神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

ソウル・サーファー

2016年11月23日 | 映画


 ずっと見たい、見ようと思っていて、ようやく見ました♪(^^)

 まず最初に、お話の内容のほうを、密林さんの内容紹介から……。


 >>2003年10月、プロサーファーを目指す13歳のベサニー・ハミルトンはハワイ州カウアイ島沖でサーフィン中にサメに襲われ、左腕を根元から食いちぎられるという大事故に見舞われる。奇跡的に一命をとりとめた彼女は、周囲の予想を裏切り、事故のわずか1か月後にサーフィンを再開。その数か月後にはトーナメントで5位入賞という劇的な復活を果たす。この奇跡と生還は、ハワイの自然のなかで友人に囲まれ、愛されて育ったベサニーの素直な人柄、家族の絆の強さとともに全米メディアが大きく報じ、話題を呼んだ。世界中に勇気と感動を与えた少女の真実の物語。

【ベサニー・ハミルトン】
 ハワイ州カウアイ島でサーフィン好きの両親とふたりの兄とともに、子どものころからサーフィンに親しむ。コンテストの子ども部門で優勝してから、“リップカール”をスポンサーにつけ、プロ・サーファーを目指してトレーニングを積んでいたが、2003年10月サーフィン中に、巨大なサメに左腕をほぼ根元から食いちぎられるという事故に見舞われた。その後、ほどなくしてサーフィンを再開し、トーナメントにも復帰、上位入賞を果たすという奇跡的な復活が、世界中の人々に大きな感動を与えている。


 実をいうとこちらは、DVDの商品紹介のほうではなくて、べサニー・ハミルトンさんの『ソウル・サーファー(サメに片腕を奪われた13歳)』の本のほうの文章だったりします

 いえ、自分的に映画を見ながら「これは本のほうも読んでみないと駄目だなあ」というのがあって。なんでかっていうと、べサニーさんにはきっと物凄く心の中で葛藤とか、「神さま、どうしてなの?」といった思いとか、色々あったと思うんですよね。映画でもその部分は十分伝わってくるのですが、心情の細かいところまで知りたいと思ったら、本を読んだほうがよりわかるんじゃないかなと思ったので……。

 映画の最初のほうで、べサニーさんのご家族が礼拝に参加されてたりとか、サラさんという伝道師の方に色々相談されてたり……また、彼女の所属するボランティア団体(ワールドビジョンですね)に参加したり、あとは最後のほうで「神さまがいればどんなことも乗り越えられる」といった言葉が出てきたり――神さまのことについてはあくまでも、うるさくない程度に(?)さりげなく描写されてる感じかな……と思います(^^;)

 欧米の方はもちろん別と思いますけれども、日本の方が見た場合には、家族の支えと神さまへの信仰があったから、きっとべサニーさんは立ち直れたのだろう……といった見方をする方はあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。家族や友人の支えがあったからべサニーさんは立ち直ることが出来た、また、そうしたことの他に、純粋にサーフィン映画としてもとても面白い――といった見方をされる場合がほとんどなんじゃないかな~なんて。

 なんにしても、映画の感想をば。。。

 まず、わたし的に映画を見た時にはべサニーさんが十三歳とは思えず、十五、六歳くらいかな~と思って見てた気がします(^^;)

 それで、最初からジョーズに腕を……という展開になるのがわかっているため、ハワイの陽気な環境の中で、べサニーさんが天真爛漫に明るい様子をしてる間も――「ああ、それなのにこのあと、そんな悲劇が……」と思って、身構えつつ見ていました。願わくば、その場面があんまりひどいものでありませんようにと願いつつ

 個人的に残酷だなと思ったのは、べサニーさんが親友のアラナちゃんと一緒にリップカールというスポンサーがついてから――メキシコへサラ伝道師と一緒に出かけるのを断って、さらに熱心にサーフィンの練習をしようとしていた時に、ああした事件が起きてしまったことでしょうか

 いえ、やっぱりまだ年齢が13歳ということもあって、神さまの務めのほうを選ばなかったからこんな目に遭ったのだろうか、神さまはそんなにも意地の悪い存在なのだろうか……とか、やっぱり考えてしまいそうですよね

 けれど、サメに腕を千切られながらも一命を取り留めることが出来たのは――べサニーさんが本当に冷静だったからですよね(この間、彼女はずっと祈っていたそうです)。暴れたりする力もなかったということもあったかもしれませんが、一緒にいたアラナちゃんのお父さんの態度も立派でした。

