『同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない』と
WHO(世界保健機構)が、同性愛は病気ではないとお墨付きを与えてくれても、
世間一般の偏見が、そう簡単に正せるものではない。
異性愛、つまり「男は女が好きで、女は男を愛する者」を
正常とみなす常識からすれば、同性を愛し、セックスの対象にすることは、
精神的に異常なのであり、それが短絡的にエイズと結びつけられて、
汚らわしくもおぞましい変態を見る目で、遠巻きにしているというのが、
今の日本の現状だろうか。
芸能界で活躍しているゲイ人のことも、
独特な感性を持つ特殊技能者として、見世物的に楽しんでいるだけであって、
隣人として付き合いたいとは思っていないだろう。
まだほとんど人は、同性愛者は病気の人達だと思っている。
同性愛の人の多くは、世間の偏見におびえて、カミングアウトができず、
神経症に陥るといわれるが、一方で世間の偏見こそ、
自分達の存在を際立たせ、誇りに換えてくれる糧と考える人もいるようだ。
正常であることがどういうことか、考えたこともないような、
ユルイ世間の承認など潔しとしない、誇り高き異端者であろうとする人達。
世間との違和感に深く悩んできた、ある種の緊張感が、
彼ら独特な感性を磨いているのかもしれない。
酒場で仲間と議論になった。
”もし自分の息子がゲイであることと、ホストになるのとどっちがイヤかね。”
”ゲイの場合は、反対も嫌もなく、体質的な性向なんだから、認めるしかない。
ホストはサービス業といえばそうだが、
男が女に媚を売る、その精神の卑しさがイヤだね。”
”俺は男が男と抱きあうと想像しただけで気持ち悪くなる。
ホストならホステスと同じだろう?
精神の卑しさとか上品なんて関係ない。
セックスは男と女がするものだということ。”
”20歳の男が、金のために50歳の女とスルというのも
十分気持ち悪いと思うが・・・”
”20歳の女が金のために60歳のジジイとするのと同じだって・・”
”セックスのヴァリエーションが拡がった中での趣味の問題だな。
同性アリ、年の差アリ、SMアリ、女装アリ・・・
要は多様な快楽を認めましょうってことかね。”
”認めるのはいいが、キライだね。”
”つまりそれが偏見なんだが、キライなのを好きにもなれないからな”
侃々諤々、結論の出るわけもない。
・・・・・
アメリカの映画界では、
すべての人種を満遍なく使うという取り決めがあるらしいが、
同性愛者も映画の中で、一定の位置と与えられて来ているようだし、
今年のアカデミー賞は、ホモのカウボーイの友情物語だった。
イギリスでは、たまにイイ男!と思うと、大抵ホモで、
女は男を見つけるのが大変なんだとか。
アチラではある程度市民権を得ている様子だが、
日本の実情はどうなんだろう。
悪びれず堂々と生きている人はまだホンの少数だろう。
意外な男がソレだと聞いて、チョッと考えてみた。