くろまめさんのブログ

デイサービスひだまりは平成29年5月から同富田区に「くろまめさん」として移転しました。株式会社ひだまり介護が運営。

ボーリングアゲイン

2013年02月25日 | 日記

またまた調子に乗ってボーリングいってきました。


だってシュウちゃんがまた行きたそうやったんもん
(ちょっとブリッ子してみました)

さておき、「今回は姉さんも一緒にいってきました」のご報告。

シュウちゃん持って・・・


ヨイショ!


姉さんも投げました



思わず立っちゃいます


昔、ボール投げの選手やったんやって。


マサマサさん。ストライク出たみたいです↓
すんごいハイタッチの強要してきはるんすよ。


はいはい。お疲れさんってことで、回転寿司いきました。
だって、姉さん回転寿司好きなんやもん(またブリました)



シュウちゃん。姉さんが「ア~ン」したらいっぱい食べんねんなぁ。
茶碗蒸しとジュース飲んでたからなぁ。


姉さんひだまり帰ってから横になるシュウちゃんをみて・・・
「こんなんして寝とったら、ホンマの病人さんみたいやけど、
ボーリングしとる時は他の人と変わらへんみたいに見えた。
不思議やわ。あはは。あはは。」
って笑ってはりました



シュウちゃん。実は食べる量も増えて元気になってきたはります









やっぱり!

2013年02月20日 | 日記

昨日の続きです。


家族と一口にいっても、色んな続柄の方がいはります。
家族の中でも、思いが色々あるんですよね。

一応は、ひだまりと決めたものの
「めちゃくちゃしんどそうにしたら、かわいそう。
痛くないように。空腹のままはかわいそう。」
そんな気持ちでいっぱい揺れておられました。

でも、昨日またお話をする機会があって、そこで、
「本人の人生なんやし、食べたくなかったら食べんでいい。
病院いきたくなかったら行かんでいい。
本人の好きなようにしてやってください。お世話になります」
と、すごく悩んでおられた方から言っていただけました。

家族からのこの一言がどんなにありがたいものか・・・
ジーンです。

ということは・・・
ボーリング・・・
行く???
行っちゃおう

ってことで、
そのことをシュウちゃんに話すと、めちゃやる気満々
「行く!何時からや?」
昨日がウソのようです。
ホンマうそみたいなんやって

朝ご飯もめっちゃ食べる。


いざ、しゅっぱ~つ


着いたぜ!イェーィ


思う存分投げていただきましょう。


ボールもって・・・


「ヨイショ!」 もうちょっとこっち!もうちょっとこっち!って
手でやったはるのわかります??


みんなも投げるよ!


僕も投げましたイヤーン。。。


シュウちゃん。うれしそう・・・
投げる人の寸評をしたはりました。
「あれはええ。あれはちょっとあかんな」


最後にみんなで記念撮影!


あれぇ。仮装とったら、シュウちゃんパワーダウン??


「どうやった??」って聞くと
「あかん。何回やっても難しいもんや」って
自分に厳しいシュウジさんです。

僕らみて、店員さん、めちゃ笑ったはりました。
「変な人たちが来た」と思ったんでしょうね。
まっ、どうみても変ですよね。


帰ってきたら、姉さん来てくれてはりました。
まぁ、姉さんといっても、ニックネームみたいなもので、
血が繋がってる兄弟ではありません。

「昨日はあんなにエラソウに寝とったのに・・・
へぇ~。ご飯もよう食べんような人をボーリングに。
あはは。あはは。
写真みたから信じられるけど、話だけではよう信じんわ」
ってメチャクチャうれしそうに言ってくれはりました。



シュウちゃんは家族です。






ボウリングに行きたい!

