Eテレ・世界の名著百冊のアレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていないУ войны не женское лицо」の所見第二弾。戦争の「小さな物語」にスポットを当てたロシア版(著者はベラルーシ人だが、著書はロシア語で書かれている)「この世界の片隅に」と言える作品。
さて本題。先ほど今の時期に放送されるスポーツ中継はもはやプロパガンダだと書いたが、そもそもスポーツ中継なんてチャンネルを合わせなければ済む話であり、本当のプロパガンダはそこではないのだということ。つまり、身近な人たちとの会話こそ、プロパガンダの核となる部分。テレビのチャンネルは変えられても、職場の上司や同僚、学校の友たちとの会話の話題はチャンネルのように簡単には変えられない。さらに今日ではネット上=SNS上に日常的にプロパガンダ的な言葉が溢れてる。
僕は、菅政権を降ろせば済むほど、この流れを簡単に変えられるとは思っていない。香港のように、具体的な国家権力の圧力よりも、今はまずこうした身近な人たちから溢れ出てくるプロパガンダにどうやって抗して行くかも考えなければならないことだ、とこの作品は教えてくれる。
さて本題。先ほど今の時期に放送されるスポーツ中継はもはやプロパガンダだと書いたが、そもそもスポーツ中継なんてチャンネルを合わせなければ済む話であり、本当のプロパガンダはそこではないのだということ。つまり、身近な人たちとの会話こそ、プロパガンダの核となる部分。テレビのチャンネルは変えられても、職場の上司や同僚、学校の友たちとの会話の話題はチャンネルのように簡単には変えられない。さらに今日ではネット上=SNS上に日常的にプロパガンダ的な言葉が溢れてる。
僕は、菅政権を降ろせば済むほど、この流れを簡単に変えられるとは思っていない。香港のように、具体的な国家権力の圧力よりも、今はまずこうした身近な人たちから溢れ出てくるプロパガンダにどうやって抗して行くかも考えなければならないことだ、とこの作品は教えてくれる。