【エルサレムウィンドウ:ルバン族】マルク・シャガール
この時代、ユダヤ人であるとはどういうことだったのか――そのことを象徴するひとつの出来事が、第17章目の<プール(1938年)>の中に出てきます。
1938年ということは、この時『ぼく』とフリードリヒとは12歳だったと思われます(というのも、この次の章の<儀式>で、フリードリヒは13歳の誕生日を迎えているので)。
ある暑い日のこと、『ぼく』とフリードリヒとは、プールに出かけることにしました。
実は、この前の章で、『ぼく』のお父さんはフリードリヒのお父さんに「ドイツから出ていくよう」進言しています。というのも、『ぼく』のお父さんはNSDAP(国家社会主義労働党)に入党しており、党の考え方や今後の方針といったことをよく知っていたからでした。
>>「あなたの宗教上の仲間は、もう大勢、ドイツを去っていったじゃないですか。あなたたちの生活がどんどん圧迫されてきたからですよ。そしてそれは、まだ止みそうもない。それどころか、ますますひどくなるんです。家族のことを考えなきゃいけません、シュナイダーさん。早く、でておいきなさい!」
【中略】
「わたしはドイツ人です。家内もドイツ人、息子もドイツ人、親戚もみな、ドイツ人です。外国へいって、どうなるでしょう?誰がわたしたちを受け入れてくれるでしょう?ここより、どこかよその国のほうが、われわれユダヤ人を気持ちよく迎えてくれると、ほんとにお思いですか?――それともうひとつ。これは、もうそろそろおさまってくるだろうと思うんです。オリンピックの開催年である今年になってから、われわれユダヤ人のことは、もうほとんど問題じゃなくなってきていますからねえ。そう思いませんか?」
『ぼく』のお父さんは、この章――第16章目の<理由(1936年)>で、かなり強く「ドイツから出ておいきなさい!」と進めたのですが、フリードリヒのお父さんは楽観的としか思えない言辞を繰り返し、そしてただ、『ぼく』のお父さんが隣人としてそのように気遣ってくれたことに対し、感謝しただけでした。
もちろん、このお父さんの気持ちもわかります。ユダヤ人が迫害されるのは今にはじまったことではないということも……それに、自分が生まれ育った国を出るというのは本当に勇気のいることです。何より、仕事はどうするのか、これから何をどうして生きていったらいいのかわからないのは、ドイツにいても他国へ逃げても同じだと、フリードリヒのお父さんはそう考えたのかもしれません。
さて、第17章目の<プール>の出来事は、1938年ですから、この二年後の出来事ということになります。ということは、時代はさらにユダヤ人にとって悪化の一途を辿っていたに違いないのですが、フリードリヒは特に「ユダヤ人だ」と明かすことなく(ある意味当たり前ですが)、『ぼく』とプールへ出かけて行ったのでした。
ところがそこで、着替えと交換するための番号札をフリードリヒは失くしてしまい、管理人の男に身分証明書を見せるように求められます。
>>不意に、管理人がピューッと口笛を鳴らした。
向こうがわで婦人や女の子の服の受けわたしをしていた女の管理人が、駆けてきた。
「ちょっと見てみろよ!」管理人がいった。「こんなのは、そうそうお目にかかれるもんじゃないぞ」
そしてみなの耳にはいるように、大声でいった。
「ユダヤ人の身分証明書だぜ。こいつ、だましやがったんだ。フリードリヒ・シュナイダーなんていいやがって――フリードリヒ・イスラエル・シュナイダーと名のらなくちゃいかんのに。――ユダヤ人だぜ!ひゃあ!ユダヤ人がおれたちのプールにはいったんだ!」
かれは吐き気がするという顔をしてみせた。
服を持って立っていた人たちが、みな、一斉にフリードリヒを見た。プールの管理人は、げーげーいってみせながら、フリードリヒの身分証明書と手さげ袋を仕切りの外に放り投げた。
「ちゃんとした人たちの服のあいだに、ユダヤ人のをかけたとはね!」
そうどなって、フリードリヒの服も外の地面に投げつけた。服やズボンがあちこちに散らばった。
