前回の文藝春秋の「鮮やかに生きた昭和の100人」を投稿したあと、私ははたして「鮮やかに生きる」とはどういうことだろうと考えこんでしまいました。
表紙に「頬を染め胸を張っていた輝ける人たちを見よ!とあります。さらに石原裕次郎、市川雷蔵、力道山から美空ひばり、吉本隆明、長谷川町子、司馬遼太郎までとあります。これでなんとなく編集者の昭和の100人を選んだモノサシがわかるような気しますがちょっと反論もしたくなります。
もし、鮮やかに生きたのが一時期スポットラ イトを浴びたことを指すのならばわかりますが、人生には疑問や不安やときには汚蓐、恥蓐、あるいは自虐には近い懊悩の日々がだれにでもあるはずです。ましてや自分の主義主張を生涯かけて貫くことなぞ至難のわざです。試みに、この別冊に選ばれた100人に黄泉からお帰りいただいて「あなたは鮮やかに生きた実感がありますか」と質問したらノンという答えばかりが帰ってくるのではないでしようか。
鮮やかに生きるのは至難のわざ、だれしも踏みつけられ、叩き潰された日があるはずです。 まあいいか。話題を変えて、この別冊の奥付にプリンテイングディレクターの記載 があって嬉しかった。
4月中旬に電子版が出るそうですが、ディレクターは同一の方か氣になります。
活字版と電子版を印刷会社がどれだけ鮮やかに区分けするか見たいものです.