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ドンワン(シンファ)、イム・テギョンさんが大好きです^^

Im Tae Kyung&Kim Dong Wan

パク・ウンテ、イム・テギョン、パク・ヒョシン‘モーツァルト!’の黄金星に会ってみなければならない理由

2014-06-22 | イム・テギョン
ミュージカル‘모차르트!(モーツァルト!)'のレビュー記事です。。。


本公演開幕して1週間が経ったけど、‘모차르트!(モーツァルト!)'の評判も凄く
いいみたいですねニコニコ

一度見ただけでは内容は理解できないとよく言われますが、このミュージカルに
関してはテギョンさん、ウンテさん、ヒョシンさん3人をすべて見たい上に、何度もと
なると・・・海外からはかなりキツイ

やっぱりこの時期だけでも、韓国に住みたい~と思ってしまいます

テギョンさんのミュージカル出演時には、特に


日本からもたくさんの方々が行かれてるみたいで、日本での韓国ミュージカル
人気もさらに上昇中なんだろうなあと思います。





※コメント欄、外してます。。。







パク・ウンテ、イム・テギョン、パク・ヒョシン‘모차르트!(モーツァルト!)’の黄金星にすべて会ってみなければならない理由



‘黄金より重くて光より軽い天才的才能’を持った‘모차르트(モーツァルト)’は黄金星を探したが世の中を明るくしながら結局その光に乗ってしまう。
天才で生きなければならなかった人モーツァルトの苦悩は忘れられたが、彼の音楽はみんなの胸に響いて広がったし、手に届くことはできない真実は
一つのミュージカルで誕生した。

パク・ウンテ、イム・テギョン、パク・ヒョシンの3人3色‘모차르트(モーツァルト)’のチャームポイントを具体的に言えば、パク・ウンテは長男、イム・テギョ
ンは次男、パク・ヒョシンは末の息子のような容貌を見せたという点だ。初めから見なかったら分からないだろうか。 どれか一人のモーツァルトだけ選択
することは大変なようだ。







パク・ウンテは天才モーツァルトの音楽的才能と自由を渇望する内面すべてを持つ俳優であった。渡ることはできない川を渡ったように父との葛藤
場面ではより厳格だった。聞く人の胸に世の中をすべて持った喜びから世の中のあの終わり悲しみまで多様な波紋を起こすパク・ウンテの魅惑的な
ボイスは、‘나는 나는 음악(ナヌン ナヌン ウマク)’から耳をうっとりするようにして、最後'내 운명 피하고 싶어(ネ ウンミョン ピハゴシポ)'まで観客を
美しい苦痛の中に連れていった。

盛大にモーツァルトがプレゼントした音符を装着したようなイム・テギョンは以前の公演よりはるかにディテールな魅力を誇った。それだけの特徴ならば
もう少し愛嬌っぽく父の断固としていることに対処するという点。そのようなためかイム・テギョンと一緒に登場するレオポルトの後ろ姿では、より一層
冷気が流れて‘愛’を渇望するモーツァルトの姿に憐憫ができる。コンスタンチェとの場面もやはり最も活気を呼び起こして天才の奇異な姿よりは天才の
人間的な姿を見るような印象を与える。

劇場を出ながらも最も目にありありと浮かぶモーツァルトは末っ子パク・ヒョシンだ。その誰よりお父さんの愛を渇望したし‘幸福’の謎を解きたかった幼い
モーツァルトは世の中が無慈悲に飛ばす矢に傷受けて倒れた。大主教コロレドとの葛藤場面は生き生きした切れ味以上のエネルギーが飛び出してきた。
これ以上の歌手出身俳優でない‘俳優パク・ヒョシン’が舞台上に立っていた。

ミュージカル俳優のテクニック的な側面だけで見ようとするならば完璧ではないけれど、3時間近いランニングタイムの間観客の没入を最大値に引き出す
ことができる俳優は多くないという点で、彼がミュージカル俳優に永く永く残ればと考えられるようにした。幼いモーツァルトとして出てくる子役俳優クァク・
イアン、ユン・フェリックスの内面空白も侮れなかった。彼らの10年後の姿を期待するようにさせる。