フリードリヒが地面にかがんで服をひろい集めていると、管理人が聞こえよがしにいった。
「ぺっ!まず手を洗ってこなくちゃ、ほかの人の服をさわれやしない!」
仕切りをこえてゆきざまに、かれはフリードリヒの靴を片方、ごみでつまった足洗い場に蹴りこんでいった。
……これが、ユダヤ人であるとわかった瞬間の、フリードリヒが受けたひどい仕打ちでした。
このあとフリードリヒは自転車が盗まれた少年に出会い、偶然その盗んだ人間とプールへ向かう途中で会っていたものですから、彼に向かって「きみの自転車を盗んだやつを知ってるよ」と教えてあげるのですが、「おまえなんかが警察で説明したって、信用してもらえると思ってるのかい?」と言われてしまいます。彼は管理人とフリードリヒとのやり取りを知っていたからそんなふうに言ったのです。
この時のフリードリヒの悲しい気持ちややるせない気持ちは、どれほどだったかと思います
ドイツ少年団で受けた扱いといい、フリードリヒにとって「ユダヤ人とは他のドイツ人たちにとってどう見えることかなのか」をまたしても思い知らされることになる、屈辱的なひどい出来事でした。
しかも、話はこれだけでは終わりません。このプールでの出来事があったのと同じ1938年――いわゆる<ポグロム※>という破壊と略奪行為にシュナイダー一家は見舞われます。
次回はこの、第20章目の<ポグロム>からお話を続けたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
(※ポグロム=≪ポグロム≫はロシア語からきたことばで、破壊するとか焼け野原にしてしまうという意味[1881-1917年のロシアでのユダヤ人迫害からできたことばで、その後、襲撃、虐殺などあらゆるユダヤ人迫害の集団的行為をさすことばとなった])
※本文の引用箇所はすべて、岩波少年文庫の「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒターさん著/上田真而子さん訳)からのものですm(_ _)m
この時代、ユダヤ人であるとはどういうことだったのか――そのことを象徴するひとつの出来事が、第17章目の<プール(1938年)>の中に出てきます。
1938年ということは、この時『ぼく』とフリードリヒとは12歳だったと思われます(というのも、この次の章の<儀式>で、フリードリヒは13歳の誕生日を迎えているので)。
ある暑い日のこと、『ぼく』とフリードリヒとは、プールに出かけることにしました。
実は、この前の章で、『ぼく』のお父さんはフリードリヒのお父さんに「ドイツから出ていくよう」進言しています。というのも、『ぼく』のお父さんはNSDAP(国家社会主義労働党)に入党しており、党の考え方や今後の方針といったことをよく知っていたからでした。
>>「あなたの宗教上の仲間は、もう大勢、ドイツを去っていったじゃないですか。あなたたちの生活がどんどん圧迫されてきたからですよ。そしてそれは、まだ止みそうもない。それどころか、ますますひどくなるんです。家族のことを考えなきゃいけません、シュナイダーさん。早く、でておいきなさい!」
【中略】
「わたしはドイツ人です。家内もドイツ人、息子もドイツ人、親戚もみな、ドイツ人です。外国へいって、どうなるでしょう?誰がわたしたちを受け入れてくれるでしょう?ここより、どこかよその国のほうが、われわれユダヤ人を気持ちよく迎えてくれると、ほんとにお思いですか?――それともうひとつ。これは、もうそろそろおさまってくるだろうと思うんです。オリンピックの開催年である今年になってから、われわれユダヤ人のことは、もうほとんど問題じゃなくなってきていますからねえ。そう思いませんか?」
『ぼく』のお父さんは、この章――第16章目の<理由(1936年)>で、かなり強く「ドイツから出ておいきなさい!」と進めたのですが、フリードリヒのお父さんは楽観的としか思えない言辞を繰り返し、そしてただ、『ぼく』のお父さんが隣人としてそのように気遣ってくれたことに対し、感謝しただけでした。
