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絵空ごと

あることないこと、時事放談から艶話まで・・・

開いた口が塞がらない

2006-09-08 | 日記・エッセイ・コラム’06.

新釈いろは歌留多「あ」2
『開いた口が塞がらない』

開いた口を塞がせないのは、歯医者である。
歯の型を採らされるときなど、苦しくて涙が出るときがある。
塞がらないほど大口を開けるケースで考えられるのは、
はばける(これは新潟弁か?)ほど大きいものを押し込むか、
いきなりバカデカイ声を上げるなどして、
アゴが外れる場合であるが、この状況の意味するところは、
そーゆー物理的な状態を指すのではなくて、
唖然としてしばし時間が止まってしまう、あの感覚である。

英語の発音記号でいうと『∂е』(発音記号のフォントがないので代用)
アとエを同時に発する感じである。
バカバカしさと、情けなさと、失望と怒りが混然となって、
意味のある言葉が出ないのである。
”信じらんなーーーぃ”では、曰く言いがたい気分が出ないだろう。

またこの時重要なのが目であって、
目を閉じて口を開けっぱなしでは、間抜けである。
目に力を込めて、キキッと睨んでこそ、
無言の『∂е』の迫力が相手に伝わるのである。
口を大きく開けると、とかくダラシナイ表情になりやすいから、
常々練習を積んでおいた方がよいだろう。

蛇足であるが、口を開けっぱなしにする際は、
口臭には気をつけるべきである。
口臭というのはバカ正直に忠告しにくいものである。
”開いた口を臭がらない”エチケットを守らせるより、
ときどきは自分で気をつけよう。
密閉した車の中で並んだときなど、閉口する。
人が妙に顔を背けて話すなぁと感じたら、
すぐ歯医者に行くことを勧める。


名月や・・・

2006-09-07 | 日記・エッセイ・コラム’06.

ぶつぶつ日記 9.7
窯の修理が済んで、10日ぶりの薪窯。
9月になった途端、「トンネルを抜けると秋だった」というくらい、
劇的に涼しくなった。
10日前とは打って変わって、窯焚きが楽になった。
汗が出ないから、水分も欲しくない・・からアセモも出ない。
いい年のオヤジが首筋にシッカロールをつけてる図は情けないからな・・

虫の音がウルサイ。いったいどれだけの種類がいるのか?
これだけ音が交錯している中から、気に入った相手を選ぼうという。
虫ごときにも好みがあるって訳だ。
いかなる環境の変化にも対応できるために、適応の幅を広げる、
それがオスメスに分かれた性の目的なのだから、
出会い頭ぶつかったもの同士、適当にくっつけば良さそうなものだが、
・・・虫にも「好み」があるとは生意気じゃないか。

月が美しい。
厚い雨雲がいつの間にか晴れて、夜空に煌々と輝いている。
昔はウサギが餅を搗いているように見えたものだが、
がんばってみようとしても、そう見えない。
童心が科学に毒されてしまった?

寿命のきた人工衛星を月面に衝突させて、
飛び散った砂塵を地球から観測して、土の成分を分析しようという。
その技術力、スゴイねえ。
地球から飛び出たものなのか、他所から来て、地球に捕まったものなのか、
生きているうちに結論を知りたいものだ。
以前設置された地震計による観測によれば、
月はちょうどお寺の鐘のように、衝撃波が長い間続くという。
ゴーーーーンと鳴り続けるわけだ。
そこから、月の内部は空洞で、
ウサギの餅つきのように見える暗い部分というのは、
溶け出したマグマ、それも金属質の冷え固まったものだという説があった。
さらに内部が空洞だというので、実は月自体宇宙人の作った宇宙船で、
これまでづっと地球を監視してきたのだ、という珍説もあった。
地球誕生以来45億年も・・・ご苦労様なことだ。
NASAの発表した写真を仔細にチェックすると、
月面には人工建造物やUFOの出入りする穴があると主張して、
修正しない写真を公開しろと、NASAを手こずらせている輩もいるらしい。

しかしまた月へ行った宇宙飛行士の多くがUFOを目撃したといわれ、
あるいは絶望的な状況で「神の声」を聞いて、危難を救われ、
帰還後宗教活動に走った飛行士もいる。
かと思うと月に人類が降り立ったのは、
壮大なデッチあげだと文句をつける人たちもいる。
しかし月面への置き土産が衛星から観測できるのだから
行ってないってことはないだろうが、
それにしても月への有人飛行が途絶えて、長い年月が経つな。
また再開するらしいが、宇宙人がいたら礼儀正しく挨拶して欲しいな。

たしかに月というのは、不思議といえば不思議な物体で、
特に見かけの大きさが太陽と全く同じというのは、
誰かが計算してこの位置に置いた、といわれてもおかしくない絶妙さだ。
煌々と輝く月を眺めていると、狼ならずとも、
妖しくも狂おしい思ひに駆られて吠えたくなる気分になる。
明日は満月だ。


マイ・ダラリン

2006-09-07 | 日記・エッセイ・コラム’06.

