はじめて原城址をたずねたとき私がいちばん興味ぶかく見たのは
本丸跡の脇にあった空堀でした。
おそらく乱後に女、子供もふくむ何百、何千という死体が投げ込まれ、
積み上げられたに違いない穴の一部でありましょう。そばに、幾体かの
地蔵尊がまつられていて、ススキの穂が風に揺れていました。
キリシタンとお地蔵さんの取り合わせは不思議ではありましたが、そ
こはかとなく無常観がただよっているような雰囲気でした。
ここでごと籠城して殺されていった一揆の人たちは何を考え、ど
のようにして死んで行ったのでしょうか。
関ヶ原から40年、世の中は戦国時代とは打って変わって落ち着いて
いたはずではありますが、島原・天草の領民たちは松倉重政・勝家親子
二代の悪政に加えて飢饉や凶作で誰しも生きる望みを失って、死ぬか、
一揆に加わるか選択をせまられて立ち上がざるを得なかった。だから、
ただただ腹いっぱい食べたいと願い、棄教した農民たちは立ち返れば
(再度の入信をはたせば)救われるのではと思い続けているだけでは
なかったでしょうか。
『幻日』は虚構を虚構と感じさせずに読者を引っ張っていきます。
天草四郎が千々石ミゲルとポルトガル人の娼婦イザベルの間に長崎で生
まれ、小西行長の家臣、大矢野島の益田甚兵衛に養子に入ったとし、
天草全島民の統領として天草四郎を名乗ることになった経緯も明らかに
されています。
本丸跡の脇にあった空堀でした。
おそらく乱後に女、子供もふくむ何百、何千という死体が投げ込まれ、
積み上げられたに違いない穴の一部でありましょう。そばに、幾体かの
地蔵尊がまつられていて、ススキの穂が風に揺れていました。
キリシタンとお地蔵さんの取り合わせは不思議ではありましたが、そ
こはかとなく無常観がただよっているような雰囲気でした。
ここでごと籠城して殺されていった一揆の人たちは何を考え、ど
のようにして死んで行ったのでしょうか。
関ヶ原から40年、世の中は戦国時代とは打って変わって落ち着いて
いたはずではありますが、島原・天草の領民たちは松倉重政・勝家親子
二代の悪政に加えて飢饉や凶作で誰しも生きる望みを失って、死ぬか、
一揆に加わるか選択をせまられて立ち上がざるを得なかった。だから、
ただただ腹いっぱい食べたいと願い、棄教した農民たちは立ち返れば
(再度の入信をはたせば)救われるのではと思い続けているだけでは
なかったでしょうか。
『幻日』は虚構を虚構と感じさせずに読者を引っ張っていきます。
天草四郎が千々石ミゲルとポルトガル人の娼婦イザベルの間に長崎で生
まれ、小西行長の家臣、大矢野島の益田甚兵衛に養子に入ったとし、
天草全島民の統領として天草四郎を名乗ることになった経緯も明らかに
されています。