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DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私にとってブログは「放送局」です。常に発信していなくてはならない。 発信が止まったらそれは「放送事故」です。

同世代+1つ上の世代が嫌い

2016-11-16 09:00:11 | 社会・政治
 理由は「一貫性がないこと」、これに尽きる。

・60年代安保闘争で左翼に共感していた世代のはずが、最近になって安倍政権のような右寄り政権を支持してる。こんな日和見な世代は信じられない。
・管理職になって部下たちに「働いて稼ぐことは大変なんだぞ」などと説教を垂れる。ふざけんな、自分たちはバブルの恩恵に預かって、ただとにかく残業してれば、1年と経たずに高級外車が買えるほどの貯金ができた時代の連中の説教に説得力なんかない。
・近所に保育所を建てる計画があると「うるさいからやめてくれ」などとほざく。お前らだってうるさい子ども時代があっただろうに。小さい頃の自分は棚上げかよ?

 と言う訳で、今でもDon't trust over 30の精神は寸分も変わらない。大人なんかになるものか!



お客様の笑顔をモチベーションにするのは生産性を下げるだけ

2016-11-16 00:32:50 | 社会・政治
 少なくとも僕にとっては揺るぎない事実。理由は明快、他人の考えや感情を基準にすると、評価基準、採点基準があいまいになるから。もちろん、仕事の上での結果は明確なものだが、プロセスがどう評価されているのか、分からないことの方が多い。評価基準の分からないものに努力するのはとてもしんどい。むしろ結果を出す前に摩耗し、燃え尽きるだけである。そうやって、世の多くの人がうつになって苦しんだりする。
 自己満足を否定すべきではない。自己満足とは、自分自身が評価者であり、それゆえ評価基準がクリアな状態で努力し、目標を達成したと言うことである。それは、本人にとって最もストレスが少なく、かつ最も高いパフォーマンスが得られる状態である。
 少し話はそれるが、僕は僕自身が書く日記が一番読みやすく、一番面白いと思っている。早い話が自画自賛な訳だが、明確な理由がある。多くの人の日記は結論だけを簡潔に書く。簡潔な表現に価値があるような風潮がある。しかし僕は違う。いろんな話に寄り道しながら日記を書く。そして、そういう書き方に価値があると考えているからこそ、自分の日記が最高!だと思っている。
 特に僕が重要だと思っていること、それは「動機を書く」ことである。美味しいものを食べたり、アイドルに会いに行ったり、映画を見たり美術館に行ったり、もちろんそのことを書いただけでも楽しさは共有できるが、そうしたことを本当に楽しめる根源は、その行為を実行するためのモチベーションだ。モチベーションをクリアにすることが、日記の中の出来事をより切実に理解するキーポイントなのだ。
 そう、モチベーションとは僕が消費行動をする場合の判断基準であり、それが明確だからこそ、やる気も出る。他人様の意見もクリアに理解できるのであれば、やる気も出るが、残念ながら上述のようにはっきりモチベーションを書いてもらわないと僕は理解できない。
 モチベーションはたかがSNSを楽しむ上でも大変重要だし、ましてや仕事の意欲に対しては何をか言わんとや、である。自己満足、それも他人に説明できるような明確な動機をばかにはできない。お金を稼ぐことそのものが動機と言うならそれもありだが、残念ながら僕にはそれは明確なモチベーションにつながらない。お金は何かを買わないと意味がないし。