色紙とペンを渡されたオレの顔はきっと蒼白だったろう。ひょっとしてもう『冗談だよ』というタイミングはないのかもしれない。
このまま突っ走ってしまうか。うそをついて利益を得ようとしてるわけでもないんだ。おばちゃんが喜んでいるんだから、このまま『芸能人のかた』になりきってしまうか。
サインか。たしか有名人の書いたものはぐちゃぐちゃと書いてあって読めないようなものが多かったな。読めない字?それならオレでも書けるか。
スルスルっぐにょぐにょっとサインらしくと書いた。『月形半平太』。とっさに思いついた名前だが、これは古い映画などにでてく役名だったような…
「はいっ」と色紙をおばちゃんに渡すと
「これは…すいません…なんという…」
おばちゃんが言い終わらないうちに
「月形半平太」
「ああ、あの…」
また言い終わらないうちに
「舞台で月形半平太の役をやったんだけど、そのまま芸名にもらったんだよね」
おばちゃん疑いもせず、色紙を見つめて
「ああ、そうなんですかぁ」
これでよかったんだろうかと思いつつ、最後まで行ってしまおうと決意もしていた。
「あ、そうだ。日付とおねえさんの名前も書いてあげようか」
「いいんですか。すいません」
日付を書いて
「お名前は?店の名前よりおねえさんの名前がいいな」
「あたしですか?…早苗です」
ほほを赤らめて言うおばちゃんは、旦那さんを亡くした未亡人のように元気に見えた。
「いい名前だね。早いって言う字に苗かな。でも今日はひらがなでかわいく書きたいな」
「ええ、ひらがなでいいです。ひらがながいいです」
『さなえちゃん江』と書いて、おばちゃんに渡す。おばちゃんは、色紙を両手で抱きしめるように大事に持っていた。まるで少女のように見えた。
少女風おばちゃんは、カウンターの下からカメラを出してきた。
「写真もいいですか?すいませんずうずうしいこと言って…」
「ああ、写真?いいよ。そう色紙に写真ついてるもんね」
縦かな横かなとカメラをくるくる回してるおばちゃんに
「オレ、顔の左側のほうが自信あるんだよね。やや左向きで撮ってくれる」
と360度さほど代わり映えのしない顔を向けた。
もう『うそだよ。冗談だよ』とは言えない。初めて芸能人のサインをもらってうれしそうにしているおばちゃんをがっかりさせる必要もない。
『月形半平太』のサインがこの店に飾られるだろう。それでいい。他人が「これ変だぞ」と言っても、おばちゃんはかまわず飾ったままにしててほしい。
オレとおばちゃんの思い出は、一瞬だったけど時空を越えて飾られているのだから。
(おわり)第8話全編 は[楽天ブログ FREE PAGE]に掲載します
このまま突っ走ってしまうか。うそをついて利益を得ようとしてるわけでもないんだ。おばちゃんが喜んでいるんだから、このまま『芸能人のかた』になりきってしまうか。
サインか。たしか有名人の書いたものはぐちゃぐちゃと書いてあって読めないようなものが多かったな。読めない字?それならオレでも書けるか。
スルスルっぐにょぐにょっとサインらしくと書いた。『月形半平太』。とっさに思いついた名前だが、これは古い映画などにでてく役名だったような…
「はいっ」と色紙をおばちゃんに渡すと
「これは…すいません…なんという…」
おばちゃんが言い終わらないうちに
「月形半平太」
「ああ、あの…」
また言い終わらないうちに
「舞台で月形半平太の役をやったんだけど、そのまま芸名にもらったんだよね」
おばちゃん疑いもせず、色紙を見つめて
「ああ、そうなんですかぁ」
これでよかったんだろうかと思いつつ、最後まで行ってしまおうと決意もしていた。
「あ、そうだ。日付とおねえさんの名前も書いてあげようか」
「いいんですか。すいません」
日付を書いて
「お名前は?店の名前よりおねえさんの名前がいいな」
「あたしですか?…早苗です」
ほほを赤らめて言うおばちゃんは、旦那さんを亡くした未亡人のように元気に見えた。
「いい名前だね。早いって言う字に苗かな。でも今日はひらがなでかわいく書きたいな」
「ええ、ひらがなでいいです。ひらがながいいです」
『さなえちゃん江』と書いて、おばちゃんに渡す。おばちゃんは、色紙を両手で抱きしめるように大事に持っていた。まるで少女のように見えた。
少女風おばちゃんは、カウンターの下からカメラを出してきた。
「写真もいいですか?すいませんずうずうしいこと言って…」
「ああ、写真?いいよ。そう色紙に写真ついてるもんね」
縦かな横かなとカメラをくるくる回してるおばちゃんに
「オレ、顔の左側のほうが自信あるんだよね。やや左向きで撮ってくれる」
と360度さほど代わり映えのしない顔を向けた。
もう『うそだよ。冗談だよ』とは言えない。初めて芸能人のサインをもらってうれしそうにしているおばちゃんをがっかりさせる必要もない。
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