久しぶりに田舎道を走ったら、田んぼはすっかり実りの秋、
すでに刈り取られているところもあった。
”実るほど頭を垂れる稲穂かな”
人間謙虚に生きていかなアカンのであるが、
”あせるほど頭を垂れる○○○かな”
すぐパロディを思い出して笑ってしまう不謹慎者ではね・・

いとしの亭主のことを、「マイ・ダラリン」という奥さん。
そりゃ男も50になれば、そっちの方の興味が薄れるのは至って自然なこと。
若いピチピチギャルでも相手なら、鎌首もたげないこともないでしょうが。

最近、出会い系を上回る数のドラッグ関係のメールが入る。
アメリカならネット通販で簡単に手に入るようだ。
医者に相談無しで手に入るってのはいいが、
事故でもおきたときが面倒だ。
「医者に相談したらどうです?」
でも「そうまでしてしなくていい」って感じなんでしょうね。

60になっても70になっても、元気な人は元気ですからねえ。
回路の構造が違うんだろうけど、リハビリで機能回復可能っていいますよ。
昔の熱かったころの記憶を刺激するんだって。
思い出話からはいるのがいいそうです。
可愛かった昔を思い出させるんです。
それがマイ・ダーリンだった頃に戻す秘訣だそうです。
秋、思い出を語るには良い季節じゃないですか。


ぶつぶつ

2006-09-07 | 日記・エッセイ・コラム’06.

坊主の読むお経なんてものは、知らない者には
分けの分からんことをブツブツ唸っているようにしか聞こえない。
ナンマンダブ ナンマンダブ
眠気がさすくらいのほうが、ありがたいくらいなものだな。

口には出さないが、くだらないことを
ブツブツブツブツつぶやいていることが多い。
砂に穴を掘って大声で吐き出すほどではないが、
水の中に顔を突っ込んで、ブクブクするのもいいな。

花むぐりがムクゲの花芯に潜り込んでムグムグしている。
黄色い花粉を体中に貼り付けて、
もっと奥に潜り込みたいんだというように、もがいている。
花粉にまみれてなおも花芯をえぐる虫・・・
愛の蜜に溺れる虫・・・ウーームなにやら疼くフレーズではあるな。
わき目もふらず、本能におもむくまま欲に溺れる姿というのも、
滑稽ではあるがカワイイもんだ。

フランスの若い女の子の間では、「カワイイ」が定着しているとか。
日本の女子高の制服やルーズソックスが「カワイイ」んだそうで、
渋谷、青山、表参道は憧れの場所だそうだ。

17歳の少女と淫行に及んで袋叩きにあったタレント、
その後どうなったのだ?
なんでそう簡単に世間に謝ってしまう。
何が悪い!って開き直ったって面白いんだがなあ。
一体17歳が「淫行」の範囲なのか?
一律年齢で線を引くってのはむしろ怠惰の表れだろう。

  Photo_37

この3匹の立場を想像すると飽きない。
右のヤツはオスなのかメスなのか?
眺めているだけなのか待っているのか?
戦いに負けて、それでも立ち去り難いのか?
・・いやどうも、すぐ擬人化してしまうところが、
わが心の卑しさの証かもしれない。


ああ言えばこう言う

2006-09-05 | 日記・エッセイ・コラム’06.

新釈いろは歌留多「あ」1
『ああ言えばこう言う』

「口の減らないガキ」とか
「ひと言文句を言おうものなら、倍にして言い返してくる女房」
こういった、口の達者なヤツの口に、
焼けた火箸でも突っ込んでやりたい時に使います。

思い出すのは、あのオウムのスポークスマンだったあの方。
”ああ言えば 上祐”一世を風靡しました。
今何をなさっているんでしょう。
宗教家としてのカリスマ性がある人じゃないから、
何かの「営業本部長」的活動でもなさっているのでしょう。
しかし口の滑りが良いというのは、ある意味
頭の回転も良い訳で、あのオッサンに出会わなければ、
政治家や弁護士になれる素質もあったということでもあって・・・

口なら負けへんでぇ!
口の減らないガキや、口やかましい女の生態を
デフォルメして面白可笑しく真似て演じてくれるのが、
落語や漫才といった大衆芸能です。
大阪人などはもう、生まれ落ちたときから漫才師みたいなもので、
互いにボケとツッコミをこなすのが習性になっているんでしょうね。
「なにゆーてんネン、アホか!」
「ほな、どないやーいいまんねん」
他愛ないしゃべくりが、頭を活性化し、生活に刺激を与え、
人間関係を笑いで滑らかにする。

関東人は関西人のように、ぶっちゃけた風にはできません。
着ている物全部脱げないところが、気取っているように見えますが、
気のおけない仲間と、軽口を叩き合う・・・楽しいものです。
ボクシングにたとえると、ジャブの応酬といったところ。
相手をKOしようというパンチを出さないのがルール。
言葉のじゃれあい。

誰だったかの対談集に「ああいえば交遊録」なんてのがありました。