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第十六段 父のこと その6

2008年08月02日 | その他諸々
父の悪いことばかりでなく良いことを探してみましょうか、笑顔がよかったです。写真を見るといつもニコットと笑っています、なんの苦労もないというように母親はすましていました。だから第一印象はすごくよいので知らない人はお父さんはよい人だったと感想をいう、長兄のお嫁さんのように。しかし実際によく知っている人はここの先生は変わり者でしたなあという。近くで同じ歯科医院を開業していたO先生はお通夜でみんなの前で言っていました。
結果的にはよい反面教師だったです、子供は親には頼れないという自覚が小さいときから植えつけられました。自分でなんとかやろうと。子孫に美田を残さず、残すとそれをあてにして親父のようにダメになってしまう。おじいさんは愛知県の故郷に三ヶ所も土地を買っていた、父はそれを親戚の人に全部売り払い見事に使ってしまうなんてこと私には絶対考えられないことです。
大学の友達で開業するとき親に世話にならなかったと自慢げに言っていた人がいましたがわたしは母親に生活費を渡しながら開業をしました。兄弟みんなそれぞれ自活をしておりしっかり家庭をもっております。親父のおかげかもしれません。他になにかよい点をさがそうとするがみあたらないです。歌舞伎が好きでした、テレビをみながら役者の名前をよく言っていたし吉本、松竹新喜劇などはけなしていました。このように高尚なところもありました。自分は好きなように生きてきたと得意そうに言っていたことがありますがおかげで家族は大変迷惑をこうむりました。江戸っ子は宵ごしのお金はもたないと焼け気味にいっていましたがお袋はなにをあほな事をいうのやとあきれていました。
渡辺淳一の本に鈍感力というのがありますが親父はまさしく鈍感力の持ち主でしたね。批判をされてもこたえない、馬の耳に念仏でした。これもよい点の一つでしょうか。
女にはやさしかったです。小学何年生だったか忘れたがこんなことをいわれたことがあったです。女3姉妹がいたときに美津子ねえさん、美也子ねえさん、かつ子ねえさんといいなさいと。ねえちゃん、みやちゃん、かっちゃんでなんであかんのやと思ったし今さらなにをあほな事を言うのやと反発しただけでした。
女は結婚してから苦労をするのでという考えがあったのかも知れません。