※このエッセイについて、前説部分は昔の記事にあります。
今日は朝から雨がびっしり降っている。
秋分の日が昨日、今朝は二日目の休日だから日曜日と勘違いして今の今までいた。
9時に始まるはずのTV番組が始まらなくて、ようやく気がついた。 台風接近中の土曜日。
ベッドの中で巣ごもりして、あとは目を瞑るだけという状況で読んでいたのを、読み終えた。
あくの強いエッセイで笑いながら眠りにつく。
しんみり寝るよりはいいかもしれません。
1999年に単行本で上梓されている本の文庫化で、エッセイの舞台は少々古い。
海部首相の名前が登場し、おおそういえばこんな人がいたっけと記憶の呼び戻しの役にたった。
そういえば、水玉ネクタイのあのひとはどうしているんだろう。
愛知9区では、元首相で自民党の海部俊樹氏(74)が、当選者では最多となる16回目の当選を果たした。
高齢批判を抑えるため、個人演説会やミニ集会を積極的に開いて元気な姿をアピールした。公明党との協力にも気遣い、公明党支持層にも浸透した。。。アサヒコム 20050912より
ご健在のようである。
「アンダルシアは眠らない」 こちらのエッセイのほうが知名度が高そうですが、ご存じでしょうか。
わたしは読んではいなかったものの、題名だけは知っていた。
この「七千夜一夜」が面白かったから「アンダルシア」も読むぞと意気込んでいるところである。
下品にゲラゲラ笑えるところがいい。 濃くてアクが強くてね。
これくらい濃いキャラでなければスペインに住むことはできないのかもしれません。
あとがきの一部を引用します。 お気に召したら本屋で立ち読みし、もっと気に入ったらご購入めされたし。
そもそも、ひとは計算をしたり、勘定をするのが不幸のもとである。 七千夜であろうが初七日であろうが、勘定などしなければよいのだ。 財布の中身や貯金の額や年齢や成績や給料や、離婚の回数やお見合いの回数やらを、勘定さえしなければ、ひとは常に平然たるものではないか。
私はこれを実行している。 私はこれをひろく読者各位におすすめしたい。 私はこれにより、なかなかどうして貧乏であるが、常に笑っている。 毎日あぶく銭の入ってくる人は、笑いが止まらないそうだが、私も右の理由で、神々がよろこぶそのままに、笑いがとまらないのである。
神々のうしろだてで笑っているのと、あぶく銭をかかえて笑っているのと、どちらが幸せかといえば、当然あぶく銭のほうである。 しかし、貧乏にもかかわらず笑っている、というところにこそ、神々との共振が生まれるのである。 この、大地に密着した、生きている実感! ぜひ、おすすめしたい。
1999年5月、マドリードにて 堀越千秋
今日は朝から雨がびっしり降っている。
秋分の日が昨日、今朝は二日目の休日だから日曜日と勘違いして今の今までいた。
9時に始まるはずのTV番組が始まらなくて、ようやく気がついた。 台風接近中の土曜日。
ベッドの中で巣ごもりして、あとは目を瞑るだけという状況で読んでいたのを、読み終えた。
あくの強いエッセイで笑いながら眠りにつく。
しんみり寝るよりはいいかもしれません。
1999年に単行本で上梓されている本の文庫化で、エッセイの舞台は少々古い。
海部首相の名前が登場し、おおそういえばこんな人がいたっけと記憶の呼び戻しの役にたった。
そういえば、水玉ネクタイのあのひとはどうしているんだろう。
愛知9区では、元首相で自民党の海部俊樹氏(74)が、当選者では最多となる16回目の当選を果たした。
高齢批判を抑えるため、個人演説会やミニ集会を積極的に開いて元気な姿をアピールした。公明党との協力にも気遣い、公明党支持層にも浸透した。。。アサヒコム 20050912より
ご健在のようである。
「アンダルシアは眠らない」 こちらのエッセイのほうが知名度が高そうですが、ご存じでしょうか。
わたしは読んではいなかったものの、題名だけは知っていた。
この「七千夜一夜」が面白かったから「アンダルシア」も読むぞと意気込んでいるところである。
下品にゲラゲラ笑えるところがいい。 濃くてアクが強くてね。
これくらい濃いキャラでなければスペインに住むことはできないのかもしれません。
あとがきの一部を引用します。 お気に召したら本屋で立ち読みし、もっと気に入ったらご購入めされたし。
そもそも、ひとは計算をしたり、勘定をするのが不幸のもとである。 七千夜であろうが初七日であろうが、勘定などしなければよいのだ。 財布の中身や貯金の額や年齢や成績や給料や、離婚の回数やお見合いの回数やらを、勘定さえしなければ、ひとは常に平然たるものではないか。
私はこれを実行している。 私はこれをひろく読者各位におすすめしたい。 私はこれにより、なかなかどうして貧乏であるが、常に笑っている。 毎日あぶく銭の入ってくる人は、笑いが止まらないそうだが、私も右の理由で、神々がよろこぶそのままに、笑いがとまらないのである。
神々のうしろだてで笑っているのと、あぶく銭をかかえて笑っているのと、どちらが幸せかといえば、当然あぶく銭のほうである。 しかし、貧乏にもかかわらず笑っている、というところにこそ、神々との共振が生まれるのである。 この、大地に密着した、生きている実感! ぜひ、おすすめしたい。
1999年5月、マドリードにて 堀越千秋
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