100匹の働きアリがいるとして、
その全員一匹の不届き者もなく、労働にいそしんでいると思っていたら、
意外なことに、そのうち20匹つまり20%の割合で、
ピクニック気分でチンタラしているヤツ、
不必要な変なモノを運んでいるヤツなど、
組織の統率を乱すヤツがいるのだという。
20%は多すぎないか?と思うが、
ではそういう怠けものを除いて、マジメなヤツだけを集めても
やはり20%ほどのはぐれものが出るという。
どういうコトだ?
「オレひとりくらい適当にやってもわからんだろう」と考える
ズル賢いヤツが20%くらいはいるもんだ・・・というだけの問題だろうか?
数が多いときは目立たないだろうが、
20匹になっても、10匹の精鋭部隊になっても
確実にはぐれものがが出るとしたら、ズルイだけの問題では済まないだろう。
もしかしてこの20%というのは、組織にとって意味があるのではないのか?
いうまでもなく、80匹の律儀な働き者が、組織を支える主力なのだが、
組織というのはとかく保守的になって硬直しやすいもので、
安定期には確実に力を発揮する一方で、
環境が変化を来たした時、組織が大きいほど柔軟に対応できず、
案外脆く崩れてしまうことがある。
そういう時、一見役立たずの遊び人たちが、
外の変化を伝えているのではないだろうか?
つまり20%のはぐれもの、怠けもの、遊び人というのは、
変化をうながすものとして、あらかじめ組織生命体に組み込まれているということ。
進化を例にとってみれば、DNAに変化をもたらすRNAの働きがまさにそれだし、
あるいは維新の志士というのも、いってみればそういう存在といえるだろう。
そして芸術というのが
・・・役立たずの、非生産的な、穀つぶしの、遊んで暮らしているような連中の活動も、
変化をうながすものとして、人間の活動にあらかじめ組み込まれたものといえないだろうか。。
まじめに働く80%の人たちには、
苦々しい限りの、穀つぶしにしか見えないんでしょうけどね。