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青梅市の戦争の話

2019年09月25日 10時52分00秒 | 自治会長

10月に中学校で話をすることになりまして、私は15分の持ち分

中学生だからいやらしい話をさせろ! ということで、戦争反対とか賛成とかの話じゃなく、歴史として

2名が、小曽木か成木に降りたらしいです。なんとか保護して、青梅警察に引き渡した

母親らいい人が、息子が戦死しているので1回殴らせろと言ったとか

捜索にいった人が、これいい靴じゃないかと、持ち上げたら中に脚があったとか、飛竜墜落の時かも(次のUP)しれませんしB29の時かもです

神奈川あたりでは、憲兵が竹やりで突き殺してしまい。戦後BC級戦犯で死刑になったとか、他の地域では、大勢で突き殺してしまい、この場合は、首謀者もわからずそのままになったとか

遺体を埋めといたものの、戦後に米軍が調査に来るということで慌てて掘り起こして荼毘にし埋葬し、米軍に感謝されたとか

しかし、吉川英治の意見ってのがすごいですね。同様に吉川英治の意見によってエンジンも引き上げられました

続く

追記:少し生生しいののを見つけましたので、コピペ(感謝 謝!) なお、気の小さい方は読まない方が良いかと

1945年4月2日午前3時頃 東京都西多摩郡吉野村柚木(現・青梅市柚木町)の愛宕山山腹
B29(機体番号43ー93999、第73航 空団498爆撃群所属)が墜落。
 飛行機は空襲が終わるころ高射砲弾を受けたらしく、火の玉になって飛来、墜落と同時に爆発してバラバラになり、破片が山麓の吉野街道付近まで散乱した。
 (注)作戦任務第51号(目標:東京?中島飛行機武蔵製作所、第73航空団から出撃122機、損失6機)
機長のCarl C.SMITHなど5人は機体とともに墜落死、遺体は吉野村即清寺の墓地に火葬して埋葬され、戦後、米軍が回収。参考人は即清寺住職。
 パラシュート降下した5人(西多摩郡三田村で4人、小曾木村で1人)が1両日中に捕虜になり、サイドカーで立川憲兵隊を経て東京憲兵隊へ送られた。彼らのうち、Francis M.REYNOLDS二等軍曹、Sylvio LAMARCA二等軍曹、John W.EVANS 二等軍曹、Morris W.SANSOUCI軍曹の4人は戦後米国へ帰還したが、John S.HOUGHTON少尉は全身に火傷を負っており、東京憲兵隊に収容中症状がさらに悪化、治療の見込みなしとして11日に毒殺された。東京都小石川の陸軍墓地に埋葬。
 また、Kenneth PETTERSON軍曹は数日間山中に隠れていたが、空腹に耐えかねて黒沢3丁目の民家に現れて捕虜になり、東京憲兵隊へ送られた後、東京陸軍刑務所に移送、5月26日の空襲による火災で死亡。
 青梅市立郷土博物館には、このB29のエンジンや破片の一部が保存されている。
 また、山林の所有者の野村哲也さんは、2001年に墜落現場近くにB29搭乗員の慰霊碑を建立し、06年には在日米軍横田基地の代表や青梅市長など150人が参加して慰霊祭が催された。

 


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