かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

京鹿子娘道成寺

2005-03-05 12:14:34 | 伝統芸能
紀州熊野修験の僧・安珍を慕って清姫が、道成寺の鐘楼に隠れたのを怨んで鐘を溶かした「清姫伝説」を、後日、その道成寺に、安珍が再び訪れて鐘に執念するという後日譚形式で上演したのが能楽「道成寺」である。そこから暗示を得て歌舞伎が創りあげた、最優秀曲である。複雑な変遷を遂げ、多くの種類があるが、現在は「京鹿子娘道成寺」が決定版である。

鐘供養の寺へ白拍子が来て舞い、鐘に飛び入り、蛇体で現われるまでの舞踊劇である。正しくは、花道の「道行」を、常磐津または義太夫をもってつけるべきで、白拍子実は安珍の怨念が、その性根を出せるのは道行だけなのである。

「道行」では、「鐘も砕けよ、撞木もおれよ‥」が、一つのしどころである。ここでまず舞台の鐘を見込んで十分に鐘への執念を表す。「恋をする身は浜辺のはまち鳥‥」は、昔の流行唄で、華やかな曲になっている。花子はここで座って懐紙を出して鏡に見せかけて化粧をし、その紙を一枚とって、丸めて客席に投げる。ご贔屓の客は争って、その紙を拾う。道行の衣装を別にするのは、六代目菊五郎が始めた好み。

「道成寺へ着きにけり」で、本舞台へ来て、坊主との問答があって、烏帽子(えぼし)を受け取り、下手へ入り、次の支度をする。烏帽子をつけ、扇を中啓(ちゅうけい)に変えて出て、「うれしやさらば舞わんとて」を謡がかりでいい、「花のほかには松ばかり」の次第になり、乱拍子になる。乱拍子はお能のほうではやかましいが、踊りのほうでは型をなぞる程度であり、しかし、足は三角に鱗型に踏んで蛇体を表現する。

「ヘェ、イヤー」で長唄になり、「鐘に怨みは数々ござる」になる。能から歌舞伎にくだける瞬間にあると言われている。中啓(ちゅうけい)を持った間には、まだ能の重みが残り、「真如の月を眺めあかさん」で、烏帽子をとる。上手よりの鐘から下手へつないだ紅白の綱へ、ポンとはねて引っ掛ける。「言わず語らぬ」の手踊りから歌舞伎舞踊となる。「つれないは、ただ移り気な、どうでも男は悪性者」あたりは、娘の嫉妬の心を表す。「都育ちは蓮葉な者じゃえ」で引き抜く。

「恋のわけ里」のまり歌まで娘の心で踊り、三下がりになって、「梅とさんさん桜は」はの傘の踊りは、七つ八つのかわいい子どもの心で踊る。そして「恋の手習い」は、黒繻子をかけた女、つまり色気のある年増女の気持ちで踊る。ここはこの舞踊の大眼目である。

「山づくし」の鞨鼓舞は、当て振りで美しい線を描くのがむずかしいといわれている。普通は中途から「園に色よく」の鈴太鼓へとぶが、皮肉にやると「ただたのめ」の手踊りを食える。ここで鐘入り。坊主の祈りでつなぐ。この祈りの踊りはすこぶる古風で、軽視してはならない。

花四天(はなよてん)が出て鐘を引き上げると蛇体で出て、「鱗ながし」という型があって花道へ行くと、荒事師・大館左馬五郎が出て舞台へ押し戻し、引っ張りの見得で終わる。

4月歌舞伎座の新中村勘三郎襲名披露興行に新勘三郎が白拍子花子を踊る。そして、ナント押戻しに十二代目市川團十郎が付き合うという豪華版である。また、「きいたか坊主」には、勘三郎の義父・中村芝翫をはじめ、幹部役者が勢ぞろいというおまけも付くという。