ルーム・ストラト~音楽と私~

タイトル通り、筆者が好きな音楽の事を中心に自分勝手に書きます。

やっぱり最後は…

2010-08-27 11:32:26 | 日記
ここんとこギターを弾き倒して、かなり指が疲労してきてます。


弾くのはもっぱらブルース。というかブルースロックか。

ブルースはシンプルながら(コード3つしかないしね)そのバリエーションが本当に豊富で、いくらでもやりようがあります。


もちろん戦前~60年代までの黒人が演奏しているものが根幹とはなっていますが、今までにも色々な人が色々なブルースを演奏してきました。

戦前ブルースはアコースティック楽器しかないなかで、どれだけ個性を出すかを競っていたし、それが『デルタ』『ジャクソン』『シティ』『シカゴ』『ウェストコースト』などとカテゴライズされていったわけです。

ならば、現代においてブルースの新境地を切り開くのはどうなんでしょうか?
多くのブルースファンは源流を重んじます。

確かに最近は偽物や安易な物は多い気がします。

だからといって黒人以外は全否定のような姿勢はどうかと思います。


例えばエリック・クラプトンやSRV、ゲイリー・ムーアなんかはれっきとしたブルースマンです。
日本人なら近藤さんとか本当にすごいと思います。


私は彼らからブルースを感じますし、彼らもブルースを愛しています。

そして、ちゃんと自分流のブルースを完成させています。


ブルースとはそんなに敷居の高い音楽なのでしょうか?
むしろブルースに馴染む事こそ、ギターを極める第一歩なのでは?


日本人は特にイメージやレッテルを気にしますよね。
いいものは良い。
ロリー・ギャラガーもジョニー・ウィンターもデュアン・オールマンも素晴らしいギタリストです。



ただ最近は源流をあまりにも外れた、芯の無い弱々しい音楽が多いのも事実です。

つまり源流をしっかり研究し、その上に自分の個性を構築するのが、本物だと思います。


能や歌舞伎では必ず源流を学ぶし、ピアノならショパンやリストは必ず学ぶ。
格闘技なども源流をしっかりと学ぶといいます。


では何故音楽は源流を無視するのでしょう?
先達の偉大な遺産を学ばないのでしょう?

また、学んだらただの物真似で終る人がいるのは何故でしょうか?


『源流』と『個性』

これを大事にしないといけないし、この二つのバランスが一番難しく、大事なのだと思います。



音楽は大衆に馴れ親しみ過ぎたゆえに、少し軽々しいものになってきてるのかもしれません。



もちろんリスナーならそんなことは考える必要はありません。
しかし表現者として音楽をやるなら、上記のようなことはしっかりとやるべきだと思います。


最近の音楽は、そういった演奏者が演奏者としての自覚も全く無いまま作るので軽く、中身が感じられないものになるのでしょうね。


とりあえずギターならブルースは絶対に通らなければいけない道でしょう。


これからもしっかりと源流を見つめ、音楽を創っていきたいと思います。