えんどうえこばなし

フラメンコ。レッスン動画とえこばなし。

全然フラメンコじゃない話

2006-11-10 23:02:57 | えこばなし
ノリがいいのがよいと。
ともだちはいっぱいいるのがよいと。
優しくて明るく元気がよいと。

特にこどもの世界ではそういうことになっていて。

今日、保育園の懇談会があって、色んな話が出て思った。
ひとつは「こどもが元気で明るいのがいいっていう価値観はやだ」ということ。
もうひとつは「そう思うなら自分も無理してんじゃねえよ」ということ。

うちの子は割と「こどもらしいこども」と
よく褒められる(?)ような子のため
今まで掘り下げて考えた事なかったんだけど、
色んな子供がいて、みんなが居心地がいいっていう状態は
どうにか作れないもんだろうか、と考えたらすごく難しかった。
引っ込み思案な子、優しすぎるくらい優しい子。
そういう子が居心地良くいれる状態はないのか、
ということから始まって考えていくと自然に
「明るくて元気な子です」というのが
何にも増して良いことのように語られる価値観というのは
いかがなものだろう、と思った。

子供に限らず「明るい人」というのはやっぱり良い。
「本当に明るい人」を何人か知っているけど
そういう人がいると場が和むし、気持ちがよい。
明るいって素敵だなあと、やはり思う。

だけど、それは「ひとつの魅力」であるはず。
「頭が切れる」とか「サッカーがうまい」とかと同じ。
なのに、何故か全ての人が必須事項のように
身につけていなきゃいけないもののようになっているのは何だろう。

わたしも同じで、「明るいわたし」を演出することがよくある。
すっごい疲れるんだけど、ついやってしまう。
なんでやるかっていうと、なんでだろう?
「反射的に」ということしか思いつかない。
それって価値観にしばられているんだよね、きっと。

「その価値観はやだ」と言うのだったら
自分がまずは脱却しないと。
こどもに「無理すんな」と言うのだったら
自分がまずは無理はしないようにしないと。
こどもに「いじめはやめろ」と言うのだったら
自分の中の排他的な心をいましめないと。

はああ~。どれもこれも甘くはないことばかり。
人生とは日々修練ですね。

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5 コメント

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う~~ん (かるめん)
2006-11-11 08:49:11
そうかもしれないですな。

うちのお子、二人、まったく!ま逆な性格で。
上の娘は、家では存在感薄~~い。
下の息子は、死ぬほど明るくうるさい。

母(あたし)は明るくうるさい、父(オット)は、静かに、
穏やか。

優しさは、静かチームが圧倒的ですな。

そうですね、価値観・・・としては、考えてなかったかも。
当たり前、と思うと、おとなしい子は認められてないみたい。腹たつ!!

でも、小さい時は(赤ん坊のころ)愛想がそんなになくても、静かなほうが
「上手に育ててるねぇ、おりこうさんねぇ 」って言われ、
明るくうるさいほうは泣かさないよう(やかましいため)
必死だった。
とくに、よそ様のお宅とかではね。

う~~~~ん。  わからん。
持って生まれた性格も、同じ親から生まれて、
なんでこんなにちがうの?と思うから^^
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うまくいえないけれど・・・ (りんご)
2006-11-12 00:33:18
 「明るくて元気な子」というのが、心も身体も健康 な本来の子供の姿なので、象徴のように言われるの だと思います。

 本当に大切に伸ばしていってあげてよい部分なの  か、何か子供なりに我慢したり、どうしたらよいか
 わからなくての反応なのか見極めてあげなくてはな らないのだと思います。

 好きな事は好き!嫌な事は嫌!といって良いという
 安心感。そしてその伝え方や感じ方を生きていく中 で勉強しなくてはいけないと思います。

 何かにおびえて言えないのかな?
 愛されてる自信がなくてなのかな?
 愛情表現の方法がわからなくてなのかな?
 いい子にしなくちゃって我慢しているのかな?
 
