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弘前読書人倶楽部

弘前読書人倶楽部のオフィシャルBlogです。
「イベント情報」などを発信します☆

鎌田紳爾さんの受賞を祝う会 場所変更のおしらせ

2012年10月18日 | インポート
 当倶楽部で予定しておりました「蒲田紳爾さんの受賞を祝う会」は、場所を百石町の弘安閣(割烹 大和家隣)に変更しました。駐車場もありますので、会員でない方もこの機会にぜひ、シャンソンを聴きにいらして下さい。大歓迎いたします。
  一応念の為

  日時 10月21日
  場所 弘安閣
  時間 16:00
  会費 2000円  



シャンソンを聴きながら

2012年10月11日 | インポート
 「児童文学」、「落語」、「経済学」・・・。一見、なんの関係も無さそうなこの3つの言葉。共通項は何だと思うだろうか?
 実は、これらは、今年度に入ってから、弘前読書人倶楽部で開催した、イベントのテーマなのである。6月には、児童文学者の鈴木喜代春先生、7月は柳家小きん師匠、9月には経済学者の及能正男先生をお招きして、それぞれお話し(噺)を伺った後、軽く飲みながらの懇談の席を設けた。主催者たる僕は、毎回いつも率先して酔っ払っているので、どの会も概ね好評だったと、自己満足(陶酔)をしている。
 それにしても、一貫性が無い。
 その、脈絡の無さに拍車をかけるように、10月のイベントは「シャンソン」に決まった。会員でもあり古くからの友人の鎌田紳爾さんが、先日、第6回浜松シャンソンコンクールで、第一位にあたる「プルミエプリ」を受賞したのだ。その祝賀会を、急遽、弘前読書人倶楽部で行おうということになった。
 勿論、鎌田さんには、受賞曲2曲も歌っていただく予定だ。シャンソンのこと、コンクールのことなども、お話ししていただく。もとより彼は、音楽の他にも、文学や美術などの造詣も深く、多方面で活躍するマルチ文化人だ。話題も豊富だし、話術も上手い。どんな話が飛び出すか、今から楽しみだ。
 例によって、歌とお話しのあとは、2000円会費で、鎌田さんを囲んでの懇談会も行なう。ワインやビールはふんだんに用意している。
 10月21日(日)午後4時から。弘前読書人倶楽部にて。
 秋の一日を、三方を本に囲まれた空間で、ワインを傾けながらシャンソンを聴いて過ごしてみるのは如何だろう? 読書人倶楽部の会員にはもう案内状を発送した。会員以外の方でも、このブログを読んで興味をもたれたら、是非来てみていただきたい。面白かったら、その後でも、会員になっていただければ幸いである。
 実は僕は、シャンソンに関しては、ほとんど知識が無い。「枯れ葉」とか「パリ祭」とか「パリの空の下」とか、それくらいしか知らない。
 あっ、そうそう、「夢見るシャンソン人形」というのもあった。日本では、弘田三枝子や中尾ミエがカバーしてヒットした。後年、南沙織や浅田美代子などアイドル歌手も、アルバムの中でカバーしていた。だけど、あの曲はシャンソンではないよなぁ?

神無月のころ

2012年10月06日 | インポート
  徒然草(1330) 第11段「神無月のころ」


(原文)
 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸悟のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。  かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか。 (第十一段)

(現代語訳)
(陰暦)十月ごろ、栗栖野というところを通ってある山里に人をたずねて分け入ることがありましたところ、遠くまで続く苔の生えた細い道を踏み分けていくと、もの寂しいようすで住んでいる草庵がある。木の葉に埋もれる懸樋のしずくの音以外には、何一つ音を立てるものがない。閼伽棚に菊や紅葉などの枝を折ってあるのは、やはり住む人がいるからなのだろう。  このようにしても住んでいられるのだなあと、しみじみ見ているうちに、むこうの庭に、大きなみかんの木で枝もたわむほど実のついているのが、(その)周りを厳重に囲ってあったのには、いささか興が冷めて、この木がなかったならば(どんなによかったろうに)と思われたことであった。

