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絵空ごと

あることないこと、時事放談から艶話まで・・・

ジェンダーで読み解く和田清海

2009-06-24 | ちりとてちん

ブログのタイトルなんてものは、半ば投げやり、
早い話が、取って付けたような好い加減なものが多いんですが、
今回はパッとひらめいたンですねえ、コレが。
”ジェンダーで読み解く和田清海”
はいはい、例によって「ちりとてちん」を拾い見していて閃いたんです。

「ちりとてちん」というのは、どこを切り取っても、血がにじみ肉が刻まれるような、
重層的な内容をもったドラマなので、私ごときの拙い切り口でも、
何事か言った気になれるんですが、これまでA子こと和田清海を語る切り口が見つからなかったんです。
それがふと、シンデレラコンプレックス」なるナイフを見つけて、
これならA子の人生を分解できるかもしれない、って浅はかにも思った。

「ちりとてちん」に関心ない人に説明したってしょうがないんですが、
ごく簡単にA子こと和田清海のプロフィールを紹介しておきます。

A子の裏の存在であるB子にとっては、A子は”存在そのものが天災”。
「きれいで、賢くて、スポーツ万能」と、B子にないものを全部持っている、超優等生のA子。
第11週「天災は忘れた恋にやってくる」から二人の会話を拾ってみます。

B子が好きな草々兄さんを、A子も好きになってしまったという状況。
A子「草々さんのこと好きになってしもた」
B子「告白すんの?」
A子「できるわけないやな」
B子「なんで?」
A子「そんなん自分らしたことないし・・・」
B子裏の声「ああん、いつも向こうから来ていたと・・・」
A子「フラれたらどないしたらええか、わからんし・・・」
B子裏の声「フラれた経験もないと・・・」

学園のアイドル、小浜のスターA子。
「A子の人生というのは、ただA子に向けられたスポットライトを
 たどって行けばええんやな」

つまりA子というのは、黙っていても・・・自分からアクションを起こさなくも、
いつか王子様があらわれて、お姫様として迎えられる・・・
そんなシンデレラのような人生を約束されたような女の子なんです。
ところが、タレントにスカウトされ、東京へ出てA子の人生は一変。
数年後、昔の面影のまったく消えた、黒(ブラック)A子として戻って来る。
普通に言えば挫折ではあるんですが、実はこれはシンデレラとしてのA子が、
自立した女へ成長するための、覚醒へのプロセスだったんですね。

シンデレラ・コンプレックスって何?
・・・って、引用するのも面倒なのでコチラを読んでください。

シンデレラ・コンプレックス
http://homepage3.nifty.com/logical/column092.html

・・・と結局、カッコいいタイトルがひらめいただけで、
何の内容もない引用だけの、トホホな文章になってしまった。
シンデレラ・コンプレックスでA子の人生を分析するのは、
私には荷が重いことが判っただけだった、というオソマツの一席でした。


よしな仕事

2009-05-17 | ちりとてちん

”ダメだ!眠れない!”
ガバッと起きてテレビを付ける。
深夜面白い番組のあるわけがない。
仕方なく手持ちのDVDをざっと見回して
結局「ちりとてちん」をプレーヤーにかける。
”よく飽きないなぁ!”と息子にバカにされる。
”名人の落語は何度聞いても面白いのだ!”

ドラマ「ちりとてちん」というのは、現在から20年後の若狭の、
実際高座にあがって演じたのか、台本だけなのかわからないものの、
自分の半生を素材にした新作落語の集大成と言っていいわけです、たぶん。
いやおそらくは、それらは母ちゃんに捧げられたはずだから豊作落語ですね。

実際の落語でも長編になると分割したり、
あるいは与えられた時間に合わせて、自在に切り継ぎして演じられている。
「ちりとてちん」も各週に山場が必ずあるから、
どこをどう切り取っても、涙あり笑いありの
一席の落語になるように出来ている。
だからどこを選んで見ても構わないのですが・・・
第6週「蛙の子は帰る」は、喜代美の奔走によって、
草原と四草が徒然亭の落語家として復帰する、感動の週。

