「あれっ?そんなつもりではなかったのに」ということが共同作業には多く起こります。そして「あれっ?」ということがこじれて大問題になったりすることも少なくはありません。

それはどうしてでしょうか?

自分がいっぱいいっぱいだと上手くいきませんね。
防御的な気持ちになっている時も失敗します。
経験値がないこともしくじりを生みます。
相手の仕事のことや、相手の人柄を知らないことも原因となります。
自分が傷ついている時もよく回りません。

これらを(やや強引に)まとめると「余裕がない」と言えます。



余裕がない人は上手くいきません。



そんな、身も蓋もない・・みたいなことを大きくと書いてしまいましたがね、真実だと思います。

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ここでまた練習を何故するのか?という話に戻りまして、

例えば発表会の本番で上手く踊るためには、
自分に余裕を持たせる練習をすれば良いのだ。

という話に展開します。
ずいぶん強引ですが、このまま行きます。
家族をギャフンと言わせるために、先生に褒められるために、まずは自分に余裕を持たせる練習方法をするのです。

自分に余裕を持たせるというのはどういうことでしょうか?
自分の中に「余分」を作るにはどうするといいのでしょう?

例えば簡単に考えつく練習方法として
振り付けを踊れるようにする
というメニューがありますね。たいていの人はこれをメインに練習しているのではないかと思います。
さてこの至極当たり前のいつもやっている練習を、余裕をを持たせる練習に変えるためには、「踊れる」の定義を見直すのが手っ取り早いです。

多くの人が定義している「踊れる」は、「自分がいっぱいいっぱいな状態で間違いなく踊れる」です。
それを、そうですね、「鼻くそほじっていても出来る」くらいが目安にします。
わかりにくいですか。
「今日の晩御飯のメニューを考えながら出来る」というのでどうでしょうか。
ものすごく集中してなくても間違いなく出来る、という感じです。

「一生懸命考えて、集中して、踊れた!」というのを「踊れた」と定義しない。

一曲全部を鼻くそほじりながらは無理かもしれませんね。
でも「おおむね鼻くそほってられる」くらいならどうでしょう?
そして「このレマーテだけはいっぱいいっぱいにならないと出来ない」みたいに分類して整理する。
それなら出来ませんか?

また、私のクラス、発表会では「振り付けを変えてよし」ですので、

パソを簡単にする(裏を表にしたり、ドブレをシングルに変えたり)
一人で踊るなら振り付けを短くする。スピードをゆっくりする。

という方法を選択することもできます。

とにかく「いっぱいいっぱいで出来る」ではなく「余裕を持って出来る」が「出来るということ」なのだという意識に変えるのです。

実際出来なくても構いませんから、練習の目標をそこに持っていってみましょう。
「踊れる」「出来る」の定義を変えれば、自ずと練習方法も変わるはずです。

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そしてその出来た余裕の使い道を間違わないようにします。

余裕の使い道はなんだったでしょうか?
そう、共同作業を上手にすることに当てるのです。

例えば「歌を呼ぶジャマダ」の話であれば

「ここから歌ですという気持ちでジャマダをする」
「歌う呼吸で抜けてみる」
「ジャマダより前に、次は歌だと思っている」

とか、今までよりも一つ「相手にわかりやすい頼み方」を工夫することに「余裕」を振り分けるのです。
これは事前に練習しておけるものですから、全ての人が出来ると思います。

そして、これも含めて、鼻くそほじりながら出来るようになったら、「本当の共同作業」を目指したい。いや、目指すべきです。
あえて強い言葉で書きます。
フラメンコをやる人は共同作業を出来るように目指すべきです。

共同作業とはなんでしょうか?
それは「自分が差し出す」ということだと思います。
もらうのではなく、差し出す。

「自分はいっぱいいっぱいなので助けてもらう」というところから「自分は相手のために何が出来るだろうか?と考える」ということにシフトするのです。
自分は素人だから何も出来ることなどないですか?
本当にそうですか?

実際のところ相手に何かできることなどほとんどありません。
(特にゲストで呼んできた伴奏者には)

ですが、初めからあきらめて「私には何も出来ることはありません!」と言って自分のことだけに邁進している人と、
「何か出来ることがあるかわかりませんが・・」と周囲に少しでも貢献しようとしている人とだったらどちらの人と共同作業をしたいでしょう?
(というか、自分だけに邁進していたらそもそも共同作業にはなりませんけどね)

実際のところ相手に何かできるチャンスなどありませんが、ひょっとしたらあるかもしれません。
その時に、その瞬間を逃さないためにはどうしたら良いのでしょうか?