2013年02月19日 | 日記

今、ひだまりに終末期を迎えられたおじいさんがいはります。

昨日、ドクターと家族と僕とで、話合いをしました。
悲しいですけど、

これからどいう風にその時を迎えるかという相談です。

ドクターの質問に対して家族は
「あの人が色んなデイサービスをみて、ここと決めた。
最初は1日もつやろうかと思ってたけど、楽しそうにいってくれた。
今日、本人がはっきり病院は嫌や!どこにも行きたくない。と言った。
ひだまりでお世話になろうと思います」
ってこたえてくれはりました。

今、体調が良さそうだったので、
「お風呂いかへん?」って聞くと
「行こうか!」
って言ってくれはったので入ってきたとこです。

やっぱり、ずっと入ってたから、入り方覚えてて
すごくしんどいはずやのに、ホンマ上手に入らはりました。


お風呂の中で
僕      「一回、大きなお風呂いったなぁ。覚えてる?」

おじいさん 「覚えてへん。忘れた」

僕      「じゃあ、ボウリングいったん覚えてる?」


おじいさん (めちゃ笑いながら) 「あ~!あれは覚えとる。
                     せやけど、あれはあかん。まっすぐいかへん」

僕      「難しいなぁ。もう一回いきたい?」


おじいさん 「行く!」


この話してたら、ホンマ一緒に色んなとこいって
全部、うれしそうに楽しんでくれたなぁってジワジワ思えてきて、
急に、めちゃめちゃ寂しくなってきて・・・

おじいさんを大切に思う色んな人の色んな思いがあって、
ボウリングに行くのは難しいかもしれんけど、
せめて、ここで。
このまま、ゆっくり過ごしてもらいたいと思います。

でも、ホンマは ボーリングにいきたい!
連れてってあげられへん僕です。

情けないです。







退院おめでとう!

2013年02月09日 | 日記

お年寄りが体調を崩した場合、多くの場合が入院となりますよね。
そして見事退院されることになると思うんですけど、
やっぱり、入院中の安静で、足腰が弱ったり、
入院前だったらできたことができなくなっていたり・・・
それが在宅生活を難しくさせる一つの要因のような気がします。

うちのデイ利用者の場合は、退院後、そのままひだまり来られ
しばらくの間、ひだまりで過ごされることがあります。

ひだまりで生活することで徐々に以前の生活になられますよ。
ひだまりだったら、前からその人のことをよく知っているし、
介助なんかもめちゃスムーズ!
お年寄りからしても、環境にも人にも慣れてるから混乱が少ないようです。

環境が変わることで混乱されることを
専門用語でリロケーションダメージというらしいっすよ。
何か、横文字でいうと、すごいダメージありそうっすね。

ちょっと説明っぽくなりましたが、
退院してくれはったことがホンマうれしいっすね。
病院での生活を思うと、心細かったやろうし、退屈やったやろうし、
治療で痛かったり、恥ずかしかったり、屈辱的なこともあると思うんです。
それを思うと、
「ホンマに退院できてよかったねぇ~。
病院ではシャワーばっかりやったやろう。とりあえずお風呂はいろう」
ってなるんすよね。

それでは写真でどうぞ



ちょっと、シュウちゃんは入院長かったもんねぇ。
お疲れさん。



みんなで字書いたんやでぇ。



そして、お決まりの利用者の会、会長の加藤さんの挨拶。
(あっ、利用者の会、会長は冗談ですでも、みんなそう思ってると思う。)
挨拶をしてる加藤さんも泣けてきて、
それ聞いてるみんなも涙
「本当におめでとう」
って言ってたよ

秋ちゃんおめでとうの巻でした。

続きまして・・・



村山さんも退院おめでとう!!
こっちは明るく和やかなお祝いとなりました!



両手ちぎれるかと思った!