 この子の個性だからでほって置いてはいけない時が
 あると思います。子供なりのサインやSOSかも知 れないからです。個性って、生きてきた事全てなの だと思います。だから、老年期が一番個性が豊かで 大切にされなければならないと思います。

 まだまだ、見本を見たり、サポートを受けながら勉 強したいのに、「それがあなたなんだから、ありの ままの自分でよいのよ」と大人たちに扱われて、個 性や自由を間違って育ってきてしまっているのが、
 今の子供たちなのだと思います。 

 自己実現、アイデンティティの確立という成長過程 が壊れてきているように思えてなりません。

 バーストラウマという研究も進み、胎児・乳幼児  期の記憶にない体験が、成人してからの自分の課題 や弱みとリンクしているともいわれています。

 18~20前半の学生教育に関っていた事があります  が、大人としての会話や関係は成り立ちません。
 まるで思春期です。指摘されたりの経験がないの  で、ガラスより繊細で、傷つくのが怖いので他人に 攻撃的です。自分を守る方法を知らないので仕方  がありません。そして、友達として、先輩として、 時には親としての代わりを求めて体当たりしてきた りもします。誰かを理解しようとか、わかってもら おうとする為の言葉や行動は大変エネルギーが必要 なので、いっそ関らないほうが楽だという道を選ぶ 子もいます。

 精神心理学のような話になってしまいそうなのです が、スピリチュアルな話題やセラピーがもてはやさ れているのは、若い子たちが、自分はどこへ行くの かどうしたらよいのか混乱しているからなのかなと も思います。

 長くなりましたが、私は「明るくて元気」の種類や 表現の仕方が、子供それぞれなのだと思います。
  
 最後までお付き合いありがとうございました。
 
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子供はいろいろ (えこ)
2006-11-13 01:05:21
かるめん
そうだね~。赤ちゃんの時はおとなしい子はえらいね~って褒められるんだよね。でもちょっと大きくなってわいわいやらずにいたりすると否定されたりしてね。なんじゃそりゃ、だよね。
女の子はおとなしくてもオッケーだけど男の子でおとなしいと「男の子なのに」とか言われちゃうし。まだそんなこと言う人がいるのか!!とか思うけれど。

りんごさん
コメントありがとうございます。
おとなしい子が傷ついて凹んでいるのを「普段どおりおとなしいから大丈夫」って放っておくっていうのは良くないですよね~。有りがちだし見分けがつかないのが難しい。うちの子も空想癖のある子なので空想してるのかしょんぼりしてるのか見分けがつかないことがよくあります。。
ただここで言いたかったのは例えば「外で遊ぶのが好きな子」と「家の中で図鑑見てるのが好きな子」がいた場合「子供らしくてよろしい」と思われてるのは前者であると。そういう価値観があるのは一体なんなんだろう、、というようなことなのです。「明るく元気に図鑑を見る」とはあまり表現しないですよね。そういうのがすごい不思議なんです。
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こども考 (なつこ)
2006-11-13 09:49:05
子どもは”まだ大人みたいになれていないもの”
という考えが底にながれているんだろうなと感じる事がある。大人が導くもんだと。だから評価したりするんだろうね。
冗談じゃない。大人なんかにわかってたまるか。という感覚は子どもの口を閉ざす。
あれだけ敏感で豊かだった感覚に、そんな事言ってられないんだとひとつひとつふたをしていくことを大人になるというの?そうなった大人が子どもの事を判断してる。大人はもっと自分の事を見た方がいいよね。
子どもの頃、あんなにいっぱいあった時間はどうしてなくなったのか。今も毎日おなじだけあるはず。

そんなこといってて”ちゃんとした”大人でない私は、子の学校の先生に怒られてしまうのであった。。。
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大人とは (えこ)
2006-11-13 22:45:15
なつこさん
そうですね。大人とは何かって問題ですね。なんだろう。わかんないや。
あと「冗談じゃねえ」と思える子供はまだ大丈夫で、「こっちに導かれなきゃならないのに自分は出来ない」ということで悩む子供というのも数多くいそうな気がする。罪深いよね、大人は(自分も含め)。
やっぱり人に口に出す前に自分を見るって大事ですね。大人に対してやむを得ず口を出すときは大概そうするのに、子供に対しては自分のことを棚にあげてイロイロ言ってしまってる。反省多し。気をつけよう。。
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