花田敬ブログ

社長・院長の可処分所得を増やす方法
法人クレジットカード活用方法
保険マーケティング戦略

【死去した青山五郎会長、型破りな経営】

2008年01月16日 11時50分25秒 | その他
経営には織田信長のように型破りな方が多いですね。
まさに前例のない手法。

●死去した青山五郎会長、型破りな経営
2008年01月15日21時20分  asahi.com

 低価格スーツの紳士服店「洋服の青山」を全国展開する青山商事の創業
者で会長の青山五郎さん(77)が15日、亡くなった。脱サラ後、実家
に間借りして始めた会社を、当時は珍しかった郊外型店舗の展開などで業
界首位に育て、不況時の積極採用など型破りな経営手腕も話題になった。
会長に退いてからも100円ショップ展開に挑戦するなど、「消費者の味
方」に徹した事業への情熱は衰えなかった。

青山さんが親族とともに「日本一の洋服屋」を目指して広島県府中市の実
家で青山商事を設立したのは、東京五輪のあった1964年。画期的な安
値でスーツを売る発想は、日本専売公社(現日本たばこ産業)を脱サラし
た経験に根ざす。サラリーマンが毎日着る服を、安心して消耗できる値段
で売りたいという素直な思いだった。

「誰もやらないことをやってこそ成功する」が信条。日本一への誓いを、
型破りな経営が現実に変えた。

メーカーへの返品なしの条件で商品を仕入れ、コストを抑えて低価格販売
に成功した。米国のショッピングモールを視察して日本も車社会になると
予見。広島県内の田んぼの真ん中に店舗を構えた。「田んぼビジネスによ
る流通革命」と自ら呼ぶ、郊外型店舗の事業モデルを作り上げた。

バブル後は低価格商品で百貨店の客も取り込んで業績を伸ばし、91年に
売上高868億円でタカキューを抜いて業界首位に立った。

時機を逸さぬ経営判断も光った。地価が下落した92年10月に東京・銀
座に出店。首都圏での知名度を上げた。不況で採用を抑えた企業が続出し
た94年には「人材確保は今が好機」と、逆に採用枠を5割増やした。9
2年に47都道府県への出店を果たした青い看板の店舗数は、93年度に
500店に達し、07年12月現在、700店を超える。

97年に突如、「会社は若返りが必要」と会長に退いた。「ユニクロ」など、
新たなライバルが勢いを見せていた。その後も代表権を持つ取締役として
経営に携わり、地元・広島の100円ショップの大創産業と契約。「ダイ
ソー&アオヤマ 100YEN PLAZA」の店名で「洋服の青山」の
閉鎖店舗に出したり、併設して店舗の魅力アップを図ったりした。かつて
雑誌取材に「日本の物価は高すぎる」と述べ、消費者のための流通革命を
志した姿勢を、失うことはなかった。

【花田】
紳士服の安売りという発想は型破りで、私も随分お世話になった。
以前、保険代理店を大々的にやっていたころ、会社の仲間が青山商事さん
に保険をお世話した。 「すごく利益が出ているなー」と注目していた。

「画期的な安値でスーツを売る発想は、日本専売公社(現日本たばこ産業)
を脱サラした経験に根ざす。サラリーマンが毎日着る服を、安心して消耗
できる値段で売りたいという素直な思いだった。」
この発想がすごい。

当時は広島にも支店があったので、よく行った。そんなことから青山五郎さん
の死去というニュースには感慨深いものがある。
ご冥福をお祈りします。

応援してくださる方はクリックしていただけると幸いです。花田
  ↓↓ 
【社長ブログランキング!】←花田は今、何位?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 20080110  【パートナーズ勉... | トップ | 20080111 【安川グループの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他」カテゴリの最新記事