えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

内省の仕組み

2013-07-18 14:31:07 | えこばなし
ハンバーグをこねたり
同じ足を延々と打ち続けたり
小さい魚を延々と手開きにしたり
畑をたがやしたり
自転車をこいだり
路上のゴミをひろいつづけたり
たくさんの皿を洗ったり。

コツや力加減は調整しつつも、基本、手足の単純な繰り返しを延々と続ける。
そうすると、目は内側に自然に向いてくる。

大切なもの。
古い記憶。
反省すること。赦すこと。
許して欲しいこと。
言えなかったけど言いたかったこと。
生命。
宇宙。

思考しているのではなく、
悩んでいるわけでもなく、
ただぽっかりと、浮かんでは消え、浮かんでは消え。

昔の暮らしは手仕事が多かったから、きっとこういう機会も多かったのだろうと友人と話す。
わらじを編んだり、ゴマを選別したり、火を焚いたりしながら、ポツポツと考えるではなく考える時間があったのだろう。

それは、効率とか、情報とか、そういう「いいもの」から遠いところにある。
だけど沢山のイモをむいた後は落ち着いた優しい自分になっているし、単純な足を打ち続けたあとはすっきりしている。
とても大切な時間だ。

子どもの小学校から「道徳教育について」のアンケートが配られた。
それの最後に「こどもたちの道徳教育について、地域や保護者と学校がどんな取り組みをしたらよいと思いますか?」というような設問があったので、「大人が志を持って生きること」とえらそうなことを書いて出したのだが、そうじゃなくって「ぽやんとした時間をつくったらよいと思います」とか書けばよかったかなあと思っている。でもそれじゃ意味不明だ。
「大人も子どももイモ洗い」とか。これも何を言いたいのかわからん。
「内観」とかになると大げさになるし、まあいっかー。

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