新釈いろは歌留多「こ」2
「光陰矢の如し」
「光陰矢の如し」の味わいは「後悔先に立たず」とセットにすると、
その深味が倍増する。
時の矢に乗って生きる我々だが、普段その速さに気づくことはまれで、
さらにその矢がどこに向かって飛んでいるのかを知るすべもない。
その時の矢が歳とともに、スピードが速く感じるようになるのだが、
それはこちらの方の動作がノロくなる分、
時の方が早く感じられる錯覚である。
もうひとつの錯覚は、長いはずの人生の記憶が
重要な部分だけに圧縮されてしまうことにある。
化天のうちに比ぶれば、夢幻の如き人生に思われる。
人間というのは良く出来ていて、
辛いことは忘れて、楽しいことだけを覚えているものだ、といわれる。
確かに災害に遭っても、翌日には笑顔でつるはしを振るったりする。
楽しい事を思うことが、前へ進む駆動力を生む。
それが人間の逞しさというものだ。
辛いことも楽しいことに摩り替える能力といえるかもしれない。
しかし、人生の終点が近づいた時、時の矢が的に当たるという時、
その的の名前が「後悔」と知ったら、愕然としない人はいない。
どうしてこんな人生を歩むことになったのか。
やり直せるものなら、やり直したいことだらけ。
でも命を運ぶ時の矢は、ブーメランのようには戻ってくれない。
過ぎ去ったことは、忘れることでしか前に進めない。
終点の先に、天国や極楽があると思うから、人は安心して先に進めるのだ。
あるいは生まれ変わって、やり直せると思うから、不安なく死に臨める。
泣きながら ちぎった写真を
手のひらに つなげてみるの
悩みなき きのうのほほえみ
わけもなく にくらしいのよ
青春の後ろ姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃のわたしに戻って
あなたに会いたい
「あの日にかえりたい」 荒井由美
私の終着駅の名は「後悔」で、次の矢への乗り換えはないだろうな。
「あの日に帰りたいなあ」大きなため息をついて、降りるんだろうな。