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申し訳ありません
ランキングが下がる度に、軽く酸欠になります、この私
なにとぞ人助けだと思って?時々お願いします
(このブログ作日も今日も悪あがき)

(一日20時間、寝るのがお仕事、旅子サン)
晩ご飯を終え、やれやれ、と。むふふ、ではブログの更新をいたしましょうと、書き出したところで、慌しく娘と友人たちが、勝手口からどやどやどぉーん、と入ってきました。
あらら、なに?え、どうしたのかしら?、と思うまもなく「オカ~サン、早く早くご飯たべさして。皆、仕事帰りのままで、お腹空かせているのよ」って。あ~た~。
ひぇえ~~!今日に限って、家で食べるんかい!
それで、渋々ブログは諦め、更新なし。PCを閉じる。これもまた良し、と。
久々に、普段ヒマなのに、店じまいの間際に飛び込んできた複数のお客さんに、気が動転する”食堂のおばちゃん”的、雰囲気を味わいました。
こんな時に限って、ご飯を炊いていない。残りご飯が少々。私と夫は、うどんを食べたのだった。お蕎麦ならあるけど。。。げ”っ、ご飯がないの?もう、それでもいいわ、何でも、早くね。
友人たちは、ハイ、お蕎麦だけでけっこうですぅ。と言っている。
ブロッコリーとウインナーの茹でた物。ほうれん草のおひたし。胡瓜と蕪のぬか漬け。など、とりあえずあるものを出し、急いで生蕎麦をゆでて、たぬき蕎麦にして出す。
「たぬき蕎麦」の具は、椎茸・ほうれん草・ゆで卵・麩・あげ玉・長ネギ・一味トウガラシである。
ドレッシングはかけず、マヨネーズで。ほうれん草のお浸しも、鰹節と醤油ではなく、マヨネーズで食べるという。初めて聞いた。もしかしてお宅は、”マヨラー一族”か?
やはり、お蕎麦だけでは足りないというので、翌日の食材であるべき「豚カツ肉」を、追加する事となった。
肉を焼きつつ、生姜をオロシつつ、醤油とみりんと酒、昆布茶少々を合わせて、肉に焦げ目がついたらひっくり返し、肉の上に生姜汁をジャーッと振りかける。火が通れば、出来上がり。これ、香ばしくてけっこうイケます。
彼らは、セワシナク食べた後、速攻でお風呂に入り、二階に駆け上って談笑していたのですが、案の定、そのままグッスリと寝込んでしまいましたとさ。…彼らの、朝は、チョー早い。
いえ、そんなことはどうでもいいのです。今日書こうと思っていたことと、何のつながりもない、冒頭の書き出しで、すっかり白けてしまいました。
では、気を取り直して、、、東海林さだおさんの「ドーダ理論」について、ひと言申し述べさせていただこうか、どうしようか、若干悩みました(←ウソですが)
5年ほど前に、この理論を提唱されたのは、漫画家であり、作家でもある「東海林さだお」さんでした。すでに(私より)彼をご存知の方は、多いかもしれません。何といっても、画期的な理論でしたから。
いわく「人間の表現はすべて”ドーダ”という自慢、自己愛の表現だとの観点で、社会の事象を分析する」学問らしいのです。
なるほどなぁ、と以前から思っていました。誰かに何かを自慢したり、少しでも褒めてもらいたい、という気持ちが、人間をより向上させるのかもしれない。生きがいにさえなりうる。。。(かな)
それは、自己愛の表現であるから、病気や不幸や苦労に関してでも、成立する。いわゆる、病気自慢・不幸自慢・苦労自慢。これだけの事があったのに、立派に乗り越えた私って、エライわん、というわけである。
失恋して泣くのも、とっても可哀想な自分に対する、深~い愛情と憐憫からではないのか、と私はウスウス気がついていた。
すべからく、「泣く」という行為は、自分がカワイイからである、たぶん。特に、涙脆い人が優しい人ではないだろう、と思う今日この頃(←非難ごうごう?来そうですが)
そんなわけで今、自分の首を、真綿で締めている気がしてきた、トーコです。なんとなれば、ブログを書くことだって、「ドーダ」理論で説明できるのです。
ましてや、ランキングに登録することは、ナニヲカイワンヤである。そして、ランキングが異常に気になってきて、何度もチェックしたり、果ては閲覧の方に、クリックを執拗にお願いしてみたり(…そ、そうね、私デス)
どんどん、危険が危なくなってきました(笑)う~む、藪をつついて蛇を出そうとしています、この私。
もう、収拾がつかなくなりました。オチなんか、知りません。三十六計、逃げるに如かず。”現実逃避”は、「ドーダ理論」ではどう分析されるのだろうか。いえ、どうだっていいんです、私さえ、無事に逃げ切れるのならば。きょえぇ~~!







