姪っ子が可愛がっていた猫が死んで、骨壷を作ってくれと頼まれた。
完成して渡すとき、まだ読んだことがないというので、
絵本『100万回生きたねこ』佐野洋子著(講談社)を添えてあげた。
この絵本、あまたある絵本の中でも、不朽の名作のひとつと思うが、
私もこれまで何冊かプレゼント用に買っている。
1977.10.20 第一刷 それから30年
2007.7.13 第89刷 とある。
久しぶりに読んでみた。
それまでいろんな飼い主のねこだったねこが、
のらねことして生まれかわった。
”ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。
ねこは 自分が だいすきでした。”
尊大で自分だいすきねこが、ある白いねこに魅せられてしまった。
誇り高いねこが自分に正直になって
”「そばに いても いいかい。」
と、白いねこに たずねました。
白いねこは、
「ええ」
と いいました。”
自分より好きな対象を見つけたのらねこ。
他を愛することを知った。
そして老いた白いねこが死んだとき、
100万回の生で泣かなかったねこが、泣きあかして死んだ。
2度と生き返ることはなかった。
本の帯に「・・・般若心経の絵本なのだ」(柳田邦男)とある。
こどもからおとなまで、さまざまな人が、おのおのの精神に添った
寓意を読みとれるこの絵本。
人間が人間として生まれてきたということは、
このねこが100万回目の生で
誰が飼い主でもない、自分が自分の主人であるのらねことして
生まれてきたことと同じなのではないだろうか。
愛と涙の意味を知る素質をもって生まれてきているということ。
「自分が好き」を「あなたが好き」に変える運命を負って。
「あなたが好き」は自己愛の延長なんだろうか。
他を自分の中に取り込むことが愛だろうか。
自己愛から放れて得た自由。
自由とは自己愛の束縛から解き放たれた喜び。
自由になれた人が、人を愛せる。
それは本を読む喜びに似ている。
本を読むとき、自己(わたし)はいない。
自己から自由になった精神が、本という海を泳ぎ、空をとぶ。
自分にがんじがらめになった不自由な人。
不自由な人が人を愛することはできない。
不自由な人は本に遊べない。
人間は自己という殻に閉じ込められた不自由な生き物なんだな。
他人(ひと)を愛する自由の喜びを奪われたとき、
人は哀しみに暮れる。
人を愛する自由を奪われた人たち、
人を愛する自由を捨てたエゴイスト(自己愛)たち。
哀しみが地球に巣食っている。
この絵本をみていると、そんなさまざまな想いが湧いてくる。