想い・思い・おもい ver.2

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第359回 10年後の介護の形

2010-02-19 00:45:44 | 介護
昨日のゼミで、指導を受けている先生が、

「家族が入浴介助をしなくなった。
 10年後、15年後、家族は排泄介助をしているでしょうか?」

とつぶやかれました。

確かに「入浴」は、
お風呂が好き、というかたはもちろん、
お風呂はあまり好きではない、という方でも、
「週1回くらいはお風呂にはいって・・・」ということはあるようです。

しかし、浴室は濡れていたり、
利用者さん自身は裸になられ、掴まえておくところがない、といった理由から、
その介助を、訪問介護や訪問入浴介護、通所介護等のサービスで担っていただくことが多くなりました。

その反面、排泄の介助は、
毎日、そして、1日を通して複数回あることもあり、
まだまだ「家族が行う」ということは「当たり前」となっています。
だからこそ、自宅に退院するときのリハビリの目標に、
「せめて、トイレくらいは、自分一人でいけるようになりたい(なって欲しい)」と
希望されることが多いです。

また、在宅介護から施設入所を希望されるときは、
排泄という行為の自立が難しくなってきたため、ということが
確かにあるように思います。

在宅での介護の継続を左右する可能性の高い「排泄の介助」
10年後、15年後は、誰が担っているでしょうか。
そして、その10年後、15年後というのは、
もしかしたら、私も介護を受ける側に回っているかもしれません・・・。


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4 コメント

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排泄、痴呆、入浴 (bonn1979)
2010-02-19 05:31:34
いまや24年前になる
私が書いた本
出だしの1章は

排泄介助
痴呆(いまでいう認知症)
入浴介助

の3つでした。
この3つの世界を知った驚きが
このときの本の原点であった
といえます。

それ以降
長いあいだ
机と書物の知識でしたが
認知症の義母と会って
やっとその悲しくも柔らかな本質を
理解できそうに思えます。
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排せつの自立が在宅生活の基礎要件 (遥香)
2010-02-19 16:32:07
>また、在宅介護から施設入所を希望されるときは、排泄という行為の自立が難しくなってきたため、ということが確かにあるように思います。

排せつが自立しているか否かがが在宅と施設の分かれ目と示唆されています。実に卓見だと感じると共に、太田貞司『在宅ケアの条件』という本のことを思い出しました。その本の中で、在宅ケアの条件として排せつ自立を上げる部分があったからです。逆に言えばホームヘルプサービスで排せつの自立が可能になれば在宅生活の継続ができるということで、排せつの自立が在宅サービスの重要な支援になると示唆を受けました。
また、同書は1990年代の前半に書かれた福祉関係の著書としては非常に良書であり論文作成の文献との感想をもっていました。1989年のゴールドプラン策定による旧厚生省の真のねらいを「社会的入院の激減」ということをこの時期から見破っていたのは、私の知る限りでは、『在宅ケアの条件』だけでした。ほとんどの研究者や実務家は在宅介護の充実と考えていたようですから。それにつられて、福祉系大学の学生のゼミ発表や卒論もゴールドプラン=在宅介護の充実の「金太郎飴」になっていましたね。)

昔、若かりし頃の福祉の勉強の思い出でした。
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現場から議論すべきとき (どりーむ)
2010-02-20 01:27:21
bonn1979先生、コメントをありがとうございます。

24年前は、
私が看護師として病棟勤務を始めたころです。

親は子が面倒をみるのが当たり前、といった世の中から、
「そうではなくなってきた」ことが、
明らかになってきたころですね。

高齢化のスピードに、議論が追いついていない、
そんなことを実感するかぎりです。
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キーワード (どりーむ)
2010-02-20 01:35:47
遥香様、コメントをありがとうございます。

ブログの冒頭でつぶやかれた先生というのが、
その太田貞司先生です。
太田先生は、昔も今も同じテーマで、私たちに問題を投げかけてくださっているのですね。

しかしながら、今の在宅における介護保険システムでは、
排泄介助を全てサービスで担う、ということは
難しいように思います。
このことが、介護保険制度を見直すための
キーワードの一つにすべきではないかと思います。

ブログだけでなく、実践の場でも、
問題提起していこうと思います。
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