去る14日開幕した2014ミュージカル'모차르트!(モーツァルト!)'(演出エイドリアン・オズモンド)は、3人の主役の多様な魅力と'モーツァルトの内面'に
集中した緻密な演出が引き立って見えた作品だった。

台本、演出、ナンバー、舞台すべて大々的な修正作業を経て新しく帰ってきた。‘ヴォルフガング’モーツァルトと、天才的才能であり幼い時の自我
‘アマデ’を一つの舞台でずっと付いて回るようにした設定は、そのままでも説得力はより一層高まった。目につく場面は鏡の中の自我とともに幼い
‘アマデ’が登場する場面だ。世の中が指示するところとは違った道を行く‘ドンキホーテ’をモーツァルトに投影させた1幕後半場面も主人公の内面に
一歩さらに近寄った努力として読まれた。

キャラクター上には父レオポルトと大主教コロレドの対立点がはるかに明確になったし、神のメッセンジャー パルトシュタイン男爵夫人が作品中で
存在する理由もやはりより鮮明になった。モーツァルトの手に持たせた‘インスピレーション箱’が明るく開かれて、その中から凄惨に私の放り出すペン
までの一連の過程に一役を買っているパルトシュタイン男爵夫人の視線について行くのも作品を楽しむことができるまた別の方法だ。

作品の中では直接的にはモーツァルトの才能をねたましく思った‘サリエル’は登場しない。だが干すという視点で見れば、‘神が私を捨てた’と話して
息子を拘束する父レオポルトと、あらゆる手段と陰謀を分けずにモーツァルトを支配しようとするだけでなく有名な芸術家の脳を救ってきてその秘密を
暴くコロレド大主教はサリエルと似ていたのが明らかであった。2人の人物に‘サリエル’を投影させて劇を鑑賞すれば興味深いポイントがより一層多く
なるようだ。

2014バージョンではレオポルトとコロレドも人物の可能性が高まって、単純にゆがんだ父性愛あるいは権力者との葛藤にだけ置き換えられない点が
作品のモール入道を高めた。特に新しく追加された‘쉬운 길은 잘못된 길(シュィウン キルン チャルモッティン キル)’は音楽的な完成度がやはり高い
ことはもちろん、モーツァルトが単純に分別がない天才だけではなかったことを表わして作品の核心に近付くことができるようにさせた。










チョン・スンホ舞台デザイナーは強烈なレッドを前面に出した舞台デザインを線見えた。特に1幕最後は、モーツァルトの強烈な芸術魂とかみ合わ
さって洗練された場面にさせた。チョン・スンホ デザイナーは、“モーツァルト内面の中で起きる創作の狂気と混乱、そしてその胸の中で存在する
愛への渇望を表現するにあたってジャクソン・ポラクの絵が多くの影響を及ぼしたようだ”という所感も伝えた。

昨シーズンで会うことができた、音楽箱から旋律が流れ出てアマデと一緒にピアノが空にはい上がる場面はなくなった。代わりに生きている音符が
一つ一つうごめいて世の中に向かってはい上がる場面が名場面で記憶されるようにする。モーツァルトが残した数千、数万個の音符が変らず世の
中のあちこちで生きて呼吸していることを象徴的に表わしていたためだ。

'모차르트!(モーツァルト!')の変わったヘアースタイルと衣装は好き嫌いが克明に分かれるが、時代が願う人生を拒否して自由を叫んだ天才音楽家の
人生の側面では悪くない選択であるようだった。

2014 '모차르트!(モーツァルト!)'が開幕する前、記者懇談会を通じてパク・ウンテ、イム・テギョン、パク・ヒョシン3人の俳優は、‘意地悪な作品、親切な
作品、興奮する作品’という多様な評を出した。実際の作品を見て思い付く考えは、‘一度の観覧では絶対に飽き足りないままモーツァルトの迷路の
中に再び歩いて行きたくなる意地悪な作品’だった。音楽的な幸福感とドラマ的な面白味がインクのように共に広がっていくミュージカルだったためだ。
世宗(セジョン)文化会館大劇場の音響的な部分だけ補強されるならばより一層良いが。

ミュージカル'모차르트!(モーツァルト!)'は8月3日まで、世宗(セジョン)文化会館で公演される。



@정컬처