 十月になると決まって思い出す。
高校一年生になり、勉強に、スポーツに期待に胸を膨らませていた五月、突然入院することになった。病名は盲腸。今では大したことも無い病気だが、その頃は結構しんどく、結局一か月ぐらい学校を休まざるをえなかった。その頃学校では古文の活用を勉強していた。
 古文は活用が解らないとどうにもならない。久しぶりに登校し、何が何だか解らず、焦るばかりで一生懸命覚えようと努力はしたが、活用だけは最後まで理解できないままで終わった(元々頭の回転は悪い方なので)。
 そして、試験の時、この「神無月のころ」を、理屈も無く、何から何まですべて暗記した。結果私にしてはかなり好成績で無事クリアできた。先生は「頑張ったね」と言ってくれた。あの時必死で暗記した文章と、何よりも作者、吉田兼好の思いを一生懸命に教えてくれた先生(故人)の顔は50年近くになる今でも忘れていない。そして、頑張ればどうにかなるという経験も。
 この作品は永い年代を隔てても、人間の思いに違いはないと教えてくれていると私は思っている。

 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、…… 今でも口ずさむなつかしい一節である。

2012年09月24日 | インポート
 9月23日の東奥日報 「天地人」に、「40を過ぎた人間は、自分の顔に責任を持たねばならない」。かの有名なリンカーン米大統領の言葉の中にある。と書かれていた。

 ふと思い出し、倶楽部にある 

  「顔  美の巡礼」 柿沼和夫の肖像写真 という本を取り出してみた。



 表紙の三島由紀夫氏は「自決」二か月前の昭和45年9月、南馬込の家の屋上で写した。出来上がったのをみて、「いい写真だなあ」と、自分の顔に見入ったという。

 又、川端康成氏は、昭和47年4月18日、鎌倉長谷の自宅における密葬の日。秀子夫人が「この写真を祭壇に飾ってください」と、大きな額を両手に掲げておいでになったという。

 ともに自ら命を絶った御二方である。そういう思いで見るからなのか、瞳の行き先が何か悲しげで、訴えるものを感じる。

 若かりし頃、テレビのコマーシャルで外国の恋人同士が写っていたのを見た。その女性の顔が、とても穏やかで、幸せそうに微笑んでいたのを今でもはっきり覚えていて忘れられない。

 私は、心配事があるとき、嬉しいことがあるとき、嫌なことがあるとき、顔をみればすぐ解ると、家族も、友達もいう。要するに単純なのだとは思う。最大限自分をかばって、よく言えば素直で、悪く言えば我儘なだけである。

 しかし、60歳を過ぎての私の顔は……どんなだろう? 多くは望まないが、穏やかに見える顔にだけはなりたいと願うばかりである。
 
 そういう点からすれば、この本に写っている69名の皆さまは、やはり、それなりの顔をしていらっしゃると関心するばかりです。

及能正男先生を囲んで

2012年09月19日 | インポート
  このブログで以前紹介した、元西南学院大学の教授、及能正男先生をお招きしての講演会&懇談会を開催された。及能正男先生は、多数の著書や論文を発表してこられた、国際金融の分野では第一線で活躍されている研究者である。



 今まで、読書人倶楽部でお招きした講師の方とは違い、難しいお話になると思われ、当然のことながら、何人参加してくれるのか心配していましたが、会場にはピッタリの人数の会員様が集まってくださり、お話も、決して堅苦しいものだけではなく、ご専門の話はもとより、欧州危機の話や日中関係、それに関連した国防の話まで、色々な話題で盛り上がりました。中でも、昨年の福島第一原発事故の際、東京から大阪まで避難された事などは、とても大変なことなのに、リアルに、又、ジョークを交えながらお話されていたので、それほど大変に聞こえなかったのが、不思議なくらいでした。

 



 先生のお話が終わったあとは、いつものことながらビールやワインでの懇談会。正直言って、読書人倶楽部の一番の魅力は、この和気あいあいとしたところにあると思う。
 職業、地位、年齢などにとらわれず、自由に意見交換ができて、なおかつ、自身の知識向上の場に役立っていただければ、とても喜ばしい限りです。

 及能先生は今では多分売られていないと思われる、コダック?のインスタントカメラを取り出し、会場の中をフィルムが無くなるまでシャッターを押していた姿がとても可愛らしいおじいちゃまでした。