草原が緑さんの後押しもあって、復帰を決意する場面。
喜代美が徒然草の序文を引用するんですが、ここでいつも引っ掛かる。
同じ事が13年後、奈津子さんにひぐらし亭の名前の由来を説明する時も、
同じ言い回しをしている。

”ひぐらし机に向かいて
 心にうつりゆく よしなしごとを・・・

ここで私の耳には、「よしな・しごと」って聞こえるんです。
「よしな仕事」って何だ?って思ってしまう。
もちろん「よしなし・ごと」じゃなきゃいけない。
たとえば私は長いこと「清少納言」を「清少・納言」と疑いもせず読んでいた。
正しくは「清・少納言」ですね。

さて「よしなしごと」を正しく「よしなし・ごと」と
口に出して言ってみるんですが、不思議なことに
どうしても喜代美と同じように「よしな・しごと」になってしまう。
あれ?どうして?”ずっと、不思議やなぁ、思とったんです」

・・・とまあ、こんなどうでもいい「よしなしごと」に頭を悩ませるって、
地下鉄漫才なみのめでたさ加減。
さらに他愛ない妄想もふくらんで、
もし徒然亭の誰かが弟子をとることがあって、名前をつけるとして、
枕草子をそっくりいただいて、枕草とか枕々はアリだよな。
さらにその弟子となれば小枕草とか小枕々もあるだろう。

不眠症とはどうも脳の軟化を加速させる、恐ろしい病なのかもしれない。
どねしよ・・・・


春・笑い咲き乱れ 

2009-04-15 | ちりとてちん

”野辺へ出てまいりますと春先のことで、
 空にはひばりがピーチクパーチクさえずって 
 下にはレンゲ・タンポポの花盛り・・・

花がいっせいに咲きほこるこの時期、
ついこの『愛宕山』のフレーズが口をついて出ます。

去年の四月は朝ドラ『ちりとてちん』が終わって、生活にポッカリ穴が空いて、
どこか身の置き所がみつからないような空虚な毎日でした。
草若師匠の命日である4月1日は、我らちりとてファンにとっては、
奇跡のような極上のドラマとの、身を切られるような惜別の日でもありました。

さて徒然亭草若師匠の十八番(おはこ)中の十八番である『愛宕山』
これを東京のホンモノの落語家のなかでは、
あの名人・桂文楽が十八番の一つにしていたんだそうなんですね。
(ちりとてつながりでいえば、『影清』『酢豆腐(ちりとてちん)』
 最近出たDVDの演目の中に入っています。・・買わなきゃ・・・)
でこの『愛宕山』というのが実は、体に大変な負担のかかる演目だそうで、
・・特にあの一八が竹を利用して、棒高跳びの要領で山頂に戻る場面、
医者からは”寿命が縮むから、この噺はもう止めなさい”とまで忠告されていたそうです。
にもかかわらず文楽師匠、そんなことに耳を傾けるわけもなく演じ続けたそうですが・・・
(草若師匠からはそんな力技が必要のようには感じなかったんですが、
 寿命を縮めたのは酒だけのせいではなかったのかも知れませんねえ。)

  Photo

これはスタジオの南面にある小さい崖、
手前に山桜、笹竹の奥に背の高い竹が群生していて、
まさに愛宕山のミニチュア版といった感じで、
わたし、時々崖に向かってカワラケを投げたりしております。
・・・ウソだっちゅうの!

しかしまあ、こんな暖かい陽気が続く春も珍しく、
出不精な私が、この春を体いっぱいに満喫しようという気になりまして、
先日新潟へ出、レンタサイクルで市内を走ってまいりました。
信濃川安らぎ堤の桜はまだ咲き始めでしたが、
雪柳の生垣が満開で、甘い香りを吸い込みながら風を切って走ったのはいいが、
柳都大橋をあがり降りするだけで、息が切れてしまうという情けなさ。
日頃の運動不足を痛感しましたね。
トキメッセの展望階から、春霞にけむる新潟をぼんやりと眺めていると、
不思議な感慨にとらわれます。
港を出る船戻る船。網の目のように走る道路を行きかう車。
この街にほぼ80万の人間がほとんど交わることなく生活しているんだよな・・・
何なんだろうなあ人生って・・・

