活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

八良尾は、〝はちらお〟と読むんだ

2006-10-06 13:36:51 | Weblog
 長い間、〝やらお〟だとばっかり、思っていました。
 日野江城と同じ北有馬にあるのですが、ドッコイ、島鉄の北有馬からは1時間も歩かねばならないのです。ま、どいなか。ここに、日野江城の出城があったのも不思議ではありません。
 いまは、南島原市の北有馬町に属します。北有馬町は、クリスマスごろ訪ねると毎年、セミナリヨ関連の楽しいイベントに触れることができます。

 ところが、北有馬町のホームページには、有馬のセミナリヨは一杯出てきますが
八良尾のセミナリヨは出てきません。
 1588年から翌年まで、1年ちょっと、1591年から5年間の2度にわたって、ここで、水彩画や油絵、銅版画の美術教育がされたことは見逃せません。
 なぜかといいますと、キリシタン版の印刷が始まったのが1591年です。してみると、ここで、セミナリヨの美術教師のイルマンや画学生によって、キリシタン版をかざった各種の図版が描かれたことは想像できます。

 美術・工芸関係の教育は有家や天草の志岐で行われる前に、八良尾で盛んに行われ、それが、印刷にも結びついていたと私は考えています。
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