答えは「ずっと見ている」ということです。
「I'll be waching you」です。(Stingの名曲「Every Breath You Take」ご存知ない方はググって見てください。一瞬ロマンチックに思える歌ですが、結構ストーカ的で怖いです。でもこの感じはフラメンコやっている時にすごくぴったりだと思うんですよ。「ずっと見てるよ」という意味合いと「お前を見張っているからな」という意味合いの両方がある感じ)
ずっと追いかける。ずっと耳を傾ける。ずっと感じる。そして、ずっと見張る。
そうやって、相手の呼吸を感じていると「何かの瞬間」が必ず訪れます。
それは、すごく特別なもので、それこそが「相手に差し出せること」だったりします。


だんだんと話が意味不明になってきました。
何人ついてきているでしょうか?
ともかくついてきた人に向けて続けます。

そうすると「いや、そんな風に相手を見てたら、自分の踊りなんか踊れねーし」って思ったんじゃないでしょうか?
そうなのです。ストーカー的に相手を見るってのは、かなり自分を差し出さないとできないことなのです。

共同作業をやろうと思ったらどんだけ余裕があっても足りないくらいなのです。

ここから導き出せる結論はなんでしょうか。
「じゃあ無理だ、あきらめよう」じゃないですよ!?
「あらゆる手段で余裕を作る練習をすれば良い」です。
結論を間違わないように。

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まとめます。

余裕が大切である
だから余裕を作る練習をする
出来た余裕はもれなく共同作業にあてる
共同作業に使うエネルギーはあればあるだけやることがある(どれだけあってもいい)

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ここまでの注意点として
「余裕の間違えた使い道」があります。

○相手の間違いを見つけたり、正すことに夢中になる
○正しさを追求する

など、「正解」にとらわれてしまうことは、かなりありがちです。

「正しさ」(リズムの正確さ・コンパスの正確さ・振り付けの正確さ)というのは、「余裕を生みだすために必要な技術」です。手段と目的を履き違えないようにしましょう。

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貢献することに夢中になって自分の仕事がおろそかになるということも人によってはありがちです。

余裕分で、貢献しましょう。
限界を超えて貢献しようというのは、破綻を招くのでちょっとだけヤッカイです。
己を知る。これ大事。

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さてさて、実際に「舞台上の本番」で、「あなたをずっと見ている」状態を保ち、奇跡の瞬間が起きるようなパフォーマンスは、まあそんなやたらめったらあるもんじゃありません。だから出来なくてもがっかりすることは何一つありません。

この話は奇跡のパフォーマンスをしようぜ、という話ではなく、
どういう練習をするのか、という話ですので、ここもお間違いなく。

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ここから、発表ライブのクアドロ出演のみなさんへ

クアドロ練習も同じような方法で練習に向かうといいと思います。

余裕を持ってパルマを叩くためには、
自分の踊りでいっぱいいっぱいになっている場合ではないし、
構成が覚えられなくて「次なんだっけ?」となっている場合でもありません。

パルマの音量が出ない
ずっと同じ速さをキープ出来ない
裏が来ると怖い
などの長期的に解決しなくてはいけない問題は、できる限り取り組んだらいいですけど、それは今回には絶対間に合いませんので、ある程度あきらめましょう。

でもそれと「構成を覚えてない」とかは全然別ものです。
「コンパスがわからないのにほったらかし」もNGです。最終的に理解出来なかったとしても理解しようと取り組むこと。また、そういう苦手なところがいつ来るのか覚えておくこと。

そういうことが「余裕を作る」の第一歩です。

それでも、いっぱいいっぱいになりそうだったら、叩く曲を絞ったらいいです。
こちらは今はわからないでしょうから、練習していく中で決めていったら良いと思います。
「欲張って、破綻する」ということがないようにしましょう。

そして、余裕が出来たら相手を見続けることができるか試して見ましょう。
この場合の「相手」はとりあえず一人に絞って「踊り」とか「隣のパルマ」から始める。
それから数を広げていきます。この先ギターと歌がやって来るんだから少なくとも踊り手を見続けることくらいは出来るようにしましょう。
それで「見続けていても、なお、自分のリズムやコンパスが崩れないか」ということを研究してみてください。

そうやって練習していくうちに「ここはこの叩き方で決めてしまおう」とか「私は表を叩きます」とかいう決まりごとができるかもしれません。それはそれでいいです。ただし、そうやって決めたことで出来た余裕を必ず「正しく共同作業用に回す」ことを気をつけます。
「この叩き方で決まったから、私、ちゃんとこの叩き方で叩きましたけど?」というのは共同作業とは言い難いですね。
「あなた、間違ってますよ、ここはこの叩き方って決まったでしょう!?」というのに夢中になるのも違いますね。
違い、わかりますかね?
相手の間違いを指摘するなという話ではありませんよ?
それで完結したり、正しさに夢中にならないで、「相手と呼吸を合わせれる自分を作る」ということを第一目的として取り組みましょう、ということです。
そういう練習の仕方を続けていると、決して「暇」になったり「ダレたり」しないはずです。

しかし、みなさん経験値がありませんから、間違いなくダレてくると思います。

そしたらもう一回この長いの文章を読んで、「なんのための練習なのか?」って視点で考えて見てください。
何か突破口が見つかるかもしれません。

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正直、ちゃんと伝えられるように書けたかわからないし、いつも指摘されることだけど「長えよ」って話でした。
疑問に思ったことはレッスン前後など捕まえて聞いてくださいね。

ではみなさん、健闘を。

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1 コメント

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論文、私なりに理解しました (OAです)
2018-11-01 21:33:35
ありがとうございます。書いてくださったこと、
今はできてませんが、できるようになりたい、と思い続けます。
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