(一日20時間、寝るのがお仕事、旅子サン)
晩ご飯を終え、やれやれ、と。むふふ、ではブログの更新をいたしましょうと、書き出したところで、慌しく娘と友人たちが、勝手口からどやどやどぉーん、と入ってきました。
あらら、なに?え、どうしたのかしら?、と思うまもなく「オカ~サン、早く早くご飯たべさして。皆、仕事帰りのままで、お腹空かせているのよ」って。あ~た~。
ひぇえ~~!今日に限って、家で食べるんかい!
それで、渋々ブログは諦め、更新なし。PCを閉じる。これもまた良し、と。
久々に、普段ヒマなのに、店じまいの間際に飛び込んできた複数のお客さんに、気が動転する”食堂のおばちゃん”的、雰囲気を味わいました。
こんな時に限って、ご飯を炊いていない。残りご飯が少々。私と夫は、うどんを食べたのだった。お蕎麦ならあるけど。。。げ”っ、ご飯がないの?もう、それでもいいわ、何でも、早くね。
友人たちは、ハイ、お蕎麦だけでけっこうですぅ。と言っている。
ブロッコリーとウインナーの茹でた物。ほうれん草のおひたし。胡瓜と蕪のぬか漬け。など、とりあえずあるものを出し、急いで生蕎麦をゆでて、たぬき蕎麦にして出す。
「たぬき蕎麦」の具は、椎茸・ほうれん草・ゆで卵・麩・あげ玉・長ネギ・一味トウガラシである。
ドレッシングはかけず、マヨネーズで。ほうれん草のお浸しも、鰹節と醤油ではなく、マヨネーズで食べるという。初めて聞いた。もしかしてお宅は、”マヨラー一族”か?
やはり、お蕎麦だけでは足りないというので、翌日の食材であるべき「豚カツ肉」を、追加する事となった。
肉を焼きつつ、生姜をオロシつつ、醤油とみりんと酒、昆布茶少々を合わせて、肉に焦げ目がついたらひっくり返し、肉の上に生姜汁をジャーッと振りかける。火が通れば、出来上がり。これ、香ばしくてけっこうイケます。
彼らは、セワシナク食べた後、速攻でお風呂に入り、二階に駆け上って談笑していたのですが、案の定、そのままグッスリと寝込んでしまいましたとさ。…彼らの、朝は、チョー早い。
いえ、そんなことはどうでもいいのです。今日書こうと思っていたことと、何のつながりもない、冒頭の書き出しで、すっかり白けてしまいました。
では、気を取り直して、、、東海林さだおさんの「ドーダ理論」について、ひと言申し述べさせていただこうか、どうしようか、若干悩みました(←ウソですが)
5年ほど前に、この理論を提唱されたのは、漫画家であり、作家でもある「東海林さだお」さんでした。すでに(私より)彼をご存知の方は、多いかもしれません。何といっても、画期的な理論でしたから。
いわく「人間の表現はすべて”ドーダ”という自慢、自己愛の表現だとの観点で、社会の事象を分析する」学問らしいのです。
なるほどなぁ、と以前から思っていました。誰かに何かを自慢したり、少しでも褒めてもらいたい、という気持ちが、人間をより向上させるのかもしれない。生きがいにさえなりうる。。。(かな)
それは、自己愛の表現であるから、病気や不幸や苦労に関してでも、成立する。いわゆる、病気自慢・不幸自慢・苦労自慢。これだけの事があったのに、立派に乗り越えた私って、エライわん、というわけである。
失恋して泣くのも、とっても可哀想な自分に対する、深~い愛情と憐憫からではないのか、と私はウスウス気がついていた。
すべからく、「泣く」という行為は、自分がカワイイからである、たぶん。特に、涙脆い人が優しい人ではないだろう、と思う今日この頃(←非難ごうごう?来そうですが)
そんなわけで今、自分の首を、真綿で締めている気がしてきた、トーコです。なんとなれば、ブログを書くことだって、「ドーダ」理論で説明できるのです。
ましてや、ランキングに登録することは、ナニヲカイワンヤである。そして、ランキングが異常に気になってきて、何度もチェックしたり、果ては閲覧の方に、クリックを執拗にお願いしてみたり(…そ、そうね、私デス)

どんどん、危険が危なくなってきました(笑)う~む、藪をつついて蛇を出そうとしています、この私。
もう、収拾がつかなくなりました。オチなんか、知りません。三十六計、逃げるに如かず。”現実逃避”は、「ドーダ理論」ではどう分析されるのだろうか。いえ、どうだっていいんです、私さえ、無事に逃げ切れるのならば。きょえぇ~~!

