
本日より、石坂まさを著による特別企画として、石坂まさをと深い親交があった、吉本興業の会長故林裕章さん、その義父であり現在の吉本興業の礎をつくった、林正之助さんの二人の思い出を綴った手記作品『~浪花の夢~笑売人』を、3回にわたって連載します。
~浪花の夢~ 笑売人
著 / 石坂まさを
企画 / 下家 猪誠
♪銭が仇の世の中だろと 俺は浪花の夢を売る・・・・・
一月三日は、林裕章さんの命日である。
平成十六年八月頃、私の病気を見舞いに来てくれて、その半年後に裕章さんの方が先に、あの世に行ってしまったのだ。
裕章さんは麻雀友達であるし、スナックなどに一緒に行くと「津軽平野」と言う歌を歌ってくれた。
周囲の人たちに言わせると、私をいつもいとおしそうな目で見て、弟のように可愛がってくれた。
とはいっても、私は昭和十六年生まれで、裕章さんは昭和十七年生まれ。
ひとつ私よりも年下だった。
その裕章さんが私に紹介してくれたのが、彼の義理の父、林正之助さんであった。
林正之助は、明治三十二年生まれ。吉本興業とのかかわりは十八歳のとき、姉せいが、夫の吉本吉兵衛と始めた寄席の経営の手伝いから始まる。
義兄の死後、庄之助が姉の力となり、吉本興業を守り立てたが、正式に代表になったのは、昭和二十三年のことだった。
その後、平成三年、九十二歳でこの世を去るまで、吉本興業を支えつづけた人である。
今のお笑いタレントの多くが、吉本興業に所属しているが、昔はもの凄かった。
花菱アチャコや横山エンタツら国民的芸人を抱え、笑いといえば吉本興業と言われるほどに、国中に笑いを売ったプロダクションである。
笑いのほかにも、意外なところでは広沢虎蔵や美空ひばりが所属していたこともあり、名実ともに芸能プロダクションの雄だった。
正之助さんは私が大阪に行くと、会長室に靴屋を呼び、靴を三十足あまり並べて、「石坂先生、女はトイレまでは一緒に行かないが、靴はトイレまでお供をしてくれる。どうぞ一足お土産に持っていらっしゃい」と、靴をプレゼントしてくれた。
それから、ある日は、腹がすいたから寿司屋に行こうと、法善寺横町の並びにあるすし屋に誘ってくれた。すると、しばらくして藤山寛美さんが、『会長、お元気ですか?』と顔を出した。
もちろんそこには、舞台で見るアホ面はなかった。
ちなみに、寛美さんが会長の誕生日にプレゼントしたものに、畳半畳の「笑いを売る 藤山寛美」と書いた書がある。
それを見て私が書いたのが、―♪畳半畳に笑いを売れば笑売繁盛のはじまりや・・・・・―という歌である。
中村美津子さんが歌ってくれた。
▲この手記を書くモチーフになっているのが、故林正之助会長をテーマにした関西テレビで放映された「笑売人」というドラマです。
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