それからわずか5日後、めずらしく夜桜見物のお誘いがあって、
もちろんウキウキとお出かけいたしました。

  09413

ここは新潟では有名な白山公園の桜。
月曜の夜だからなのか、昔のようにカラオケもなく、
グデングデンのオヤジも見かけない、いたって静かな輪がいくつか出ているだけでした。
屋台の方は、制服の高校性ばかりがめだつ、異様な雰囲気に
そうそうに古町へ逃げ戻ったのでありました。
夜の古町わがふるさとに戻れば、桜など忘れてしまって、
美味いもの、旨い酒におバカな話にあっという間に時がたっていきます。
うたかたの春の夜の夢のごとき人生なのでございます。

”やっかましゅう言うてやって参ります、その道中の陽気なこと”


小次郎・考 

2009-01-31 | ちりとてちん

このタイトル、ちりとてファンならわかってくれるでしょうか。
”小次郎こ?”
若狭地方の方言だと”小次郎か?”がこうなるんですね。
ドラマの中で小浜が舞台になると、よく耳にしました。

2chの「ちりとてちん」の掲示板、
あのちりとてワールドから去りがたい人がいっぱいいるようで、
番組終了10ヶ月経った今も活発に続いています。
私も去りがたい人間のひとりで、
この掲示板には時々、「なるほどねえ」って感心するような指摘や
関連情報があるものだから、チェックを怠るわけにいかないのです。

何度も何度も見ては噛みしめる「スルメ」ドラマでありながら、
どうも歯にはさまり、飲み込みにくいキャラがひとりいるんです。
それが京本政樹演じる、喜代美の叔父さん・小次郎
いわば京本版「フーテンの寅」さんで、本人も役者として転換のキッカケになった、
当たり役というくらいだから、なくてはならないキャラではあるんですが・・・

でも私は当初、違和感を覚えていて、むしろ強烈な印象を受けたのは、
「フーテンの小次郎」じゃなくて、落語の再現寸劇のほうだったんですね。
「算段の平兵衛」の平兵衛は本領発揮のカッコイイワル
しかし「辻占茶屋」の源やんはとても”しょうもない男”には見えない。
やはり京本政樹は『四谷怪談』の伊右エ門といった
色悪こそが似合うんだがなあ、って思ったものでした。

 色悪・・・表面は二枚目であるが、色事を演じながら女を裏切る悪人
 http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc_dic/dictionary/dic_a/dic_a_51.html

あるいは、「算段の平兵衛」に惚れ、”女がかってに貢いでくる”四草こそ、
色悪で設定しても面白いんですが、
しかし「ちりとてちん」は健全な朝のホームドラマですから、
色悪なんてケバケバしい設定を望むほうがムリってものですけどね。

さて、色悪を演じさせたい京本政樹の「フーテンの小次郎」はといえば、
何かというと、いい歳をして
”どうせわたしはこの家の貧乏神ですよーーだ”と言ってすねる、
こどものような独身男。
(・・あのフーテンの寅さんも、いってみればこどもでした)

仮説・・小次郎はこども(のまま)である
あの躾に厳しいはずの小梅さんが、横を向いて食事をする息子を叱りもしない。
あの見苦しい姿を放っておくなんて、いかに甘く甘く育ててきたかわかろうってものです。
”ワシにはどうして正の字をつけてくれなかったんだ。
 せめて小じゃなくて梅をつけてくれなかったんだ”って、
草若師匠相手にグチっていましたが、
梅次郎じゃいかにも遊び人そのまんまじゃないか!
つまり小次郎の小は「可愛い」の意味の小なんですね。
若く美しき才女・奈津子さんが、よりによってフーテンの中年男に惹かれたのは、
小次郎のこどものような純なところらしいんですが・・・

それほど親の愛情を受けながら、なぜまっとうな仕事につかず、
フーテンになってしまったのか?