まぁ~、一味トウガラシで、良かったのですね。
私は七味より、一味の方が好きです。今、使っているのも一味トウガラシですよ
柚子コショウを買ったのですが、まだ使っていません。娘に言わせると、鍋のときに「柚子コショウ」を入れると、すべての味が柚子コショウになって、ウマクないらしいです
スパイスは、適宜、ほどほどに、ということですね。
お名前の由来を教えてくださって、ありがとうさん!これで、今夜は安心して眠れます。あはっ!
コメント、ありがとうございました
薬味のなかでも、一味(とうがらし)にしました。
若い時は辛口で、今は中辛ですけど。(笑)
今日は夫が不在なので、たまにはと娘と二人、宇都宮まで出て、和食のお店で食事してきました。
今さっき、帰ったところです。返信が遅くなって、ごめんなさ~い
本当に、ひよどりさんのコメントは的を得ています。おっしゃるとおりで、付け足す言葉も、引く言葉もありません。
表現者とは、常に「ドーダ」ですね。いえ、生きていることそのものが、「ドーダ」とも言えます。
モチベーションの調節は、難しいですが、自分なりに、いろいろと暗中模索したいと思います。年をとっても、一生勉強です。当たり前ですが
素晴らしいコメント、ありがとうございました
「ドーダ」に結びつけて論じようとすれば、「こじつけ」も含め、ほとんど結びついてしまいそうです。
「隣の猫が仔を生んだ」という淡々とした客観描写も、「そんなことにも眼がいく私なのよ」ということになる。
ひねくれた見方をさえすれば、なんでも「ドーダ」になる。
「賃上げ要求」を拒否した社長も、受け入れた社長の行為も、「ドーダ」で説明できないこともありませんね。
つまり、「行為者」がそこまで考えていなくても、「ゲスのカングリ」をすれば、如何ようにも勘ぐれるのではないでしょうか。
もともとそのように分析結果を出そうとすればどうにでもなる「ドーダ論」だと思うのですが。
まして「表現者」が分析の標的にされたら、すべての表現は「ドーダ」になってしまいそう。
「表現して公開」することは、結果として「他人の評価」求めています。
「共感を得る」ことを求めたり、時には、あえて「反感を買う」ことも求めるかも知れません。
気にしないことです。
「ことさらに悲劇を訴えたり」、「ことさらに強さを誇示したり」は、「表現者の矜持」が許さないはずですね。
「公開ブログ」は、「ドーダ論」の恰好の餌食です。
長いコメントでご免なさい。
「ブログは、無理してまで続けるものではない」と、宮崎県の知事さんもおっしゃったとか
毎日は、読む方も、書く方も、ツライかも知れませんね。一日一度も、パソコンを開かない、ということは。。。ないですものね、今のところ。
私の場合、気持ちは書きたくても、毎日更新しない方が良いようです。内容が、あまり吟味されていないし、つまらないものなら、書かない方がマシかもしれません。と思ったりしています
たくたくろさんの場合は、毎日進化していて面白いので、良いと思いますが。真摯に努力されているのが、見てとれます。まさに、ブログの申し子のような・・
お忙しい中のコメント、ありがとうございました
ホント、こういうのも、身体に良いような良くないような、、、お世話になっている身で、勝手な私です
いやさ。訪問者数が2倍近くになっているのに、ランクがドンドン下がって行ったから、世間はマジで甘くはないんだぁと感じて、もう凹む凹む~
だから、ランキング参加を敬遠するブロガーが多いんだね。さっさと止めて行く人も多いね。
おかげさまで今回は、なんとか皆さまのご親切で持ち直しました。私如きが、9位とかにいるのが、不可解な訳で。身の程を知れ!、って自分でも思っていますぅ~るるる~♪
いやさ。これに関連して、既得権を離そうとしない政治家とか、官僚とかの気持ちが、少ーしばかり想像できました。ひぇえ~!自己満足の極致?
