祈りを、うたにこめて

祈りうた・いのちうた(伴走  がんの告知②)

がんの告知②


 〈がんなど、重い病の告知について、「死」を見据えて書かれたものは多くないようです。わたしもうろたえました。妻は、毎年の特定健診で知らされました。思いがけなかっただけに、驚きは大きいものでした。妻のほうがもっと大きく衝撃的であったにちがいありません。すぐに生と死を見据えることはできませんでした。
  これからが「生き方」「夫婦のあり方」「信仰への姿勢」など、人生の柱となることへ向き合う、そのときです。―二〇二二年十月〉


告知された患者の思い
 今では、重い病気の告知も当人にするということが一般的なのだろうか。
 柳田邦夫の『ガン 50人の勇気』(文春文庫)を読むと、四十年ほど前には「告知しない」ほうが選ばれていたようである。たとえ告知する場合でも、医師にも当人にも家族にも、かなりの葛藤を強いるものであったようだ。亡くなるまで医師と家族のみが知り、本人は何も知らされなかったという例もある。
 その後、医学は進歩し、がんは治る・寛解するという可能性が高くなってきたので、医師にも患者にも「告知する」という選択が増えてきたのだろう。そう受け止めている。
  わたしがよくかかる病院では、胃カメラなどを受けるとき、承諾書に署名を求められる。その書類には、検査の結果を当事者自身に告げてもいいか、家族だけに知らせるほうがいいかという意味の問いがある。わたしは毎年、当事者に告げてほしいという箇所に印をつけてきた。病の告知は、それなりにわたしに馴染んできていたのだと思う。

 それにしても、医師さまざまではある。告知が現実のこととなってわかった。
 最初の医師は老年のベテランだったが、明言することを避けた。患者であるわたしたちが言葉の端々からそれと察したのである。告知に慎重であった時代を経験してこられたからだろうと思った。
 二人目の医師は若く、ほとんどためらいということがなく病名を口にした。妻の病の専門領域ではなかったが、「治ります、いや、寛解します」と断言しさえした。
 三人目の医師は転院先の中年医師で、「この病はゆっくり進みます。今は程度が軽いので治療せず、このまま様子を見ていきます」「今後悪化しても、治療すれば良くなります。でも再発します」と、ほとんど表情を変えずに言った。あまりこちらも見ずに。
 どの医師がわたしたちにとって良かったか―といえば、二番目の医師だろうか。あいまいにされても不安や猜疑心(さいぎしん)が強まるばかりだから、隠さずに告げてもらったのは良かったと思う。
 ただ、「先生は、ご自身やご家族ががんの告知を受けたことはおありですか」という質問がのどまで出かかったというのも事実である。「もしも奥様ががんと診断されたとき、『それじゃあ大学病院へ行けばいいよ。紹介状を書いてもらいなさい。大学病院の先生がどなたかは存じ上げないけれど、あなたを託すよ。きっと良くなると思うから』などと、ストレートに話をなさいますか」と。それほどあっけらかんとした態度だった。
 この病の告知を受けられた患者さんは、どのような思いでその瞬間を、病院を出るときを、家に着いてからを、そして夜床に入ったときを過ごされたことだろう。
 すでに覚悟しておられた場合と、ほとんど予期せぬ事態となった場合とでは異なるかもしれないが、昨日までの暮らしが音立てて崩れていく、というような体験は同じようではないかと思う。
 病をもった人間が目の前にいるのに、検査結果だけを見ている医師はかなしい、と思う。もちろん、患者一人ひとりの名前を覚え、正面から向き合ってくださる医師もおられるのだから、乱暴な言い方は慎まなくてはいけない。
 ただ、病の告知という気の引き締まらざるをえない場面で、その医師の人間性が立ちあらわれてくるということ、そのことは言えるのではないか。
 *
 妻の「闘病」、いや、わたしたちの「闘病」は始まったばかりである。うろたえ、しゃがみこむことからスタートした闘病である。
  これからどうできるか、どうなっていくか、ともに神を仰ぐ夫婦として、一緒に歩いていく覚悟である。たとえあっちへよろよろ、こっちへよろよろであっても。
「健やかに病む」―矛盾した言い方だが、これがわたしたちの、命への尊敬であり、これまでの人生への感謝でもある―こと、それを目標とし、治癒もしくは寛解を強く願いつつ、前へ進もうと思う。





◆言葉に愛を宿したい。
◆ご訪問ありがとうございます。



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