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絵空ごと

あることないこと、時事放談から艶話まで・・・

変化をうながすもの

2010-08-28 | 日記・エッセイ’10

100匹の働きアリがいるとして、
その全員一匹の不届き者もなく、労働にいそしんでいると思っていたら、
意外なことに、そのうち20匹つまり20%の割合で、
ピクニック気分でチンタラしているヤツ、
不必要な変なモノを運んでいるヤツなど、
組織の統率を乱すヤツがいるのだという。
20%は多すぎないか?と思うが、
ではそういう怠けものを除いて、マジメなヤツだけを集めても
やはり20%ほどのはぐれものが出るという。
どういうコトだ?

「オレひとりくらい適当にやってもわからんだろう」と考える
ズル賢いヤツが20%くらいはいるもんだ・・・というだけの問題だろうか?
数が多いときは目立たないだろうが、
20匹になっても、10匹の精鋭部隊になっても
確実にはぐれものがが出るとしたら、ズルイだけの問題では済まないだろう。
もしかしてこの20%というのは、組織にとって意味があるのではないのか?

いうまでもなく、80匹の律儀な働き者が、組織を支える主力なのだが、
組織というのはとかく保守的になって硬直しやすいもので、
安定期には確実に力を発揮する一方で、
環境が変化を来たした時、組織が大きいほど柔軟に対応できず、
案外脆く崩れてしまうことがある。

そういう時、一見役立たずの遊び人たちが、
外の変化を伝えているのではないだろうか?
つまり20%のはぐれもの、怠けもの、遊び人というのは、
変化をうながすものとして、あらかじめ組織生命体に組み込まれているということ。
進化を例にとってみれば、DNAに変化をもたらすRNAの働きがまさにそれだし、
あるいは維新の志士というのも、いってみればそういう存在といえるだろう。

そして芸術というのが
・・・役立たずの、非生産的な、穀つぶしの、遊んで暮らしているような連中の活動も、
変化をうながすものとして、人間の活動にあらかじめ組み込まれたものといえないだろうか。。

まじめに働く80%の人たちには、
苦々しい限りの、穀つぶしにしか見えないんでしょうけどね。


日記 10.5.16

2010-05-16 | 日記・エッセイ’10

色んな方が遊びに来てくれます。

初夏”胸元の露出ね”が増える好い季節。
見て見ぬふりがしっかりバレている芸が板に付いてきた^^ 


暑さを感じるようになると、若い女性の着るものがドンドン薄くなって、
胸元も大きく開いてまいります。
眩しいくらいに若さが弾け飛んでくると、もう目のやり場にクラクラするのでございますが、
そこは年の功、恥ずかしがってせっかくの滋養を見逃すはずがござんせんですよ。
見て見ぬフリをして見ているのを気づかせてやるのですね。
”見て欲しいから露出しているのに、見てあげない手はない”と理屈も用意しておりまして、
堂々としたようでいながら照れも含みつつという、高等熟練の芸なのだと、
開き直っておりますな。

”姉妹ですか?えーー母娘!・・・なにっ!二児の母 え、え、えーーっ!・・・で、独身??えーーー?
ど、どうしよう!!”


どうしようったって、どうしようってワケじゃないんでありますが、
こんなに若くて可愛いのに、もう二児の母で、なのに父親とは巧くいかなくなって・・・
そんな波乱の人生に、こっちがドギマギしてしまって・・・

記念だといって、よくツーッショットの写真を頼まれるのです。
”こんなキタナイジイサンを写らなくたって”って、一応断っておいて、
渋々といった風に、喜んで写されるわけなんですね。
敵も一応遠慮して隙間を開けて並ぶのを、
グイと肩など抱き寄せ、ハイ^^ ちゃうわけです。
が、誰も”何するんですか”なんて怒ったりしません。
そこは短時間ながら、おしゃべりをし、笑い、気こころも多少はわかりますから・・・
それにチョイエロオヤジとインプットして、免疫も作ってありますからね。