まぁ、ご迷惑でしょうが、もうしばらくお付き合いを
貴重なコメント、ありがとうございました
さすが、気がつかれましたか!
「ドーダ」っていいんです。あるいは「ドーダ」ってよくないんです。さぁ、ど~ぉしましょうか?
ところで、サーモンさん、去年の夏はサーファーでしたね。ぼ、ぼくだって、サーファーだよ。だってネットサーフィンしてるもん
また、お昼休みに「ハンカチ王子」ならぬ、「ハンカチ親爺」で、お願いします。コメント、ありがとうございました
無理をしないで、って言われてもやめられない。
まさに依存症なのでしょうね。私も他人事ではありません。
続けられればいいというものでもありませんから・・・。
みんな苦しんでいるのでしょうか?
私もとこかで一日空けたら楽になるのでしょうけど・・・。
でも、読んでくれる人がいると思うと、不思議とパワーが出てくるのですよ。
読者ってありがたいものですね。
病人は、自分の身体がツライし、思うように動けないわけなので、徐々に自分本位に、僻みっぽくもなります。それで、身近な人たちにイライラを、ネ。。。
どんな人でも、褒められれば、気分が良くなります。「ドーダ」を、認めてあげればよいんでしょうけれど。なかなか、人に優しくするのは、難しいものですよね。
私も母によく言われたのが、自分や身内の、自慢になるような話は、絶対にしてはいけない、と。周囲の人から見ると、とっても見苦しい事だから、と言われて育ちました。
それが、常識的美徳というものだと思ってきましたが、今は欧米化?して、自分の持てる力以上にアピールすることが、当たり前になってきています。ええ、私は、どっちでも良いんですけどね
コメント、ありがとうございました
良くわかります。
私も、メルマガ“ちゃんと”書いてる時に、
読者が1人増えたとか減ったとか
そんなことで一人で悶々としてましたから。ははは。
気になるなら、辛くても見ないのが一番です。
でも、見たいという欲望と戦うのは結構辛いですね。
一種の依存症みたいな感じですものね。
ビジネスでやっているのでなければ
ランキングを気にするのは良くも悪くも
自己満足でしかないと思うので。
発想を変えて「今週はランキング週間!!」
とか自分で決めて、そのときだけ大いに楽しむ
のも1つの手かも?