京都新聞丹波版のせていただきました。

2013年02月05日 | 日記

京都新聞に載せてもらいましたよ。イェーィ

去年の8月にひだまりに来てくれていた坂本勝美さんを看取らせてもらった時のことを
書かせてもらいました。
ひだまり利用のおばあちゃんから
「勝美さんは、ひだまりを一つ大きくしてくれはったなぁ」
と言われて、ホンマその通りで、
勝美から、大切なことを教えてもらいました。


文字数の関係上、新聞社の方が、編集してくれはりました。
よかったら原文と読み比べてみてください。



~「これからの大往生のあり方とは」~


「親父はひだまりの稲葉さんのことを孫のように思てます。
最期は親父らしく逝かせてやりたいんです。ひだまりでみてもらえんへんやろか?」
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 96歳の勝美さんの最期をひだまりでみさせてもらえるなんて、なんて光栄なことなんやろ。
精一杯、勝美さんらしいお見送りをさせてもらおうと、
息子さん(といっても私の父より年上)の申し出を受けさせてもらいました。
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 勝美さんとの出会いは3年前。人の世話などになりたくないと
がんとして家から出はりませんでしたが、
あるご縁からご家族に説得されしぶしぶひだまりに通い始められました。
ひだまりは、京丹波町ではさほど珍しくないトタン葺き屋根の古民家を使ったデイサービス。
地元のお年寄りにしたら、ご近所の茶飲み友達の家へ遊びにくるような感覚で、
違和感なく来ていただけるという強みがあります。
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勝美さんは若い頃、地元で劇団を創って活動されており、
歌や余興が大のお得意で盆踊りには欠かせない方だったそうです。
ひだまりでは、毎日のように職員による寸劇が始まり、
勝美さんは大喜びでわしもわしもと芸を披露してくださっていました。
ひだまりの雰囲気が性に合ったのかもしれません。
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ある日、帰らはるときに万歳三唱で見送ると勝美さんも「ばんざーい」と喜び、
バンザイでのお見送りは勝美さん恒例となりました。
特に忘れられないのは「もう一度みてみたい」と言わはった金閣寺で満足された表情でした。
今でもまぶたにやきついて離れません。満面の笑みで「ありがとう。ありがとう。」と
何度もお礼を言ってくれはりました。
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 そんな楽しい日々を過ごしていたある日、勝美さんは自宅で高熱が続き、肺炎で入院。
ドクターからはもう回復の見込みはないと伝えられ、しかしながら絶飲食でもあったため、
「食べたい!帰りたい」と懇願され、ご家族は悩んだ末、こんなに帰りたがってるんやから、
それならひだまりでもう一度みてもらうのが、いちばん喜ぶんやないかと相談してくれはりました。
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 私は涙が出るほどうれしかったし、同時に背筋が伸びる想いがしました。
「勝美さんの気持ちに応えなければいけない。自分の本当のお爺ちゃんのつもりで接しよう」
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 退院しひだまりに帰ってきた勝美さんはとても嬉しそう。
私たちも大喜び。すぐに退院パーティーをしようとケーキを用意すると
勝美さんはおいしそうに食べはり、ご家族は「食べれてよかったね。食べれて良かったね」と
泣きながら喜んでくれはりました。
その日の夜は「酒が飲みたい!」と言われ、職員と一緒にさっそく宴会。
勝美さんとおいしいお酒を酌み交わし、歌え、踊れの楽しい時を過ごしました。
「これから毎晩宴会をしよう」
と約束しました。
しかし、宴会は二度と開くことはありませんでした。
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 次の日からは体調は落ちていき、ご家族は勝美さんの様子を見て
「病院にいたころとは違って穏やかな顔をしている」
と言ってくれはりました。
退院してから三日目。徐々に意識も朦朧とし始めました。
ひだまりのみんなとご家族が見守る中、ゆっくりゆっくり呼吸が遅く、浅くなっていく。
最期の一息があり、そのまま静かにあの世へ旅立たれました。
みんな思い思いに勝美さんに声をかけました。
私も外に響くぐらい大きな声で「ありがとう」と叫んでいました。きっと届いたと信じています。
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「ばんざーい。」最後の万歳三唱に見送られ、
勝美さんはひだまりから帰っていかはりました。
私たち職員たちに大往生をしっかり見せてくださったのです。
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