活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

映画ポスターとグラフィック

2012-03-04 22:23:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 土曜日,神田川大曲塾の勉強会が東京国立近代美術館フィルムセンターでありました。
折から開催中の展覧会「日本の映画ポスター芸術」会場でフィルムセンター主任研究員
岡田秀則さんのレクチャーを受ける日です。

 2月にあった印刷博物館学芸員寺本美奈子さんの「映画ポスターと印刷」が自己都合で
聴けなかったのは残念でしたが、今回の岡田さんの数々のエピソード入りのレクチャーは
楽しく、充実した時間が持てました。

 もともと映画ポスターは映画会社で内製するものでしたからデザイナーは黒子だったよ
うです。B2サイズで映画の題名、主演俳優の名場面、惹句、キャスト陣と内容が規定さ
れていたし、映倫にチェックされてハンコをポンという制約もありました。

 その点、今回の展示ではデザイナー名が全部出ておりますし、1960年代、70年代の
デザイナーの映画に対する熱意によって映画ポスターとグラフィックががっちり結びついた
歩みを知ることが出来ました。その結びつきの最初は松竹シネマが当時は自社にいた河野鷹
思を起用して「お嬢さん」や「隣の八重ちゃん」を制作した戦前1030年代にあるようで
すが、戦後、粟津潔が内製の橋頭保、映画会社にあるアイデアで切り込んだ話は初耳でした。

 「禁じられた遊び」、「旅情」、「大人はわかってくれない」など絵画を使った野口久光
の秀作、日本画家の大御所岩田専太郎を引っ張り出した大映の「雨月物語」「千姫」もユニ
ークでした。シルクスクリーンで意欲的な作品を送り出した和田誠「怪奇と幻想」草月シ
ネマや日宣美用の「チャツプリンの歩み」、「ギャング・エイジ」など、イラストものに
岡田さんは熱心に話されました。

 これは前述寺本さんの領域ですが、私の印象では粟津潔・横尾忠則が映画ポスターに打ち
込んだ時期とオフセット印刷のテクニックの進展が重なっていて、映画ポスターのアート性
が急激に膨らんだと思います。私のお気に入りは佐藤晃一さんの「利休」1989年でした。
写真は粟津 潔さんのの「心中天網島」1968年。
 この展覧会は3月一杯です。
 


コメント
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