次兄のこと 続きます

2020年10月30日 | その他諸々
彼とみんなが絶交状態になったきっかけは
あれは父が無くなたあとなにかで集まっていたことがあったとき早めにお墓を作ってくれと言うお金がたまると汚くなるからとこのようなことを言っていた。自分は家があり墓参りに行こうとしてもないからそうであろうが我が家に墓どころでないやろうにと思ったことがありました。このようになにかにつけ文句を言っていた。葬式の時,野里の曾根さんの息子さんがみんなを集めてみんなで澤田歯科医院を盛り立てていかんとというようなことを言っていたがなにを考えていたのかと思う。このあと法事のときだったか何が原因だったか忘れたがみんなが自分の敵やかと怒っていたことがあったです。一人30万やるから自分に付けということもいっていた。あのケチがよく言うわと聞いていたあんなのに貰ったらとんでもないことになる。
そのあと確か土曜日の午後お袋と家にいたときあれがやってきてまたいつものごとくぐだぐだ言い出したので二階に上がり技巧をしていたら上に上がって来てこれから家賃を出せと月に1000円をと海老江の家は次兄の名義になっていたのです。買うときに親父にお金がなく長兄が出している、その時に親父でなく次兄の名義にしたため次兄のものになっていた。自分は一銭も出していないくせに。
出せへんでと言うと盗人猛々しいとお前がやりだしてから患者が減ったとむかついたけど手を出さなかっです。手を出したのは二階の診療室に丸い黒いテーブルがあったのです、親父は粋がってラウンドブラックテーブルといっていた。隅棚をコーナーとそのテーブルを技工台にしていたのです。そのテーブルを次兄がガタガタとゆらしたのです。技巧していたものが飛び散ってしまったので思わず何をするのやと思わずパンチをくらわした。階上でがたがたしていたのでお袋がびっくりして上がってきた、そのあとお袋が急にいなくなりどこえ行ったのかと
思っていると岸田の奥さんを連れてきた。岸田さんは婦人会の会長をしていたので岸田さんが来たときは次兄は帰っていた帰りしな腹いせに壺を割りボンボンベットを持って帰りよった。これは自分が買ったものやとばかりに。
これからが本番です、このあと福島警察から電話がかかってきた。光男さんが弟にどつかれたと訴えてきてますよと。それでお袋がびっくりして警察に行くと兄弟喧嘩ぐらい私らもしょちゅうやりますよ。こんなことで事件になりませんと。これで終わりでした。ところがこんどは裁判所からなんと訴状が届いた。各人に。これは仕方がない何とかしないとまず大阪市の法律の無料相談にいきました。あの時の弁護士をいまだに覚えているがえらい剣幕で暴力はいかんと恫喝された。お前はその時の状況を知っているんかえらそうに言うな。無料なので説教もするのかと言いたかったが取り敢えずがまんでした。そこから弁護士を紹介するところを教えてもらい木村弁護士でした、この人は大阪空港の騒音対策を担当していた人でかなり有名でした。初公判のときその木村弁護士に次兄はかなりきついことを言われたらしく終わった後あの弁護士に文句を言ってやろういきまいていたらしです。この時は長兄が一人行っていた。その長兄がやめとき相手は弁護士やでと。次の公判には次兄も弁護士を雇っていた。佐々木という女性の弁護士でその人にも言われたらしいです。兄弟親子でこんなことするもんでないと。裁判はこれで終わりました。
その後どうしたかというと今度は向いのおちゃん(川南さん)のところに行き間に入って話をして欲しいとしかし親を訴えるようなことをしたあんたの方が悪いと相手にされずそれで終わりました。
このように絶えず誰かに助けを求めるのは小さいとき親父は次兄をえこひいきにしていたので依頼心が強かったようです。親父も平気で次兄の味方だったと思います。長兄はこれをよく言っていました。
この一発のパンチがこの後次男とのトラブルがなかったです、これがもしなかったらその後はだえずもめていただろうとい思われます。とにかくトラブルメーカーで頭痛の種でした。あるときなどは興奮して泣き出すこともあったですね。自分が歯科医になるべきなのに弟がなりやがって特に昭和40年ごろからの高度成長のため所得格差のため恨まれたであろうと目に見えるようです。昭和41年に大学を卒業したのですが偶然歯科医師免許を保健所からもらってきたときに親父と次兄がおりそれを見せたとき親父と次兄の顔がすべてを語っていたようです。これは本来なら俺がもらうべきであったのたのにと親父は光男は自分を恨むであろうと。
暴力はいかんとあの弁護士は言ったがはたしてそうであろうかと思います。話し合いでは絶対に解決しないこともあります。人間の歴史は戦争のくりかえしです、話し合いでは解決しないです。昔と違い平和的に解決すべきでしょうができないことが多いものです。
三島由紀夫も東大全共闘との会話で私は暴力を否定したことは一度もないとこの前に見た映画の中で言っていた。TOPに時には有効な手段でないでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。