もちろん、このお父さんの気持ちもわかります。ユダヤ人が迫害されるのは今にはじまったことではないということも……それに、自分が生まれ育った国を出るというのは本当に勇気のいることです。何より、仕事はどうするのか、これから何をどうして生きていったらいいのかわからないのは、ドイツにいても他国へ逃げても同じだと、フリードリヒのお父さんはそう考えたのかもしれません。
さて、第17章目の<プール>の出来事は、1938年ですから、この二年後の出来事ということになります。ということは、時代はさらにユダヤ人にとって悪化の一途を辿っていたに違いないのですが、フリードリヒは特に「ユダヤ人だ」と明かすことなく(ある意味当たり前ですが)、『ぼく』とプールへ出かけて行ったのでした。
ところがそこで、着替えと交換するための番号札をフリードリヒは失くしてしまい、管理人の男に身分証明書を見せるように求められます。
>>不意に、管理人がピューッと口笛を鳴らした。
向こうがわで婦人や女の子の服の受けわたしをしていた女の管理人が、駆けてきた。
「ちょっと見てみろよ!」管理人がいった。「こんなのは、そうそうお目にかかれるもんじゃないぞ」
そしてみなの耳にはいるように、大声でいった。
「ユダヤ人の身分証明書だぜ。こいつ、だましやがったんだ。フリードリヒ・シュナイダーなんていいやがって――フリードリヒ・イスラエル・シュナイダーと名のらなくちゃいかんのに。――ユダヤ人だぜ!ひゃあ!ユダヤ人がおれたちのプールにはいったんだ!」
かれは吐き気がするという顔をしてみせた。
服を持って立っていた人たちが、みな、一斉にフリードリヒを見た。プールの管理人は、げーげーいってみせながら、フリードリヒの身分証明書と手さげ袋を仕切りの外に放り投げた。
「ちゃんとした人たちの服のあいだに、ユダヤ人のをかけたとはね!」
そうどなって、フリードリヒの服も外の地面に投げつけた。服やズボンがあちこちに散らばった。
フリードリヒが地面にかがんで服をひろい集めていると、管理人が聞こえよがしにいった。
「ぺっ!まず手を洗ってこなくちゃ、ほかの人の服をさわれやしない!」
仕切りをこえてゆきざまに、かれはフリードリヒの靴を片方、ごみでつまった足洗い場に蹴りこんでいった。
……これが、ユダヤ人であるとわかった瞬間の、フリードリヒが受けたひどい仕打ちでした。
このあとフリードリヒは自転車が盗まれた少年に出会い、偶然その盗んだ人間とプールへ向かう途中で会っていたものですから、彼に向かって「きみの自転車を盗んだやつを知ってるよ」と教えてあげるのですが、「おまえなんかが警察で説明したって、信用してもらえると思ってるのかい?」と言われてしまいます。彼は管理人とフリードリヒとのやり取りを知っていたからそんなふうに言ったのです。
この時のフリードリヒの悲しい気持ちややるせない気持ちは、どれほどだったかと思います
ドイツ少年団で受けた扱いといい、フリードリヒにとって「ユダヤ人とは他のドイツ人たちにとってどう見えることかなのか」をまたしても思い知らされることになる、屈辱的なひどい出来事でした。
しかも、話はこれだけでは終わりません。このプールでの出来事があったのと同じ1938年――いわゆる<ポグロム※>という破壊と略奪行為にシュナイダー一家は見舞われます。
次回はこの、第20章目の<ポグロム>からお話を続けたいと思いますm(_ _)m
それではまた~!!
(※ポグロム=≪ポグロム≫はロシア語からきたことばで、破壊するとか焼け野原にしてしまうという意味[1881-1917年のロシアでのユダヤ人迫害からできたことばで、その後、襲撃、虐殺などあらゆるユダヤ人迫害の集団的行為をさすことばとなった])
※本文の引用箇所はすべて、岩波少年文庫の「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒターさん著/上田真而子さん訳)からのものですm(_ _)m
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