次兄のこと 続きです

2020年10月20日 | その他諸々
長姉がこんなことを言っていたこともありました。みとちゃん(次兄の愛称)が帰っ来たら逃げときと逃げる言うても自分の部屋があるわけでもない。どこへ逃げろというのか。たえずいじめられていたようでつくづくお人好しだったものです。そんなこともあったのに次兄が結婚して曾根に住んでいた時誰も来ないので寂しいかったのか自分が大学生の時長兄の志方には夏休みはよく行っていたが曾根にはいかなかったので遊びに来いと誘っていた。無神経なのか何を考えているのやら行くはずがないやろうと思ったものです。曾根には子供がおり子供には会いたかったが行く気には全然なかったです。弟や妹などは自分の家来ぐらいに思っていなかったです。いつも難しい顔をしていた今日は機嫌がわるいなあと顔いろを見ていました。とくに志方から帰ってきたときはいつも機嫌が悪く腫れものに触るようなものでした。長兄と何かあったのでしょうけど周りの空気を読むことなどしない自分が中心にいて周りの人に気配りをするようなこと一切なかったです。
良いことも悪いことも思いつくままに書いてみます。
良いことは何があるやろう、進君と自分と3人で甲子園の浜へ行ったことがあったね。ボートに乗り足が立たないところでボートの端をつかみ顔を水につけたことがあり凄く怖かったことを覚えています。まだ泳げないときは恐怖だったです、進兄はボートの下を泳いでいたが足がつかないところで泳ぐなんて恐怖そのものでした。あるとき淀川の堤防に運動しようと走りに行ったこともありました。一人で行くのが恰好つかないからやろうが何か利用されていた。長兄には宝塚遊園地に連れていかれたこともあります。長姉には毎週日曜日にどこか連れていかれ最後には面白くもない映画に突き合わされたこともありました。本当にお人好しでした。嫌と断れば良いものを我慢強かったものです。
彼ははっきり言えばケチそのものでした。中学2年の時ラジオ制作にすごく興味がありました、家で兄はそれを作っていたのでそばでいつも見ていたので制作キットを買うてやろうかと言ったことがあったがいまだに実現していない。親にねだることなど考えられなかっしいまだにそのことを覚えています。参考書も買ってやろうと言ったことがあるがいまだに実現していない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。