以前「捨てる神あれば拾う神あり」をネタに、ジョークを書いたことがあった。
日頃の不信心者が、切羽詰まると神さまに手を合わせてしまうというものだ。
強がって見せてはいるが、男なんてものはその実、弱いもので、
イザとなるとからっきし意気地がなくなってうろたえる。
ストレスに弱いのも女より男だし、
自殺するものの数も、比較にならぬほど、男が多い。
「苦しいときの神だのに」肝心なときになると、神さまなんて薄情なもので、
最後に泣きつくのは結局「カミさん」である。
「こんなときの為に、貯めていたの」なんて
ベタなセリフが返ってってくれば、地獄に仏。
ふだん鈍臭いとおもって見る気もしなくなったおかめ顔も、
蹴飛ばしてやりたいようなデカイケツも、
そんな時ほど頼もしいく思うことはないんである。
たとえ「そんなへそくりできるような余裕、あると思ってんの!」と
罵声を浴びても、神さまなんてそのひと言もかけてくれない。
そこに「カミさん」がどーんといてくれるだけで、男は救われるのである。
「こどものためにも、もう一度ふたりでやり直せばいいのよ」
おかめ顔もデカイケツも、なにやら神々しく思えておすがり甲斐がありそうに見え、
”お父さん!!お母さんを大切に使用!!”ってこどもに叱られたことを思い出し、
ああ、もっと大切にしておくんだったと反省してうなだれるのも、こんな時である。
しかし男というものはしょうがないもので、
「カミさん」のおかげで、なんとか好転しはじめると、
またぞろスケベ心が疼いてあらぬ欲掻く性懲りのなさ。
「捨てるカミさんあれば、拾うカミさんあり」なんて、そう上手くいくもんかい。
だからわたしは「カミさん」なしの神だのみ。