私思うに、少年・小次郎は、家の中での自分の位置に言い知れない浮遊感、
疎外感がふくらんで行ったんじゃないかって思えるのです。
可愛がられていることはわかっていても、親の期待は
跡継ぎとしての兄・正典に一心に集まっていることは肌で感じたろうし、
学業もおそらく思わしくない。
自由にさせてもらうことが、逆にさして期待もされない希薄な存在に思えてしまう。
兄への劣等感にいじけず、自分なりに力になろうとする努力もいつも裏目にでる不器用さ。
本来優しくて思いやりのある子なのに、その思いが通じない悲しさから、
親の愛を感じながらも、浮遊感、疎外感が大きくなっていく。
その反動が派手な服装になり、家を捨てたわけでもない中途半端な旅人に駆り立てる。

仮説・・小次郎は「わらしべ長者」である
それを考えるために、小次郎がドラマの中で担う重要なシーンを挙げてみると、
1、大漁旗をふって喜代美(若狭)を応援する
  「お母ちゃんのようになりたくない」といって、大阪へ出る時と
  常打ち小屋を建てることになって、寄付金を届ける時。
2、破門になって行方知らずになった草々の居場所を知らせる
3、宝くじを当て、どうみても不釣合いな美女を得てしまう

元手の一本の藁を次々に交換していって、
最後は大きな屋敷まで手に入れてしまう「わらしべ長者」
ガラクタにしか見えないものを、お宝といって集め、
一攫千金を描いた落語「はてなの茶碗」に激しく反応する、
地に足がつかない夢見る男・小次郎。
だがなぜか幸せの運がついている。

仮説・・小次郎の象徴するものは旅芸人である
家の中での浮遊感は、ふるさとへの疎外感でもあって、それが放浪へと駆り立てる。
しかし自分のお宝を道端や神社の境内で売るにしたって、しかるべき元締めの許可をとり、
その世界に筋を通しておかなきゃならない。
つまりは非定住者の仲間として認めてもらわなきゃならない。
昔、住むべき土地を持たず、各地を転々としてモノを売り、芸を売る漂白の民がいて、
今のように通信網が発達していなかった時代、
モノと情報を媒介するのはそういったモノ売りや芸能の民だったのですが、
寅さんのように、神社の境内でモノを売る香具師や
門かどを回って言祝ぐ(幸せを呼ぶ狂言)万歳師もそういった仲間で、
小次郎のやっていることは、まさにそれじゃないか!

小次郎を漂白の芸能の民の象徴とみなせば、
喜代美(若狭)を応援するのは芸能の民の仕事だし、
寄付を集めて届けるのは勧進聖(かんじんひじり)がやったこと。
そして旅の民のネットワークが各地の情報を交換し、土地土地にもたらしていた。
さらにいえば、小次郎は若狭遊女の末裔・小梅さんの可愛いこどもに
ふさわしい生き方をしているということができるんじゃないか。

小次郎というのは、芸能を生業とする民、すなわち
人と人の間を媒介するメディアを象徴している存在といえるんじゃないか。

しかしこの漂白の小次郎もついに奈津子さんという「ふるさと」に
定住することになるんですが、
この奈津子さんというのも、どうやら「ふるさと」への疎外感に
悩んで生きてきた人のようなのです。


はてなの茶碗 

2008-12-14 | ちりとてちん

仕事を終えて、風呂に入り、コタツにもぐって、テレビをつける。
ミカンでも食べながらぼんやり見ていてもどうも面白くない。
で、録っておいた番組をみることにする。

NHK懐かしのアーカイブから「桂枝雀ショー」をみる。
桂春蝶さんがゲストで出ている。
この人も若くして亡くなってしまったが、アノ頃
仕事場には一日中ラジオがついていて、
森乃福郎、上岡竜太郎そして枝雀さんや春蝶さんの声を
毎日のように聞いていた覚えがある。
本業のかたわら、小草若や若狭のようなタレント業をやりながら生計を立てていたんですね。
当時の落語界、四天王の脂ののりきった頃で、その下の
枝雀、春蝶そして仁鶴さんなどの中堅の落語もよく聞いた覚えがあるから、、
結構活気がある時期だった。

