駿河台のつづき。
このところ駿河台にご無沙汰したのはカザルスホールが閉館してしまったことが大きいように思えます。いい音にめぐりあった夕べ、山の上ホテルでワインかシェリーをちょっぴりというのが至福の時でしたのに残念です。
駿河台で忘れていたのがニコライ堂。ゆっくり歩いてみて気がついたことはむかし、あれほど駿河台の象徴だったニコライ堂が高層ビルの谷間に埋没したような存在になって」しまっていることです。出版社づとめのころ、昼休みに行ってよく見上げていたドームや鐘楼が心もち低く、小さくなった気がしました。
正式な名称は「東京ハリストス復活大聖堂」だそうですが、やはり、ニコライ堂でないとピンと来ません。ハリストスというのはキリストのロシア読みだと聞いたことがありますが、ニコライ堂はギリシア正教の教会堂だそうです。私はあそこではいつもロシア人の信徒を見ていましたし、ロシア正教とばかり思っているのですが、どちらが正しいのでしょうか。
しかし、久しぶりに近くで見るニコライ堂の建物の風格は少しも変わっていませんでした。駿河台といえばニコライ堂、失礼いたしました。そうそう、1891年(明治24)生まれ、たしかビザンチン様式でした。