第十五段 父のこと その5 

2008年07月15日 | その他諸々
小学低学年のとき歯の表彰を受けたことがあります、みんなは家が歯医者やからとひやかされたことがあります。しかしこれは関係がありません。やはり甘味物がなかったからと思います、憲ちゃんから歯をよく磨いたと聞かれたがこれも違うようです。あまり磨かなかったです。しかし高学年のとき虫歯で痛くなり水で冷やしごまかしていました。二階で親が治療をしているのに下で涙をこらえて頑張っていました。みんなの治療がおわりそれを今か今かと待ってお願いしますと終わるとありがとうと言わされました。これが嫌でなるべく避けて親も子供が治療をいわなかったら知らん顔。こちらも痛みがとれたらいいと、しまいにこの歯はダメになってしまいました。他の兄弟もその頃は保険の本人だと治療費はいらなかったので他の歯科医院に行くしまつでした。本当ですよ。
三姉の前歯に金歯をかぶせあんなのはすでに否定されていた治療法で私がやりだしてからすぐに取り外したことがありました。そのくせ自分は名人芸の仕事をしていると次兄と話をしているのをそばで聞いていて頭がおかしいのと違うかと思いました。実際歯の本を真剣に読んでいたのを見たことがありませんでした。日本歯科医師会の雑誌が毎月送られてくるがたまにざっと目を通し、たいしたこと書いてないと投げ捨てて何に使うかといったら土瓶敷きによく使っていました。もう時効なので書いてもいいでしょう。なにか寝ながら読んでいるのでよく見たら競馬新聞でした。タービンがなく足踏みエンジンで歯を削っていました。昔はみんなそうであったでしょうが新しい器械が出てきているのに昔のまま。床のリノリュームがめくれてきていてまわりがなんとかしないとと注意しても本人は無関心、お金のいることは本当に手を出さなかったです。母が言っていたが物を買うというと反対すると。実際今でも感心するのは三兄が新聞配達のアルバイトで買った中古の自転車を自分が夜乗り回しよくパンクやチューブやタイヤをだめにして修理の連続でした、あれなら新しい自転車を買えばよいと思うのに最後まで買わなかったです。父が買ったものは日本文学全集、外国文学全集がありました。これも月賦でこのことで母に聞いたことですが老人がお金を集金に来たとき母がなにげなくお金を渡すと父親が二階から降りてきていきなり母親を殴ったといっていました。あのような年寄りにお金を渡すときは一枚ずつ手のひらにおいて数えながら渡すものだと。これでまた思い出すことがあります。小学校のとき毎月いるお金を母親からもらおうとすると父親からもらえと仕方ないので仕事が終わるのを待って二階に上っていきもらうのですがいつも袋に書いてある明細を読まされすぐにくれたらよいのに手のひらに一枚一枚百円札をおいていく。じつに苦痛でした。