馬屋記ーヤギとクリの詩育日誌

つらなりのほつれ fray of sequence(30)水底のトカゲ

雨あがりの底で
影たちは沈黙しているが、
だれかを見つけたという直感は、鮮明だ
いくら水をとり換えておいても。

パードヴァの水で顔を洗う。洗面器に手首をいれる。生ぬるい風が他所から吹いてくる。アルミ底にむかしへ溯るための巡礼路が見えた。たいせつなだれかを見つけたという直感は鮮明だ、いつまでも。たいぎそうな夏の午後が岩に腰かけている、うしろに、夕立がきた。暑さで頭がだらけきって、鉛でも、詰めてるみたい。と若いころの母が咳きこみながら言う音声が、割れている。そこは辺鄙なところだから電波をうまく受信できない古いラジオから流れてくる山岳風景の、色彩だけを洗い流して、夕立が通りすぎた。木漏れ日が落ちている。そのころの光はちょろちょろ騒がしいが、影たちは沈黙している。負けてばかりいる人が勝つこともある。水をいくら換えておいても、雨あがりの底で青トカゲが、うようよしよるなあ。蛇口から出る水は、いつまでも、生ぬるいまま、その声を流している。


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