 浜辺まで戻ってきて、すぐにシャツを脱ぎ、べサニーちゃんの腕を止血して……病院で目覚めた時、べサニーさんが「シャツ、駄目にしちゃった」みたいに言うと「嫌いなシャツだった」と言ったり。本当に、こうしたことが起きたら胸が押し潰されそうになりますよね。サメが襲ったのはべサニーさんじゃなく、娘のアラナちゃんだったかもしれず、またその時一緒にいた大人がアラナちゃんのお父さんではなく、べサニーさんのご両親のうちどっちかだったら――そして、お互いにそのことは親しいつきあいをしているだけによくわかっている。それでもやっぱり、苦しいしつらいですよね。でも、べサニーさんは目が覚めてから、アラナちゃんのお父さんのことを物凄く気遣ってるのがわかる。

 また、べサニーさんが退院後、べサニーさんのお母さんが彼に「あなたがいなかったら、今のわたしたちはないわ」みたいに言うシーンも、とても良かったなって思いました

 そして、お医者さんにも言われていたことだけれど、片腕では出来ないことがたくさんあって、家族がその部分を気遣って手伝ってくれたり――「前とは違う自分」に戸惑いつつ、べサニーさんはその後、再び海でサーフィンすることを決意します。

 自分の血のかわりに海水が流れていると感じるくらいのべサニーさんだから、もしかしたらそれは当然の決意でもあったのかもしれません。また、その日が感謝祭の日だったというのも、アメリカ人らしいというか、べサニーさんにとっては心の区切りにできる日だったのかなという気がします

 しかもその後、地区大会のために猛特訓を開始するわけですが――その時の試合の描写がまた凄いな~と思ったり

 やっぱりこのあたりは言葉で説明しても仕方なく、映画見るのが一番と思うんですけど、べサニーさんのシーンについては彼女自身がスタントしてるだけあって、物凄く迫力があります。また、お約束とばかり、ライバルの子が意地悪なのも素敵ですね(笑)けれど、試合中、親友のアラナちゃんがマリーナ・バーチというライバルの子を妨害してしまい……片腕しかないので、べサニーさんはパドルするだけでも大変なわけですが、いい波がやって来るのを待つ間、マリーナちゃんはもう、べサニーさんのことを蹴落とすことしか頭にないというか、なんというか。。。

 いえ、これはスポーツなんですし、それは当然のことでもあります。そして、ライバルのマリーナが自分のことを障害のある人間としてではなく、対等なライバルとして扱ってくれたことを、べサニーさんは嬉しく思ったのでした。けれど、試合に惨敗したことで、すっかりサーフィンすることから遠ざかろうとするべサニーさん。

 そんな彼女のことを変えたのは、サラ伝道師と津波の大災害があったタイへボランティアへ行ったことでした。そこで、海の波を怖がっている少女と一緒に、サーフボードで遊んだり……他のタイの人々ともサーフィンしたりと、そうした経験を通して、べサニーさんの心の傷は癒されていったのだと思います。

 さらにはハワイへ戻ってきてみると、べサニーさんの元には世界中から励ましというか、ファンレターがたくさん届いていたのでした。その中には自分と同じように片腕のない人からの手紙もあれば、自分も勇気をだしてサッカーをはじめたという手紙や……べサニーさんは「自分は惨敗したのに、どうして?」と言いますが、お母さんは「それでも挑んだからよ(トライしたからよ)」といったように答えます

 こうして再びサーフィンを開始し、前以上に入念に重いトレーニングを積んで、べサニーさんは試合へと挑みます。

 ここの試合の描写についても――「とにかく映画で映像を見て!」としか言いようがないのですが、あえて勝敗のゆくえについては書き記さないことにしようかなと思います(^^;)

 そして、映画を見終わってから、当然視聴者のほうではあるひとつの疑問が頭に思い浮かびますよね。最初に「実話を元にしている」と出ていたけれど、どこからどこまでがノンフィクションなんだろう……みたいに。けれど、最後に実際にべサニーさん本人がサーフィンしているところを見て、物凄く納得するわけです

 とても素晴らしい映画だと感じるのと同時に、クリスチャン的なメッセージは少し弱いかな……とも思うのですが、自分の人生の中で最悪と思えることが起こった時にも、「わたしはあなたに(神さま、イエスさまに)すべてを委ね、感謝します」と、心から同意できた時――それ以上の何かが人生に起きてくるというのは、本当のことだと思います

 それではまた~!!









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