東京都庭園美術館の「タイポグラフィ展」のつづきです。
第3部は躍動する文字と図像:大衆社会とタイポグラフィの連結と題して、1960年代から
70年代のポスター展示です。このコーナーでは個人的ににも好みのウェス・ウィルソンの
数点の作品にくぎ付けでした。そして横尾忠則作品であの高度成長時代の鮮烈な印象が蘇
ってくるのでした。
第4部は電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命です。
ここにはお世話になったり、なっている日本の高名なデザイナーの作品がズラリと並んで
いてうれしく、懐かしいコーナーでした。
印刷技術のめざましい進展と高度消費社会がすばらしいタイポグラフィのポスターを生
みだしたのです。
しかし、庭園美術館をあとにしながら考えたことがあります。
底なしの閉塞感というか、3・11の地震以来の日本にあって、タイポグラフィを含む
ポスター表現がどのように変革していくのか予測できません。
今回の展覧会の作品は竹尾ポスターコレクションからが大部分と聞いておりますが、
コレクションがますます充実し、21世紀のポスター展が催されるときはどんな経過を
辿るのでしょうか。私には想像できません。
第3部は躍動する文字と図像:大衆社会とタイポグラフィの連結と題して、1960年代から
70年代のポスター展示です。このコーナーでは個人的ににも好みのウェス・ウィルソンの
数点の作品にくぎ付けでした。そして横尾忠則作品であの高度成長時代の鮮烈な印象が蘇
ってくるのでした。
第4部は電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命です。
ここにはお世話になったり、なっている日本の高名なデザイナーの作品がズラリと並んで
いてうれしく、懐かしいコーナーでした。
印刷技術のめざましい進展と高度消費社会がすばらしいタイポグラフィのポスターを生
みだしたのです。
しかし、庭園美術館をあとにしながら考えたことがあります。
底なしの閉塞感というか、3・11の地震以来の日本にあって、タイポグラフィを含む
ポスター表現がどのように変革していくのか予測できません。
今回の展覧会の作品は竹尾ポスターコレクションからが大部分と聞いておりますが、
コレクションがますます充実し、21世紀のポスター展が催されるときはどんな経過を
辿るのでしょうか。私には想像できません。