舞台が丘整備事業の説明会が2月2日に滋野コミュニティセンターで開かれ、約80人の市民の皆さんが参加し、市からの説明に耳を傾け、質疑応答を行いました。そこにご参加された若い女性の方から初めてのコメントをいただきました。率直なご感想ありがとうございます。以下に掲載いたします。
滋野コミュニティに行きました 市役所がこんなになると初めて知りました。毎日、子育て、パートに追われてつい無関心に。でも私たちの市役所だから意見を言ってもいいんだと思いました。年配の人はすごい。今まで日本を支えていた人たちです。東御市だけでなく国のことを考えている。(アラフォーの新人)
この方がどのような経過で説明会に参加されたのかは分かりません。しかし毎日の生活に追われる中で行政のことなどあまり考えたこともなかったのではないでしょうか。ところが説明会で51億円ものお金が投じられようとしていることを知りました。
普通なら市が決めたことに(実はまだ決まっていません)異議を申し立てる人などあまりいません。ところがあの日、滋野会場では11人もの皆さんが疑問を投げかけ、市側に対して道理をつくして問題点を指摘し、そしてまわりの皆さんが賛同の拍手をする、そんな光景がそこここに見られたのです。そこにアラフォーの新人さんは感動したのでしょう。
51億円の事業をお一人おひとりがご自分のこととしてとらえていました。そして国からの補助金についても、赤字国債でいま世の中が大変になっているとき自分さえ良ければいいのかと自らを問い、さらに3・11の被災地に優先してまわしてほしい、自分たちは我慢すればいいとさえ述べているのです。
まさにこれこそ市長がいうところの「協働のまちづくり」のあるべき姿だったのではないでしょうか。アラフォーの新人さんが言うように、あの日、滋野コミュニティセンターに集まられた市民の皆さんはすばらしく立派でした。他人を思いやる心、自制する心を持っていました。皆さん優しい人ばかりでした。
それに引き換え行政はどうだったのでしょうか。市長は「私の仕事は国からお金を引っ張ってくることだ」と述べ、「赤字国債は国会の仕事」と平然としていました。市民の皆さんのような品性が感じられませんでした。自分のまちさえよければいい、やったものがちだ、やらなければ損する・・・・。これではあまりにも寂しすぎます。市民は国のことを考えています。
東御清翔高校の同窓会の役員の方は「先日校長に呼ばれてこのことをはじめて聞いた。人間性を疑う。外部の人に道路のことを聞かれたら何も言えない」と憤慨していました。私は寡分(かぶん)にして高校を地上げして道路をつくったという話をいまだかつて聞いたことがありません。
市長の座右の銘に「一年を生きんとするものは蔬(そ)を植えよ、十年を生きんとするものは木を植えよ、百年を生きんとするものは徳を植えよ」という言葉があります。高校を地上げすることは徳を植えることになるのでしょうか。
滋野コミュニティに行きました 市役所がこんなになると初めて知りました。毎日、子育て、パートに追われてつい無関心に。でも私たちの市役所だから意見を言ってもいいんだと思いました。年配の人はすごい。今まで日本を支えていた人たちです。東御市だけでなく国のことを考えている。(アラフォーの新人)
この方がどのような経過で説明会に参加されたのかは分かりません。しかし毎日の生活に追われる中で行政のことなどあまり考えたこともなかったのではないでしょうか。ところが説明会で51億円ものお金が投じられようとしていることを知りました。
普通なら市が決めたことに(実はまだ決まっていません)異議を申し立てる人などあまりいません。ところがあの日、滋野会場では11人もの皆さんが疑問を投げかけ、市側に対して道理をつくして問題点を指摘し、そしてまわりの皆さんが賛同の拍手をする、そんな光景がそこここに見られたのです。そこにアラフォーの新人さんは感動したのでしょう。
51億円の事業をお一人おひとりがご自分のこととしてとらえていました。そして国からの補助金についても、赤字国債でいま世の中が大変になっているとき自分さえ良ければいいのかと自らを問い、さらに3・11の被災地に優先してまわしてほしい、自分たちは我慢すればいいとさえ述べているのです。
まさにこれこそ市長がいうところの「協働のまちづくり」のあるべき姿だったのではないでしょうか。アラフォーの新人さんが言うように、あの日、滋野コミュニティセンターに集まられた市民の皆さんはすばらしく立派でした。他人を思いやる心、自制する心を持っていました。皆さん優しい人ばかりでした。
それに引き換え行政はどうだったのでしょうか。市長は「私の仕事は国からお金を引っ張ってくることだ」と述べ、「赤字国債は国会の仕事」と平然としていました。市民の皆さんのような品性が感じられませんでした。自分のまちさえよければいい、やったものがちだ、やらなければ損する・・・・。これではあまりにも寂しすぎます。市民は国のことを考えています。
東御清翔高校の同窓会の役員の方は「先日校長に呼ばれてこのことをはじめて聞いた。人間性を疑う。外部の人に道路のことを聞かれたら何も言えない」と憤慨していました。私は寡分(かぶん)にして高校を地上げして道路をつくったという話をいまだかつて聞いたことがありません。
市長の座右の銘に「一年を生きんとするものは蔬(そ)を植えよ、十年を生きんとするものは木を植えよ、百年を生きんとするものは徳を植えよ」という言葉があります。高校を地上げすることは徳を植えることになるのでしょうか。