終わりの無い戦いはキツイですもんね。。
いえ、"ドーダ"っていいんです・・・じゃなかったの?(笑)
知りませんでした
私の父も病気自慢人でした
初対面の人にも
自分がどれだけ辛く大変な思いをしているかを
アピールしてましたね・・・
家族も、始めは優しい言葉をかけていましたが
思い通りにならないイライラをぶつけられ
わがまま放題されてくると
対応もついつい変わってきてしまいます。
そうなってくると
『大変ですねー。頑張ってますねー。』的な
言葉が聞きたくなるのでしょうね。
人間、そんなに強くないですから
人様に認められたい、褒められたいと思うのは
ある意味当然の事なのかもしれないですね。
特に昔の人は『謙遜は美徳』の考えが強かったから
あからさまに自分の努力や能力を
前面に押し出せない空気があったのかも・・・
今はすっかり『欧米化っ!』ですからねー
この旅子、20時間寝ないと、寝不足らしいんです。物置のダンボールを、かじっては投げ、齧っては投げして、ストレス発散をしています。あはは、どの箱もボーロボロに
しかし、コヤツが居なくなったら、動物依存症の私のこと、理性?が保てないような気もいたしまするぅ
お宅には、ときどきお邪魔しては、和んでいます(むろん、応援ぽちっ!もね)
では、これから、自分と夫の分のお薬を頂きに、病院めぐりに行ってきま~す。帰りに、「オフハウス」をチラッと覗いてから、ラーメンの「平塚」を下見して…と
煙に巻かれる、って、忍者ハットリ君ですか?今日は、来て下さって嬉しかったです。コメントもありがとうね~~
「ドーダ論」って初めて耳にしましたが、確かにそうですね。
誰よりも自分を愛してやまない私ですから、実感です。
だから、日々何度も愛猫を抱き上げ腹毛に顔を埋め、肉球に鼻をくっつけて深呼吸。
・・・そうやって、慰めを求めたりしています
しかし、流石にトーコさんだ!
逃げ方も「ほーーーっ」と感心するほど鮮やか。
煙に巻かれました
そうなんです!病気でも、重い方が「ドーダ」らしいのです。上には上がいますね。
何事も、自慢の種になるという、人間の底知れぬナンチャラカンチャラ?
ところで、一味さんというハンドルネームの由来が、聞きたいです。一味トウガラシ、からですかね~。前も、教えてくれなかったような…では、金魚をお大事に
コメント、ポチッもありがとうね~~
ブログに支配されている、トーコです
全国1000万人ブロガーから、逃げ切れるのか。インディ・ジョーンズを思い出します。あはっ!
パチンコ依存症、ニコチン依存症、症状が酷似しています、ブログ依存症。私の場合、すべて経験済み??
ポッキー先生は、私のことを覚えていらっしゃるのでしょうか。しばらく、ゴブサタしております。先生、お元気で~!
かずこさん、今日も楽しいコメント、ありがとうございました。また、「なるせ@楽しいお仲間ブログ」で、お会いいたしましょう
考えて見れば、わたしの場合は、病気自慢です。
病歴を人に話して、元気を作っている気がします。
今夜も、ポチッ。
話題も豊富だし、このまま逃げ切れます。
ただブログ依存症にだけは、成らないで!
そう言いつつも、やっぱり毎日ブログめぐりを
している私です。
おもしろいですよね。
ポッキー先生も「素晴しい文章を
書く人ですね」と褒めていましたよ。
「ドーダ理論」は「ドーダ学」とも呼ばれ、いまや学問の域に達しています。ある意味、すばらしい(かもしれない)理論、らしいですよ
山小屋さん発明の「サー・ドーダ」、近来稀に見るデキです。見直しました
素敵なコメント、ありがとうございました
そうなんです。鹿島先生が、大々的にお広めになって。NHKの松岡さんという方?が称賛して、社会的に正統理論として認知されたとか。。。もちろん、冗談ですよ
私の記事が、一千万人ブロガーを敵に回したのかもしれないと、実は、恐れおののいております(←ほとんどウソです)
完全に「ブログ依存症」の私。「ランキング心配性」にもなっています。ランキングに参加されている方々からの、”だったら止めろコール”が、心底怖いです
大胆な小心者なので。あ、よくご存知ですよね(笑)
コメント、ありがとうございました
そんな小さいことを気にするトーコさんではないでしょ!
そんなのほっとけばいいのです。
「東海林さだお」は知っていますよ。
確か、ほのぼのとしたマンガを描いていたと思います。
「ドーダ理論」というのは初めて聞きました。
頭に「Sir(さー)」の敬称をつけて「Sir(さー)ドーダ」とでもいっておきましょう。
鹿島茂の本で知りました。
あれでいくと、
何やっても「ドーダ」につかまってしまいます。
だからって、
「ドーダ」を止めたら、
人間進歩がストップ?
たしかにブログなんてのは
小さいながらも「ドーダ」でしょうねえ。
するとランキングはさらに。