かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

河竹黙阿弥

2005-06-04 16:13:21 | 伝統芸能
江戸歌舞伎の作者、黙阿弥の名は永遠に不滅であると申しても過言ではあるまい。彼は江戸日本橋の生まれ。(1816~1893)本名は吉村芳三郎。五世南北の門に入り、河原崎座の立作者となり、二世河竹新七を襲名。嘉永4年(1851)「昇鯉滝白旗」(のぼりごいたきのしらはた)、安政元年(1854)に「都鳥廓白浪」(みやこどりながれのしらなみ)を書き、たちまち人気作者となる。

彼は次から次へとヒットを飛ばす。現在演じられることの多い作品を挙げてみると、「蔦紅葉宇都谷峠」「鼠小紋東君新形」(ねずみこもんはるのしんがた=鼠小僧)「網模様燈篭菊桐」(小猿七之助)「小袖曽我薊色縫」(十六夜清心)「三人吉三廓初買」(三人吉三)「曽我綉侠御所染」(御所五郎蔵)「八幡祭小望月賑」(縮屋新助)「勧善懲悪覗機関」(村井長庵)など、枚挙に暇がない。こうして並べてみると、泥棒・盗賊を主人公にしている作品が多いところから「白浪物」の作家としてもてはやされた。五世菊五郎のために「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ=弁天小僧)は、一世を風靡した。

明治になって、九世團十郎、五世菊五郎、初世左團次という、いわゆる「團菊左」のトリオのために、活歴(かつれき)物、散切(ざんぎり)物、松羽目(まつばめ)物などをふくめた各ジャンルのものを書いた。「桃山譚」(=地震加藤)「平安太平記」「天衣紛上野初花」(=河内山)「梅雨小袖昔八丈」「土蜘」などがそれである。晩年の作品として挙げられるのは、「島鵆月白浪」「新皿屋舗月雨暈」「四千両小判梅葉」「水天宮利生深川」「盲長屋梅加賀鳶」「船弁慶」「茨木」紅葉狩」である。

彼の本領は「世話物」であった。その作品をみると、生世話(きぜわ)でも、愁嘆場(しゅうたんば)に義太夫を使い、濡れ場や道行に清元浄瑠璃を使い、やり取りの会話は「唄う」がごとき七五調の台詞が用いられている。彼の七五調の台詞は、「鸚鵡石」として見巧者たちの間に流布され、声色屋のお得意先であった。

2 コメント

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遅ればせながら (ふう)
2005-07-01 16:32:25
コメントありがとうございます。

はじめまして…遅ればせながらのご挨拶を。



ブログ拝見…成田屋ご贔屓とのこと。

とってもお詳しいのですね。歌舞伎はまだ

まだ観始めたばかりの私はお恥ずかしい限りですが、勘三郎の襲名披露では、玉三郎の鷺娘に見惚れました。7月は大好きなとちりのお席が取れましたので楽しみにしております。蜷川歌舞伎ということで一風変わった感じなのでしょうか。研辰も面白かったとはいえ…やはりオーソドックスな歌舞伎のほうが私は好きかもしれません。かまわぬ様はいかがでしょうか。
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歌舞伎愛好同志 (さる)
2005-07-02 18:23:36
ふうさか、こんにちは。

新歌舞伎もいいのですが、私はやはりオーソドックスのもののほうが馴染みます。

これから、ご一緒に歌舞伎を贔屓していきましょう。

私の別のサイトにもいらっしゃいませんか?

http://plaza.rakuten.co.jp/myk1016/
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