gooブログはじめました!本棚の本 片っ端からもう一度読むのだ

買ってきては読まずの積読者が一念発起!!!
読書感想文的日記を書くことにしよう。

小室直樹を読む 天皇恐るべし を読む

2010-03-08 23:24:22 | 日記
第十章 天皇が秘める深淵
天皇イデオロギーの形成は幕府イデオロギーの解体過程を媒介として進む。

その幕府イデオロギーは「湯武放伐論」の是認である。
徳川家康は、慶長17年1612年3月、駿府で林羅山と湯武放伐について問答したとき、

林羅山が、
「湯武の天命に応じ人心に随いてその主君を伐しも、(湯武が主君を放伐したのも)
 
 はじめより己が身のためにせむの心なく、(私利私欲ではない)
 
 ただ天下のために暴悪を除いて万民を救わんとの本意なれば、(天下万民のための行動)
 
 いささかも悪とは申すべからず(これはすこしも悪い事ではない)」

として放伐を絶対的に肯定したのに対し家康は「その説の醇正にして明晰なる」に感じたという話が残っている・・・・・
(丸山真男「日本政治思想史研究」)

このように徳川幕府イデオロギーは湯武放伐を絶対的に肯定した。

朝廷は自ら政権を投げ出さねばならぬような、失徳と失政をくりかえした。
かくて世は戦乱の巷と化し、民の苦しみはその極に達した。

その戦乱の世を徳川は鎮め、民を安んじた。

これは決して朝廷の権力を簒奪したのではない。朝廷が自ら棄てた政治権力を、天下万民のために拾い上げたに過ぎない。

ゆえにその政治権力は正統である。
これぞ、孟子の論理。湯武放伐を絶対に是認する。

この正統論は、徳川統治の正統性をあますところなく弁証するごとくみえながら、その実、
幕府イデオロギーにとって致命的な爆薬が仕掛けられている

朝廷は失徳と失政をくりかえした。故に政治権力を失った。
であるならば、

朝廷が徳と政治を回復するならば、政治権力は朝廷に奉還すべきではないか。

栗山潜鋒の「保建大記」はこの意味で、幕府にとって非常に危険な書である。

その書に、
「天皇がよく身を正して徳を積まれれば、天下の人々は自動的に心服服従するものです。
人々が尊敬し服従すれば、天の命令も天皇に帰します。そうすれば、誰が反対しようとも、
政治権力は天皇に帰ってまいります・・・」
とある。

栗山潜鋒の「保建大記」や三宅観爛の「中興鑑言」は、天皇の失政を激烈に批判し辛辣を極める。

それでいて、彼らの結論は天皇否定に導かれる事はない。

彼らは、涙を流し、朝廷の失徳ゆえに政治権力が朝廷から去り、政権は武士に帰したことを慨歎する。

そして天皇は、古来より政治権力を持っていたが、自ら棄て去ったと嘆く。


この態度を推し進めていくと、その神義論はどうなる。

それはキリスト教における宗教改革で、カルヴァンたちがなした予定説の徹底と同様に、
「神の絶対化」となる。

予定説の論理の徹底による神の絶対化。神を絶対的に高めてこれを人間世界の外に押し出して独自の座標軸を与えるカルヴァンの神学的作業。



天皇に関し、
これに対応する学問的作業を行ったのが、

山崎闇斎、浅見絅斎(けいさい)による「拘幽操」研究である。

「拘幽操」の背景と概略をのべる
殷の紂王 (ちゅうおう)は暴虐の極みを働き、その生活は乱れきった。
ときに周の西伯(後の文王)は徳高く、よい政治をしたので天下の人望は彼に集まった。

紂王にたいする怨嗟の声が充ちてゆくのに呼応するかのごとく、西伯の声望は日に日に上るばかりであった。

ついに紂王は西伯を罪もなく捕まえ、羑里(ゆうり)というところの牢屋に幽囚した。

そのときの西伯(後の文王)の心境をうたったのが
韓退之(かんたいし)の「拘幽操」である。


次ぎは、小室による「拘幽操」の意訳を述べます・・・・