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☆会計基準戦争の始まり☆

2006-09-16 14:59:51 | みんなの会計雑学講義
 2001年1月25日、会計の世界基準を決める権限を実質的に保有する
国際機関であるIASB(Internationar Standard Board)が誕生しました。

経済のグローバル化が進む中、資金が国境を越えて動き回るようになると国ごとに
会計基準(どのように仕訳をし、金額を計算するのかを決定する会計法規)が
異なることが大きな問題としてクローズアップされるようになりました。

そこで米国、欧州が中心となって、この会計基準を国際的統一化しようという
動きがでてきたのです。
しかし、この動きに唯一反対する国がありました。その国こそ、わが国「日本」
なのです。

 1993年11月ノルウェーの首都オスロでは、この世界的統合に向けての会議が
開かれ米、英、加、豪、独、仏、日など13カ国が加わり評決が行なわれました。
この時、13カ国中で反対したのが日本なのでした。
では、なぜ、この世界統一基準を作ることに日本は反対したのでしょうか?
 日本の会計基準は「取得原価主義」といって、企業が保有する資産は、取得したときの
価格で貸借対照表に記載されます。
このことにより、企業が持つ土地や株式などの市場価格(時価)と
帳簿価格の差は「含み」として帳簿上には表れないことになります。

 一方、国際会計基準はこうした「含み」を一切排除する「時価主義」の色彩を
強めていきました。

日本企業が古くから持つ土地や株式は買ったときの値段のままで帳簿に記入
されますから、たとえば、戦前からの企業などは、それらに膨大な
「含み益」があり
これが日本企業の強さの源泉とみなされていた反面、バブル期に取得した土地や
株式はバブルの崩壊で「含み損」が生じていたのです。
そして、「時価主義」になれば、こうした含み益も、含み損も一気に表面化して
しまいます。

このことによる経営への大きな影響を嫌って、会計基準の国際化には
反対というのが経団連をはじめとする産業界や大蔵省の主張だったのです。
 
 このとき、日本代表として参加していた公認会計士である小野幸雄氏は当時を
振り返ってこう語っています。


「日本の会計基準が先進国から遅れているのは歴然としていた。
グローバルな流れに背を向け反対するには正直言って勇気がいった。
最後までひとり、反対の手を上げ続けるのは
まるで国際連盟を脱退する松岡洋右のようだと思った。」
 
 これをきっかけに日本は会計基準のスタンダードを巡る激しい
国際的な駆け引きに巻き込まれていくのです。
しかも、最初から「敗戦」が見えている
国際会計基準戦争の・・

 このような、グローバル・スタンダードを巡る国際的な動きについては
磯山友幸著の「国際会計基準戦争」に詳しく書いてあります。
興味がある方は、ぜひとも一読をお薦めします。
この本を読むと、何気なく勉強している論点(金融商品基準)でも
それを制定するのに、裏ではこのような苦労や財務省との攻防があったのか
ということが分かり、つまらない簿記の勉強もやる気が少しでます。

 この「戦争」の結果は、また今度みていきます。お楽しみに♪


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