
(小熊座2017年12月号⭐高野主宰の選評より)
「耕して天に至る」の出典は諸説あるようだが、有名なのは司馬遼太郎が、明治中期に日本を訪れた清国の政治家李鴻章が瀬戸内の島々の耕作状態を見て驚嘆して呟いた言葉として紹介していた逸話である。孫文が宇和島の段々畑を見て感嘆した言葉とも伝わっている。その勤勉な人々が拓いた田も、今は放棄田となり果てた。そして、稲穂に代わって芒がそよいでいる。前句〈消えし村それぞれにある良夜かな 大久保和子〉で月見に触れたが、芒が供えられるのは、稲穂の代わりとしたからだ。かつては稲の収穫は、月見よりも遅かった。芒はその代用であり、神の依り代となった。だが、芒だけになった田を眺める月の神がもたらすものは、おそらく天罰以外、何物もないだろう。これは痛烈なイロニーの句なのだ。
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