こんなことをしかし、誰とでもするわけじゃありません。
若くて楽しく遊べた女性とだけでございますよ。
若くない方には、コッチの方に免疫が出来てないのです。
つまり一種のアレルギー反応ってことでしょうか。
そこがファンあってのタレントさんたちと違うところで、
アチラは人を選ばす、こっちはもう・・・ヒドイもんです。


日記 ’10.5.6

2010-05-07 | 日記・エッセイ’10

鬼は桃が苦手だということから、桃太郎は少女である、という珍説がある。
桃は若き乙女の命の象徴ってことだが、鬼さんバカだねえ。
・・・今年は桃の花がたくさん咲いて見事だ。
何かイイコトがありそうな・・・あるわけ、ないか・・・

中国人に桜は似合わない・・イメージが結ばないように、
日本人には桃というのは、やはり少し気質に合わないようだ。
同じピンクといっても桜は淡く白に近いし、潔く散って実を結ばない。
何というか実利的ではないのですね。
非生産的で無意味であることに美を見出すのが日本人、って感じでしょうか。

桃の絵に色をつけるとき、
わたしなら、そう桜のように白っぽいピンクです・・が、
中国の桃は本当に濃い、赤に近いくらいの桃色で、
そのケバケバしさは、住居や衣服をみればすぐわかる。

ピンク色に発情するのは日本人だけじゃないでしょうが、
でも発情するからには、あまり淡いピンクでは萌えてこない。
やはり目にも鮮やかなショッキング・ピンクですねえ。
はちきれんばかりの、生命力そのものという感じで目に飛び込んで来る。
そんな元気でピチピチした活きの良さがピンクにはあって、
若い女性がピンクの服を着ていると、妙に眩しいじゃありませんか。

街中を女子高生が並んで歩いているでしょ。
恐いものなしって勢いで、堂々と道幅いっぱいにノシてますよ。
若さっていいなあ、って思いで観るンでも、
キッと睨まれそうで、なるべく目を合わせないように
恐る恐る、さりげなく見るわけです。
鬼の気持ちがチットはわかりますね。


日記 ’10.5.5 其の2

2010-05-05 | 日記・エッセイ’10

猫のやつ、陽気がよくなると昼間ほとんど姿を見なくなる。
おそらくモグラ捕りと日向ぼっこだろうが。
・・夜テレビで、ネイチャー物の中で鳥が出てくると、途端に画面に釘付けになる。
そこにヒナが出てくると一気に捕獲モードに入る!
画面のデカイヒナでも、ヒナはヒナと認識するのだからエライものだ。

去年、メスの雉を咥えて来たときは大騒ぎだった。
死んだ母鳥について、そのこどもの雉が二羽、後をついて入って来て、
天井の梁に乗ったまま動かないのだ。
フンを落とすので、何とか捕まえようとするが、
下手に追っては茶碗を壊されかねない。

結局どうなったかというと、
どうやら諦めたのか、
開けっ放しにしておいたドアから出て行ってくれたのだが、
母親なしで生きていけるのだろうか。
他のノラ猫や狸の餌食になりはしないか、
しばらくは申し訳なくて、無事を祈るしかなかったのである。

猫を叱ったところでどうなるものでもないし、
獲物なしで帰るときは、心なしかうな垂れているように見える。
まったく男まさりのじゃじゃ馬娘には、困ったものだ。


日記’10.5.5 其のⅠ

2010-05-05 | 日記・エッセイ’10

この連休の好天で、田植えも順調に済んだことだろう。
・・夕方、スキ鍬でコスモスとひまわり用地を耕す。
ウグイスと山鳩の声が夕暮れの空に澄み渡る中、
小型鎌で雑草の根を丹念に除ける作業が続く。
気持ちの良い汗。
夕食後、タネを仕分けし、朝顔のタネを水に浸す。
土いじりの
何と心安らぐことか!