次兄のこと

2020年10月19日 | その他諸々
長いことブログを更新してないのでまた書いてみようと思います。新型コロナで今年は振り回され患者が来ない。今まで何とか
来ていたが10月に入ってから見事に急ブレーキがかかってしまった。来年の4月で80歳になる。昔80歳の老人は杖をついていたものです。自分がこの年まで働くなんて考えもしなかったですが気が付けば80。もう仕事を辞めてもよいのですが辞めてどないするのと家内はすぐに言う。家にいると厄介者にされるのが目に見えている。やめる辞めれない状態です。行くとこまで行こうと思っています
大病をすればそく辞める理由ができ必要十分条件がそろうのですが何故か病気をしないです当然喜ぶべきですが皮肉なものです。
ほかに楽しみがないものかと考えるのですがなかなかないものです。いっそのこと海外に長期にブラブラするのもよいかなと思ったりするが語学がダメさみしがりやし誰ともすぐに打ち解けれないしこまったことです。私が仕事を辞めると困るという患者さんがいており昨日も神戸からタクシーで来られた人がいますのでこれもまた困ったことです。
さて次兄ですがこの兄は一言でいうとサジストだと思います。たえずトラブルメーカーだったです、変わり者変コツとみんなから嫌われていたです。サジストと書いたが親父と長兄除いて怖いもの知らずお袋とたえず喧嘩をしていたのをいまだに思い出します。我が家には階段が二つありました、一つは患者用、ひとつは家庭用あるときはトムとジローやったか漫画があったが追いかけあいをしていたことがあったです。しまいにお袋は階段の上から額縁を投げて怒ってたことがありました。たえず自分はいじめの対象だったです。幼児のころだっと思いますが願いが叶うと片目を入れるダルマがあったのですがそれを自分が怖がるものだからなにかあればそれを持って追いかけていちびっていたことを思い出します。護は泣くとトイレに行きよるとよく言っていた。なぜかトイレに逃げ込んだように思い出します。日曜日は親父は家にいないいつものごとく競馬帰りは11時すぎ競馬に行くのが楽しみに生きていたようなもので歯科医師会の大事な会合も無視だったです。だから保険の講習も行かないものだから損ばかりしていたようです。
こんなこともありました。家の前が駄菓子屋でパンも売っていたある時パンを買ってこいと言われ買ってくると少し匂いがする返して変えてもらえとそんなこと嫌だったので行かなかったすると文句たらたらいう。だいたい自分で行けばよいのに使い走りをさせられた。今考えると本当にお人好しだったと思う。次兄が帰ってくると顔いろをみたもんです。今日は機嫌が良いか悪いかと。機嫌が悪いと護,壁に向かって座っとけとお袋も変に逆らうとうるさいものだから見てみない振りをしていたようです。

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