小米朝、米団冶襲名関連番組で、今は亡き枝雀、吉朝さんの映像をみた。
ふたりが生きていたら、上方落語界ももっと
芯の太いものになっていただろうなと、残念で仕方ないが、
そんな有望な弟子ふたりを失った米朝さんの悲痛な念いたるや・・。
もう高座に上がることはできないらしいが・・・老けたなあ・・・・

その米朝さん演じる落語「はてなの茶碗」をみる。

あらすじ
有名な茶道具やの金兵衛(茶金さん)が茶屋の茶碗を眺め、
「はてな」とつぶやくのを見た油売りの男、
価値ある茶碗と踏んで、茶屋からニ両で買い取り、茶金に売ろうとする。
だがそれは傷が見あたらないのに水が漏る安茶碗だった。
落胆する彼に、茶金は「私の名を買ってもらったようなもの」と、
茶碗を三両で買う。
その後、茶碗は数奇な運命を経て、本当に千両の価値のある茶碗となる。
   NHKステラ「ちりとてちん」メモリアルブック

”なんの障りもない茶碗”なのに水が漏ることなど、あり得ません・・が、
何の変哲もない安物の茶碗に千両の値がつく。
こっちの方は、決してありえない話じゃなくて、
まあ私はこの話を、庶民が感じる茶碗の(美術品の)値段のはてな?を皮肉った、
ブラック・ジョークとして楽しんでいるのです。

”どうみても同じ品モンなのに、大きい方が20万で小さい方が40万。
 不思議やなあと思ってみていると、何やら小さい方が、
 品格があるように見えてくる。
 ・・・とそこへ係員が来て、「間違えました」といって値札を取り替えていく”
米朝さん、こんなまくらをいくつか挙げてから本題に入っていきます。
因みに枝雀さんのまくらからは、この落語のテーマは「人間ほどほどがいい」になるんですが・・・

上方落語メモ集「はてなの茶碗」
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo13.htm

茶碗、大きく広げて美術品の価値というのは、本当にわからない。
原材料の単価計算や技術料だけで表せないところがややこしくしているのですが、
その一番ややこしくしているが、権威の介入ですかね。
というと大げさですが、ある権威のお墨付きのあるなしで価値が大きく変わる。
たとえば俗に「名物」などという伝来ものは、
まずある権威の美意識(ゲテモノを面白がるなど)によって選別され、
ついで権力者(武将・公家)などが愛用したとか、
それがまた別の権力者に渡ってを繰り返して、ハクをつけていく。
こうして中国や朝鮮で安物として捨てられたような茶碗が、
日本では膨大な価値がついてゆく。

今ならブランドがそれにあたります。
フランス、イギリスの貴族に好まれてきた品々。
あるいは皇室御用達の、もともと富裕層(セレブ)向けの値段設定されていたモノが、
庶民にも手が届くようになって、本場の人も驚くほど殺到する。

またたとえば、日本の国宝に指定されている室町時代の書画などの中には、
日本人の好み(美意識)に合わせて中国で作られたニセモノがあるという。
ゲテモノ好きの日本人の美意識を、中国や朝鮮の人にわかってもらわなくて結構、
と開き直ればそれでいいのですが、
日本人としては日本の特殊なひねくれた美意識は自覚しておいた方がいい。

一般人には見えない特殊なカラクリに満ちた美術界に住んでいれば、
当然権威との結びつきを強め、お墨付きを得ようと奔走する人も多くなります。
清水焼の安茶碗がことによったら、十両、百両、千両の茶碗に化けることだってあるのだから。
茶碗の値段にはそういった、複雑怪奇な事情があることくらいは、知っておいてもいい。

茶碗で味をしめた油屋、欲をかいて、安物の水甕を茶金さんに買ってもらおうと持ち込む。
それが「はてなの茶碗」のオチですが、
人間の欲を中心テーマに据えれば、枝雀さんのまくらになります・・・が・・・